沖縄研修×平和教育 33「善意では逃げ切れない~共同性という視点の整理(30~32のまとめ)」
1.今回の事故は「学校行事内で起きた海難事故」です。
事故を整理すると、次の三つの視点が浮かび上がります。
⑴事故の対象(関係者)
①反基地団体
②旅行業者
③学校
⑵事故の原因(直接原因)
海難事故の直接原因と責任は、船舶を運航した反基地団体にあります。
⑶事故の要因(背景要因)
事故は「学校行事 × 修学旅行中」に発生しました。
事故の背景要因を作ったのは、学校と旅行業者になります。
2.事故の責任を判断する軸は「安全管理」です
船舶運航・旅行業務に関する安全管理の専門性を基準に、3者の責任を重い順に整理すると次のようになります。
①反基地団体 海難事故の直接責任 (業務上過失致死)
②旅行業者 辺野古見学に関する安全責任(安全配慮義務違反)
③学校 修学旅行全体の安全責任 (安全配慮義務違反)
このように「3者それぞれの責任を個別に認定・追及する」のが一般的な捜査方針のはずです。しかし、海保や文科省の動きを見ていると、「3者それぞれ」では終わらない気配があります。
むしろ、「学校と反基地団体の共同性」を視野に入れている可能性が高いと感じられます。もし、共同性が認定された場合、捜査・司法の判断は大きく変わります。
3.共同性とは
複数の主体が「共同して行為した」と法的に評価される概念です。共同性が認定されると、刑事・民事の双方で責任が重くなります。
以下、今回の事故を共同性という視点で整理し直します。
⑴辺野古見学における共同性の認定ポイント
認定ポイントは大きく5つです。それぞれ認定条件を満たすと言えます。
①どちらが主催者か
→ 学校と団体とは「辺野古見学の共同主催者」と評価され得る
②どこまで関与したか
→ どちらも企画段階から関与し、実質的な企画主体と評価され得る
③価値観を共有していたか
→ 「平和教育」「沖縄理解」という理念を共有していた
④役割分担があったか
→ 団体:現地案内・船舶運航
→ 学校:生徒を現場に連れてくる・教育目的の設定
⑤企画段階からの関与があったか
→ それぞれの牧師が企画を共有し、実施に向けた調整を行っていた
⑵共同性が認定された場合の責任(刑事・民事)
◆刑事責任(共同過失の認定)
①団体
・運航過失(海難事故)
→団体固有の責任
・企画過失(共同企画の安全管理)
→共同性が認定されると追加される。
協働性が認定されると二重過失(過失の重層化)に発展する
(二重過失となると量刑が重くなる方向へ進む)
②学校
・企画過失(共同企画の安全管理)
→安全管理義務違反よりも過失の質が重くなる
(事故の要因から、直接原因の当事者にランクアップする)
③刑事責任が重くなる
→ 団体・学校どちらも業務上過失致死の要件を満たす
(判断は捜査・司法になりますが)
◆民事責任(共同不法行為者としての連帯責任)
①学校・団体が共有する
→学校・団体共に「共同不法行為者」として連帯責任を負う
②民事責任は、刑事よりも共同性が認定されやすい
→刑事で否定されても民事で認定されることがある
③学校も団体も、賠償額が跳ね上がる
→団体は財務基盤に直撃するため、最も恐れている領域
4.共同性が認定された場合、どうなるか
⑴ 反基地団体の責任が重くなる
①一般的な解釈
反基地団体は、海難事故の直接原因を作った当事者です。
→ 船舶運航に関する安全管理責任(業務上過失致死)
②学校との共同性が認められると
反基地団体は、辺野古見学の企画主体としても評価されます。
辺野古見学の「企画責任」は、海難事故の直接原因になります。
→団体は「船舶運航+企画」という二つの直接原因の当事者となる
結果、過失が重層化し、刑事・民事の責任が大幅に重くなる。
⑵ 学校の責任も重くなる
①一般的な解釈
学校は海難事故の安全管理責任を負いません。
辺野古見学の安全責任は旅行業者にあります。
→学校の安全管理責任は限定的
②団体との共同性が認められると
学校は 「辺野古見学」の企画当事者と評価されます。
企画責任は、海難事故の直接原因に該当します。
→学校は「事故の直接原因を作った当事者」と評価される
結果、業務上過失致死が射程に入る
⑶ 3者の責任はこのように変わる
①三者の責任が個別に判断される場合(共同性なし)
◆共同性なしの場合、通常の安全管理責任で判断されます
・反基地団体 最も重い(業務上過失致死の可能性が高い)
・旅行業者 重い (業務上過失致死の可能性もある)
・学校 限定的 (安全管理義務違反にとどまる)
②学校と反基地団体の共同性が認められた場合(共同性あり)
・反基地団体「最も重い」
→ 直接原因が2件(運航責任+企画責任)
→ 量刑・賠償額が跳ね上がる可能性
・学校 「かなり重い」
→ 企画責任により「事故の直接原因の当事者」になる
→ 企画責任の部分では団体と同等の評価
・旅行業者 「重い」
→ 共同性認定は旅行業者の減刑・減額にはつながらない
→ ただし、学校の企画責任が大きくなることで、
旅行業者の安全管理義務の範囲がやや狭く評価される可能性はある
個人的な感想
1.航空事故・海難事故の捜査には時間がかかる
今回の件は「海難事故」です。船の転覆原因は立証されるでしょうが、その因果関係を証明すること、根拠となる事実を設定することはかなり難易度が高いと思います。転覆原因が波だとすると、もう物証はないわけですし…
となると、当日の気象情報から現場を再現し、シミュレーションして原因と因果関係を立証することになります。これは「仮説~実験~検証~次の仮説~」という無限ループの繰り返しです。
半年なら早い方で、1年でも普通ですね。
2.共同性の立証も捜査に加わると、さらに時間がかかる
「学校と反基地団体とが、辺野古見学を共同して企画・実施した」という説明には納得感を感じます。まちがいない!と直感する人も少なくないでしょう。
しかし、これも捜査においては客観的事実の積み上げと、共同性の立証という大きなハードルがあります。時間がかかりそうですね。
3.学校は共同性の認定を受け容れているのではないか?
共同性認定の起点は、「学校と反基地団体とが特定の価値観を共有していたと評価され得るか」にあります。たとえば、学校と団体とは以下のような価値観を共有していた可能性があります。
①辺野古見学は、平和や沖縄を理解する教材としてふさわしい
②被害者の声を聴き、弱者に寄り添うことは平和教育である
③弱者に寄り添う姿勢はキリスト教的価値観にも合致する など
捜査当局はこれらを、教育的・宗教的善意の共有と評価する可能性があります。たとえば、以下のような解釈が成立します。
①学校と団体は、反基地の立場を「被害者・弱者」として捉える価値観を
共有していた
②その価値観から、辺野古を研修・教育の場として選び、見学を企画した
したがって、学校が、捜査当局や文科省に対して「辺野古見学には教育的意義があった」「平和教育として正当だった」と善意を根拠に主張することは、結果として価値観の共有を自ら認めること(=共同性の自白)に近い構造になります。
学校は、文科省の直接調査の際にこの点を理解した可能性があります。
「理事長はこの件の責任を痛感している」という調査官のコメントから、
その気配を感じ取ることができます。
4.反基地団体は「沈黙」という戦略で対抗する
団体にとって、学校との共同性が認定されることは絶対に避けたいはずです。それは、刑事・民事共に過失責任が増すこと、刑罰・賠償額が跳ね上がることになるからです。これは団体の存続にかかわります。
共同性を避けるためには、「学校と価値観を共有していた」と認定される言動を避けることです。事故以降「学校とご遺族とに謝罪したい」としかコメントしないのは、善意の主張が価値観の共有×共同性認定につながることを回避するためと言えます(法曹関係者の助言かもしれませんね)。
ただし、善意を主張しないことは、「辺野古は沖縄と平和とを理解する場であるという反基地の物語を封印すること」でもあります。これはこれで、団体の存続にかかわります。
だからと言って、ダンプ事故の際と同じ対応を取れば、共同性認定につながる可能性が高いでしょう。その危機感が背景にあるように感じられます。
結果、団体が今できることは「沈黙」になります。
沈黙しかないとも言えますが、それが団体の戦術と感じています。
次回に続く
