『なんのこっちゃい! Vol,1』🔳🔳🔳🔳🔳 🔳🔳🔳🔳EDO AKEMI & JAGATARA

松原研二写真展JAGATARA1980-1990
松原研二×山本政志(映画監督)対談
4/10(Fri)オープニングレセプション特別トーク
出演
○松原研二/写真家
○山本政志/映画監督
構成・文◎カスヤトシアキ
『雨のインバウンド渋谷』
かつて『フールズ』のマネージャーを引き受けたとき、さっそく何かの決起集会に赴いた覚えがある。確かお茶の水あたりの駅で降り、どこかの喫茶店に入って、見慣れない仲間たちに混じって、その決起集会のようなものの輪に入っていた。
隣りには、いや、近くの席だったのかも知れないが、山本政志(やまもとまさし)大監督が陣取り、イベントの趣旨について説明した。
集会には20人近くの仲間が参加していただろうか。今になって思えば、あれは日比谷の野外音楽堂で行われる『アースビート伝説』の企画会議で、集まった人たちはイベント・スタッフやら、各アーティストの関係者たちだったのだろう。
残念ながら、その日の山本政志大監督の演説内容は全く覚えていないのだが、企画説明が終わった後のフリータイムに、
“映画を撮るにはどれだけの金がかかるのか”
“そのために自分がどれだけの借金をして苦労してきたのか”
“ところが、この度、それらの借金がチャラになったのさ”
みたいな得体の知れない話を聞かされた記憶がある。
大監督とは初対面だったので、“なんでそんなシークレットな話を一見の僕にいきなりするのだろう?”という思いと、ここに集まった輩たちは一体何者なんだ?というクエスチョンで頭の中はパンパンだった。
それがこの日(渋谷の)のトークショーで分かったような気がする。もともと大監督は気さくでおしゃべりな性格とお見受けするが、『フールズ』とそのバンド・マネージャーだった溝口洋(みぞぐちよう)と盟友であり、だからこそ、そのポジションについてヒョイっと現れた僕に対して、自己紹介がてら色々と話してくれたのだろう。
あれから約40年の年月が過ぎた。
この日、昔と変わらない大監督の饒舌を確かめながら、そんなことを思い起こしていたのだった。
春だというのに、この日の渋谷は冷たい雨が降り、駅前のスクランブル交差点からセンター街や井の頭通りにかけて、雨水が溢れるがごとく人の流れが迫ってくる。その半分以上は外国人ではないだろうか。
会場の入り口で傘を閉じ、階段を降りていくと写真展が行われているギャラリーが現れる。数十人の人たちが眺める松原研二氏の『じゃがたら』写真が、まるで壁で踊っているようにレイアウトされているのだ。

まもなくして、時間を少し押したカタチでトークショーが始まった。
さぁ、ギャラリーからフリーでいただいたビールでも飲みながら、目眩く『じゃがたら』の世界にタイムスリップしようと思うのである。

『“じゃがたら”は“マザー”から始まった』
松原/ 今日は雨の中、どうもありがとうございます。松原研二(まつばらけんじ)です。えーと、まず皆さん、『じゃがたら』といえばご存知だと思うんですけど、この方を紹介します、山本政志(やまもとまさし)大監督です。
山本/大監督って、まぁ、そこまでが俺の名前だから(笑)。
松原/っていうことで、えーと、何から始めようか。
山本/今日はこんなおしゃれなスペースなんで、「キンタマ」とか「おまんこ」とか言わないようにね、ケンちゃん。
松原/何言ってんの?
山本/何から始めようかって、7時(19時)に始まるっていうから早く来てたんだけれど。(なかなか始まらないから)もうだんだんと腹が立ってきちゃって、初っ端(しょっぱな)から怒りモードで、いまヤベェところなんだけど、まぁいいや、5分くらいしたらクールダウンするでしょ。
松原/ははは!(山本大監督の怒りモードを笑い飛ばす松原御大) 質問から、じゃあ。
山本/ え、質問!?いやいやいや、違うでしょ!だからケンちゃん(松原研二)がまず『じゃがたら』と触れ合いだしたあたりのことから話を始めたい。
松原/あ〜〜。
山本/あ〜って、ケンちゃんも俺と同時期だよな。
松原/ 同時期。俺が山本から最初に声かけられたのは、俺が『じゃがたら』の写真を撮っていて、それを下北沢の『マザー』の壁に貼っていたんですね。LIVE写真を。それを見た山本から、『闇のカーニバル』っていうベルリンで賞をとった彼の映画があるんですけれど、その映画のスチールをやってくれないかって声をかけられた。
闇のカーニバル
山本/ そっかそっか。
松原/ それまでに聞いていた話だと「ケンちゃん、山本って奴が映画撮ってるんだけれど、下手に関わると(映画に)出させられるから、あまり関わらない方がいい」って、周りから実際に言われていた(笑)。
山本/ とんでもないこと言うな、そうだけど(笑)。
松原/ 『マザー』って店は、昔はね、下北沢一番街の2階にあって・・・。靴屋の上だったかなぁ、こぢんまりしたところで。
山本/ そこに『じゃがたら』のメンバーとか、俺らが集まって来て、みたいなところから話が始まるんだよな。

松原/ そもそも最初はね、 ナベちゃん(『じゃがたら』Ba.)と知り合ったのも、『マザー』なんだけれど、その時はまだ『じゃがたら』のこともナベちゃんも知らなくて、俺がロシャンゼルスに行って撮った写真を『マザー』の壁に貼っていて。
山本/ロシャンゼルス・・・。
松原/ロサンゼルスね(笑)。で、ストリートの黒人を撮った写真なんかを貼っていたら、「いい写真じゃん」とナベちゃんに褒められて。で、「俺らバンドやってんだけど、よかったら見に来てよ」って言われて吉祥寺の『マイナー』まで行くんだけれどね。それが1980年の5月。
山本/ あ、じゃあ。俺の方が1年早いのか。
松原/山本はその前から?
山本/ そうそうそう。俺はまずアケミから。そもそも『マザー』に貼ってあった“アルバイト募集/アケミ“って書いてある張り紙に引っかかった。この手口に引っかかったのは俺だけじゃなくて、後にEBBY(エビー『じゃがたら』Gu.)も同じで、女だと思って、“アケミ”に惹かれて電話したら、「はい、アケミよ」って野太い声で言われて、ずっコケたっていう。
松原/ その頃からもうアケミって言ってた?
山本/ アケミって言ってた。
松原/なんか、人を騙すためにアケミになったっていうか(笑)。
山本/いや、なんでアケミなんだかわかんないよな。
松原/いつから正孝(まさたか/本名)からアケミになったの?
山本/いや、俺が知った時はすでにアケミ。あ、でも、正孝って名前も出ていたな、どこかで正孝も出ていた気がする。でも。“ほぼアケミ”だったな。そう、“ほぼアケミ”と書かれていたこともある。
松原/“ほぼアケミ?!”余計にややこしいじゃん。なんでアケミなんだ?おかしいから?聞いたことある?
山本/そういえば、一回も聞いたことないな。正孝は後で知ったのかな?どっちにしろアケミでいいじゃんって状態になっていたもんな。 だから俺がアケミと知り合ったのは(アケミが募集したマザーの張り紙の)布団屋のバイトだったの。 東急百貨店の布団を運ぶみたいな。 いや、レイアウトだったかな?まぁ、そんなことどうでもいいか、とにかくそこでお互いバカだっつーのがわかって、バイト帰りの電車の中で俺がコンタクトを落としたら、あいつが車内を這いずり回って探してくれたんだよ。
松原/いい奴じゃん。
山本/そう、いい奴。こいつは何やってんだろな?ってほどのいい奴なんだけれどバカでもある。で、それからライブに行くようになるのかな。
松原/それが'79年? その時はもう『じゃがたら』っていってた?
山本/え〜っとね、『エド&じゃがたらお春』だったと思うんだよな。
松原/もう『じゃがたら』とは言っていたんだ。
山本/ 『じゃがたら』とは言っていたね。最初に行ったLIVEは豊島公会堂だったかな。客が20人くらいしかいなかった。
松原/豊島公会堂でやったの?
山本/ うん、いっぱいバンドが出てくるやつで、チケットを買わされたんじゃなかったかなぁ。 「売らないとダメよ」みたいな感じで。当時、ほら、『暗黒舞踏』とかの主催でそんなことやってたじゃん。それが最初。
舞踏 Butoh Dance | Hijikata Three Chapters (土方三章) - performed by Dai Matsuoka (Sankai juku)
松原/その頃、『エド&じゃがたらお春』で何を演ってた?
山本/えーとね、『HeySey』とね。
松原/もう『HeySey』演ってた
山本/『HeySey』演ってた。あと何やってたかなぁ。『もうがまんできない』かな。
じゃがたら - Hey Say
松原/『もうがまんできない』も演ってた?
山本/やってたかな。ごめん、俺も記憶が最近めちゃくちゃだから、嘘ばっかり喋っていると思うよ(笑)。
松原/ 俺が初めて見たのは、さっき言いましたけど80年の5月、吉祥寺の『マイナー』というところで。その時にね、『もうがまんできない』演ったかは覚えてないな。だけど、『家族百景』を演るときにナベちゃんが絶叫するんですよね。「お前の明日〜」とかね。
家族百景 (Kazoku Hyakkei) / じゃがたら (Jagatara)
山本/“ヤりたいんだよ”ってね。
松原/野球が“ヤりたいんだよ”(笑)。
山本/ほんとうに、ヤりたかったんだよね(笑)。
『映画“聖(セント)テロリズム”の挿入歌“タンゴ”』
松原/『タンゴ』は、山本の『闇のカーニバル』じゃないや。
山本/セント(『聖(セント)テロリズム』)。

松原/セントのときに、アケミがひと肌脱いだ。
山本/そうそう。アケミに音楽頼んで、『南国美人』とか、いくつかのアリモノの曲を使ったんだよ。でも、(あるシーンの)テイストが全然合わねえから、「なんかこれに合った曲を作ってよ」とか言って、夜の世界のシーンに被せるんで、と頼んで出来てきた曲が『タンゴ』なんだよな。
じゃがたら / Tango
松原/セントが80年?
山本/80年だな。撮影したのは79年かな?
松原/ じゃあ、もう80年に『タンゴ』はあった。
山本/詩はちょっと違うんだけど、白い液体がどうのこうのいう感じの下ネタに走ってた(笑)。
松原/下ネタだったんだ(笑)。
山本/ふざけんなよ、本当にあいつ!このオシャレな俺にこんなことしゃべらせんなよって(笑)。
松原/言う必要ないよ(笑)。『タンゴ』がシングルで出たのが81年じゃない?
山本/そのくらい。
松原/ セントの上映も同じ時期?
山本/ セントの撮影準備中に、腐れ縁友達の溝口が、深夜にストリップ劇場で実験映画の上映とかのイベントをやっていて、そこでストリップ白黒ショーをやっていたK&Mと知り合って。それで俺もそこに出入りするようになって、流れで、そのストリップ劇場でオールナイトのイベントをやろうってことになったんだ。そこに間に合わすために『聖(セント)テロリズム』を仕上げて、それを上映して、『じゃがたら』のライブをやって、さらに、ストリップもやるという三段構えだったんだけど。 いかんせん、俺が(映画が)間に合わなくて。仕方ねぇから俺がステージに出て「 じゃあ、脱ぐか!」みたいな(大笑い)。最悪なオチなんだけれど(笑)。
松原/そのモダンアートでアケミが・・・。
山本/ そうそうそう。
松原/ 流血したとかっていうのがすげぇ話題になっちゃって。
山本/ そうそうそうそうそう。
松原/ そっちに走っちゃったんだよね。
山本/そう。で、それが当時の写真週刊誌にも載ったりとかさ。周りにいた女がストリーキング(全裸で街中を走ること)をやって、その写真も載ったけれど、もうスキャンダルばっか。俺は、そういうのはあんまり好きじゃなかったな。
松原/だから81年になると、アケミも音楽に専念するって言いだしたんだと思う。そういった奇抜なパフォーマンスは、そんなに長い期間じゃないんだよ。80年の半年間ぐらいだったよね。
『 “南蛮渡来”で真剣に音楽と向き合う』
山本/俺は『南蛮渡来/なんばんとらい』のプロデュースと宣伝を頼まれたとき、条件を出したんだよ。こういった(エログロ・パフォーマンス)路線は「やめっ!」て言ったんだ。 音楽自体が良いんだからさ、「そっちだけでやろうぜ!」って。そうしたら、アケミもそういう気持ちだったから、それを確認して、俺も一緒に乗っかっちゃったみたいな感じでやるようにしたんだよな。
Jagatara /暗黒大陸じゃがたらFade Out (1982)
松原/ でもさ、さっきも言ったけれど、俺が80年の5月に吉祥寺の『マイナー』に行ったときは、まだ、アケミの額から血みたいの出てましたよね。(展示会で展示していた実際の写真を指しながら解説する)あの時はね、まだ、ちょろっとやってた。で、もうその後で、右下にある写真が新宿ロフトのやつなんですけど。
山本/あっは!俺が消火器撒いた写真(笑)。新宿ロフトに撒いちまったんだ。ついでにこれは火事ということにして、火災報知器も鳴らして消防車もも呼んで(笑)。
松原/そうそうそうそう。で、当然ロフト側は「ふざけんな!」と。それで『じゃがたら』はロフトを7年間出入り禁止になった。それが80年の頃で、81年から先になると、ああいうパフォーマンスみたいなのはほとんどやってない。
山本/そうだね。
松原/そうなんです。その頃、僕は『LAST TANGO IN JUKU/ラスト・タンゴ・イン・ジュク』っていうシングル盤を聴いて、“こんな音楽、聴いたことないな”と思って。これはすごいと思ったんだよね。
財団法人じゃがたら / LAST TANGO IN JUKU [1981]財団法人じゃがたら / LAST TANGO IN JUKU [1981]
山本/サウンド的にはすごいと思ったよ、俺も。血はちょっと、いたたまれなかったんだけど、サウンド的にはすごいと思った、俺も。マジで。
松原/そうなんだよ。あのね、こういうのが天才っていうんじゃないかって思うぐらいだったんだ。本当に。
山本/バカだけどな。
松原/バカだけど(笑)。まあいいや、天才だと思っちゃったから。
山本/あんまりアケミを持ち上げすぎると、“アケミはこう言った” アケミのお言葉、宗教法人 JAGATARA みたくなって、俺あんまりそーゆーの好きじゃないし、アケミもそーゆーのダメだった。
松原/“アケミ信者” みたいな。
山本/なっちゃうじゃん。前にアケミのことをちょっとしたギャグにして喋ったら、ネットか何かで「山本はひどい」とか。その裏にある愛情とかがわかんねぇ奴が書き込んだりするんだよなぁ。
松原/確かに頭悪いよな。愛とはそういう意味もあるからね。
山本/あ、すいません。(山本氏が我に返るように低姿勢になる)
松原/山本はなんか今日、嫌なことがあったらしいです(大笑い)。で、次の年、82年になると、さっき山本が言っていた『南蛮渡来』が出るわけだ。

『 渋谷陽一のFM“サウンドストリート”に出演』
山本/俺はプロデュースとセールスみたいなのを担当して、いま公開している映画、『ストリートキングダム』を原作した地引が自主制作レコードの販売店を100店くらい抑えてたのかな。だから地引にも協力してもらって。でも、当然、そんだけじゃダメだから、電話をしまくってさ、結局300店以上になったのかな。今みたいにインディーズが定着してない時代だったから大変だったよ。それでも『ディスクユニオン』や『フジヤマレコード』とか、すごく協力してくれて。で、もちろん作品自体にチカラがあったから、売れたんだけれど。宣伝では『ミュージックマガジン』にも行った。当時のカセットデッキはバカでかかったんだけれど、それをミュージックマガジン社に持って行って、フルボリュームでバーンとかけたんだ。そしたら中村とうようさん(編集長/社主)が向こうからすっ飛んで来て、「いいね!」って。それで『ミュージックマガジン』も協力してくれることになった。で、次に『ロッキンオン』の渋谷陽一のところにも行って、同様に「いいね」みたいな感じになって、そういう渦がだんだんできて、いい感じになったのかな。
松原/とうようさんと渋谷さんの両方が絶賛するって、すごい珍しい。
山本/珍しかったよね。で、当時、渋谷陽一がFMラジオ番組やってたんだよ。そこに「山本もゲストで来て」って言うから「いいよ」って。 で、その頃、俺の周りにノムさん(野村陵児)っていうちょっと“イっちゃた”人がいて、ノムさんが(ラジオに)「出たーい」っていうからさ、「じゃあ俺の名前で出れば」って(笑)。
松原/出たの?
山本/出た。“やまもとまさし”って、実際にラジオ聞いたら俺がいるじゃん。これは、めちゃめちゃ楽しい。楽しかった(笑)。
じゃがたらFMサウンドストリート 1982
松原/(笑)そうだよな、ノムさんも面白かったよね。
山本/面白かった。めちゃくちゃ面白かった。
松原/あのね、みなさん、「なんのこっちゃい!」って最初に言ったのはノムさんなんです。元祖、なんのこっちゃい。アケミがそれを気に入ったんだよね。
山本/けっこうアケミはパクるからね(笑)。良識のないことはいいことだ。
江戸アケミ - ナンノコッチャイ(未発曲) ひきがたり 1989年
松原/そうだ、聞きたかったのは『南蛮渡来』のジャケットについて。あれって誰の発想だった?
山本/アケミだよ。
松原/なんで猿と合成したの?
山本/知らねえよ(会場大爆笑)。

松原/なんか、猿が怒って・・・。
山本/あれもアケミが要求したんだよ。
松原/一緒に上野公園に行ったじゃない。
山本/行った行った行った。
松原/アケミが「猿が怒っているところを見たいから」とか言って、 行ったらミカンの皮を猿に投げたりして。
山本/そうそう。
松原/覚えてる?
山本/覚えてる覚えてる。アケミが挑発したら、猿が怒ってクソ掴んで投げてきたもんな。「わーっ!」て避けて、どっちが猿かわかんなくなった。
松原/俺は恥ずかしいからやめてくれって。でもさ、俺はアケミのことを天才だと思ってるからさ。なんか訳わかんなくなって。でもやっぱ、そのおかげで確かに猿が怒っている。その時の動物園の人もめちゃめちゃ怒っていたの、覚えてる?
山本/覚えてる。
松原/でも、今、それがあのおしゃれなTシャツになって。(と言って販促のTシャツを指す)ところで当時の『南蛮渡来』は、どれくらい売れたんですか?

山本/初版すぐに売れちゃって。俺は宣伝費とか自腹で出していたんだけれど。最終的にはギャラを麻雀に賭けたんですよ。全部。そうしたら俺の家に居候してたカモって男が、最後の最後に俺からタンヤオのみ1300点取って逆転負けして、アケミがトップになっちゃった。で、俺は無一文。300万ぐらいになったと思うよ。だって、それであのジャガスタ(じゃがたらスタジオ)の機材とかも買ってたじゃん。
松原/ジャガスタの機材。それで300万っていってもわかんないな。
山本/その後の売れ行きも入れてだよ。当時、『ダウンタウン・ブギウギバンド』のインディーズ盤の売上記録を抜いたんだって。だからあの時、俺は麻雀しなきゃよかったんだよ。まったく、大反省だよ。(会場大爆笑)
海賊盤 D・T・ファイティング・ブギウギ・バンド・ashi-ga-tsuru
『 映画と “じゃがたら”は、シンクロしていた』
松原/『南蛮渡来』の後はどうなるんだっけ? その後は『家族百景』やって。
山本/ああ、そうか、ちょうど俺はアケミとシンクロしてずっと(映画を)やってたからさ。だから俺がアケミと知り合った時は、初期の8ミリの本当に名前もないような作品を撮っていた時期だった。その次に『セント』でアケミに曲を作ってもらって、次に『闇のカーニバル』の時に微かに出演してもらって(笑)。役者のアケミ。あんまり出すと、ヘタだからさ、役者アケミは(笑)。
▲サザエは新宿二丁目にあったゲイ・ディスコ。ノンケでも遊べた。
松原/えっ!『闇のカーニバル』のどこにアケミが出てた?
山本/クラブのシーンで。
松原/ディスコか。『サザエ』?
山本/うん。 『サザエ』に出てた。 伊藤耕(いとうこう)とかと一緒になって。
松原/ そうか、それが『闇のカーニバル』の時で、それで『ロビンソンの庭』の時がちょうどアケミの復活と重なる訳ですね、うん。
1982 yami no carnival
『アケミ、故郷で療養する』
松原/だから皆さんもご存知だと思いますけど、83年の夏ごろにアケミがテンパって病気になって、四国の高知県中村市に帰るんですね。そのアケミがテンパったときは京都の精華大学に行く途中で、アケミが「今日UFOが来るぞ!」とかわけわかんないことを言い出したんで、「何バカなこと言ってるんだ」と思ったら、そこからどんどんおかしくなっていって、俺はもう復活や復帰は無理だろうと思っていた。『じゃがたら』も終わったなって。みんなもそう言っていたのを、山本と溝口(溝口洋/みぞぐちよう)が中村まで行ったんだよな。
山本/そう。溝口は、『じゃがたら』の初期の頃のマネージャーなんだけれど、これがちょっといかれまくってて。まあ、最初にこいつが単独で中村まで行ったんだよね。で、戻ってきて、「どうだった?」 って聞いたら「いやぁ〜、四万十川は綺麗だった」って。「え?」って。「そこじゃないだろ?」って。それで、「じゃあ次は俺も行こう」ってことになったんだよ。
松原/それですぐに行ったんだよね?
山本/そう、すぐ。なんで行ったかというとさ、当時日比谷の野音を使うのって抽選だったんだよね。俺と溝口でその抽選に並んだら2つとも当たっちゃったんだよ。1つはウドーかキョードーか東京か(音楽事務所/イベンター)そんなメジャー系にに3倍ぐらいふっかけて売っちゃって、もう1つ余ったやつで、やっぱり「アケミを復活させるしかねえだろ」みたいな感じで盛り上がって。で、やるなら世界のビートを集めてとか、いろんな音楽を集めてやろうということになった。
『アケミ復活の“アースビート伝説』
松原/あのとき、『アースビート』っていう、その企画自体は本当に素晴らしいなと思った。『アースビート伝説』ってネーミングも良かったよね。
山本/あれは溝口のネーミングだったっけ。ふだん、溝口はほら、暴力的なタイトルしか頭浮かばないんだけどね、『虐殺ツアー』とか(笑)。 さっき言った『新宿モダンアート』の時なんか、『姦・鮮血のオペレッタ』とか(笑)。
松原/言うだけでダメでしょ(笑)。誰が見に行くんだって(笑)。
山本/もう、言うだけで犯罪だって。それに比べたら俺はやっぱりね、芸術家としての雰囲気が漂うっていうか、そうそう。それで、その頃、『ぴあ』に八幡っていうのがいて、こいつは『ぴあ』の上のほうの奴だから、立派なカードを持ってて、俺は金を持ってないから。で、そいつのカードで、そいつと俺とで、飛行機とかレンタカー使って行ったんだよ。中村に。
松原/溝口はキセルで行ったとか聞いたけど。
山本/そうそう、よく知ってるね(笑)。溝口はキセル(笑)。俺と八幡はちゃんと飛行機。ここがやっぱりあいつと俺との距離が埋まらない差なんだよね。それで、「いつまでも四万十川見てたって、しょうがねぇだろう。音楽やようぜ」「そうだな」みたいなアケミと交渉をして俺は帰ったんだけれど、八幡はずっと残ってたんだよ。中村に。アケミから連絡きて、あいつ地元のキャバクラにハマっちゃって。カードの限度額を超えて居座ってるわけ。アケミのお母さんは、「うちの子は大丈夫だけど、東京から来た人がおかしい。あの人はおかしい」って、嘆いてるって。まぁ、でも、あいつのおかげだからね、あっちまで行けたのは(笑)。
松原/まあ、でも、アケミと共に、『じゃがたら』が復活できたのは、山本と溝口のおかげと言ってもいいと思いますね。
山本/だけどさ、さすがに友情を感じたよね。あのときのアケミには。俺も溝口も。まだ、声はしっかりと戻ってなかったけど。アケミが、JAGATARAが復活したんだもんな。なんだってこんなんで泣くんだ、なんであいつのことで俺が泣くんだ、俺の人生でこんなシーンいらねぇだろ、と思って溝口見たらあいつも泣いてて。それぐらい感動しちゃったね。やっぱね。うん。
じゃがたら Live 19850915@日比谷野音 アースビート伝説85
『 映画“ロビンソンの庭”と“じゃがたら”ライブインLIVE』
松原/それでその後に山本は『ロビンソンの庭』を撮った。
robinsonsgarden trailer
山本/そうだな、『アースビート』が85年だから、86年に『ロビンソンの庭』を撮った。
松原/そこでまた『じゃがたら』の「夢の海」が挿入歌になって。
JAGATARA / 夢の海
山本/そうね、なんかちょっと歌謡曲みたいだなと思ったんだけどな。あの曲。
松原/でもあれ、好きな人も多いよ。
山本/まあ、でもいいバランスだったんだよね、あれ。3つの違うサウンドでやってもらったから、海外でも音楽は高評価だった。嬉しかったよ。その『ロビンソンの庭』にこれから取り組むぞっていうイベントがあって、それが86年の『渋谷ライブイン』のライブ。
じゃがたら(JAGATARA)社会復帰記念 LIVE INN 1986/06/08
松原/6月。
山本/6月だったな。バタバタと客が酸欠で倒れて、それをスタッフが助けて搬送してるっていうライブ。こんなにいたんだ『じゃがたら』を待っていた人がって。だから、あの時のライブは『渋谷ライブイン』の動員記録になった。で、次からは『芝浦インクスティック』でのライブになるんだけれど、あそこでも動員記録を作って。
岬でまつわ JAGATARA(じゃがたら)1988年4月23日
松原/結構記録いっぱい作ってるよね。
山本/あのときのライブ(『渋谷ライブイン』)は壮絶だったね。バタバタと前の方の客が倒れてたからね。
松原/俺はあの日のライブはずっと上から撮ってる。ステージ前は押されて挟まって息ができないの。でも、このライブインに限らず、数々のイベントをアケミとやってたけれど。全部面白かったね。
『 “じゃがたら”がメジャーに行く』
山本/うん、面白かった。そこから先は俺も『てなもんや(映画/てなもんやコネクション)』でほとんど日本いなかったから、その間にあれじゃない、『じゃがたら』が制服になって、赤い制服、なんかわかんないけどみんなおそろい、みたいな。
てなもんやコネクション
松原/でも、あれでさ、初期の『じゃがたら』のイメージが払拭されたんですよ。 その辺ね、確かに間違えてはいない。だから、もう昔のエログロ・パフォーマンスを想像できないっていうか。
山本/エログロはもう『南蛮渡来』の時点で払拭されてたよ。
松原/うん。
山本/俺はちょっと、そこ(『じゃがたら』のイメージ・チェンジ)に対して、ちょっと色々とあるけどな。
松原/うん、人それぞれだと思う。
山本/やっぱ、『じゃがたら』っていうのは、“自由じゃなきゃダメだ”っていう感じがあったけどな。制服なんかで統一されるんじゃなく。アケミ自身が特にそういう奴だったから、アケミも腑に落ちない気持ちがあったと思うけどな、俺は。
松原/うん。
山本/アケミと俺とのすげえ気持ちが重なったところは、あいつは音楽が当然好きで、すごい才能があって、それプラス、音楽とかロックが商業にまみれていくのが嫌だったんだよ。もっと自由に、もっともっと自分の音を作りたいと思っていたんだと思う。俺も映画に対してそう思っていた。単に今ある映画のシステムの中で、それに当てはめる映画を作ってもしょうがないじゃんみたいな。そこはアケミと俺とのすごい大きな共通点だと思う。俺はそこの感覚で付き合っていたんだけど、それがだんだんと“大丈夫か?”って思うようになった。だからさ、『アースビート』以降で、ライブの調子も良くなってきて、BMG、いわゆるメジャーからの話が来た時点で、俺ははもう引いたんですね。
松原/そうなんだ。
山本/そういうわけもあって、ちょっと『じゃがたら』との距離ができていた時期ではあったんだけれど、 その時に『てなもんやコネクション』の撮影がストップしていて、そのためのスタッフや制作に対する金を稼ごうという目的もあって、俺自身の結婚式をやったんだよ。場所は恵比寿ガーデンにあったフリースペース。ゲストは『じゃがたら』と『フールズ』だったんだけれど、『じゃがたら』のメンバーが来ないんだ。『フールズ』は全員来てくれたんだけれど、『じゃがたら』はアケミしか来てくれなかった。俺、カチンときちゃってさ。でも、たった一人来てくれたアケミは、アコースティックで『イマジン』を弾き出した。
松原/『イマジン』・・・。
Imajine [MusicVideo-Lyrics] John Lennon
松原/ じゃあ、山本はBMG以降の『じゃがたら』はあんまり聴いてないか。
山本/ いやいや、曲は知っているし、詩は良くなったんだよ、明らかに。『みちくさ』なんか、いいじゃん。
松原/『みちくさ』。
JAGATARA -みちくさ 1987/8/9 Remaster
山本/うーん。なんかアケミがすごく良い詩を書くようになったよね。説得力もあるし、力がある。
松原/病気してから良くなったとか。山本はよく言ってたじゃん、「初期の頃はダセえ」って。
山本/それは、そんな詩もあった、ってことだよ。
松原/あ〜ん、そんな時期もあった、と。
山本/うん。
松原/それがやっぱり復活してからは、もう、だいぶ、ガラッと。
山本/復活前ぐらいからちょっと始まっていたんだけど、結構そういう(詩が良くなる)兆候が。
松原/やっぱり、病気をしたことで、なんかあったんだろうな。苦しんだだろうし、そういう経験をしたことが大きいと思う。
山本/大きいと思うよ。なんかいろいろな発見があったんだろうしな。もともと、ものごとに対しては誠実な奴だからさ。その反面、ダジャレ好きなところもあるじゃん。あいつのギャグってダジャレ一筋じゃん。だからどうしようもなく、いたたまれないところがある。
松原/電話かけてくるんですよ。
山本/やっぱり。
松原/電話かけてきてさ、いやもう、ダジャレの連発をされて「もう勘弁してくれ」って(笑)。
山本/俺もどんだけダジャレ巡りをしたか。オレ、絶対笑わない。面白くねぇもん。あんだけ苦痛なギャグって初めてだったわ。
松原/思いついちゃったら、なんか言わずにいられねぇんだって。
山本/笑いにも色々種類があんのにな。
松原/ダジャレの方向に。でも、曲がさ、一晩でできちゃうぐらいの天才だから。
山本/うん。やっぱね、思いついちゃうんだろうね。それと、ヤヒロのパーカッションが入って、リズムも多様化してきて、転調もすごく大胆になってくるし、結構スケールアップした曲作りになっている。 音楽の基本は、やっぱリズムなんだってアケミも言ってたよ。
松原/いや、だから、「リズムで救われたいんだよ」っていう。
山本/そんな感じがするわ。まあ、音楽的には相当すごいと思うよ。
松原/すごいよな。
『アケミの残したもの/騒がしい葬儀』
山本/ダジャレはダメだけど(笑)。音楽性はすごい。それでその後、メジャー・デビューしてからすぐに亡くなってしまうんだっけ。
松原/いや、1年くらいしてから亡くなるんだよね。89年。
山本/ああ、そうだね。香港の撮影が終わって帰ってきた時期だった。
松原/俺は確か、アケミが死んだっていうのを大平さん(当時のマネージャー)から聞いて、すぐに山本に電話したんだよな。
山本/俺はあのときさ、電話もらう前に外に誰かいるみたいな感じがしていたの。カミさんに「誰かいる?」とか訊いたりして。
松原/えーっ!
山本/そのタイミングでの電話だったもんで、カミさんがビビっちゃってさ(笑)。
松原/葬式は1000人くらい来て。
山本/お通夜は、多摩霊園の葬儀場にけっこうな人が集まっちゃって、大騒ぎになった。周りにあんまり家がないとこなんだけど、近所からクレームが来たんだって。(会場大爆笑)
松原/歌を大合唱したりとか、酒飲んでどんちゃん。
山本/この時はもう大騒ぎ。
松原/コウ(伊藤耕)がずっと歌っていた。
山本/もう、伊藤君がいる限りはすべてがダメなんだよね。あいつに悲しみはないのか。(会場大爆笑)
山本/あれは面白かったな。
松原/面白かった?
山本/イヤイヤ、なんか強烈だなと思って。葬式にはワイドショーとかも来て、世間はロックと薬とやらをやたらと結びつけたがるし、だから俺たちは一切取材をさせなかった。カメラ持ったマスコミ蹴飛ばしてたもんな。だって完璧な事故死だからな。
松原/まともに処方された精神安定剤を飲んで・・・。
山本/それをなんか変な方向にもっていこうとするじゃん。そんな輩は蹴飛ばして正解だったと思うけどな。
松原/だけど、葬式でそんなに騒ぐんじゃないと(笑)。
山本/でもさ、やっぱり、これだなと思ったよね。 ホッとするよね。そういうところは『じゃがたら』も、周りもそうだし、『フールズ』もそうなんだけど、人間的に温かいよね。本当に気持ちが温かいんだよね。社会のシステムとか、そういうところで生きてないんだ。
松原/というところで、ここまで喋ったから、もういいんじゃないですか?なんか質問、監督に質問とかあったら?
山本/あるわけないだろ(笑)。
松原/これからはそういうことをやめてほしいとか(笑)。
(会場大爆笑)

『質問たいむ/寿町のときのアケミ』
質問者1/ はい。 えっと、アケミさんが復帰してから、寿町で演った時に行ったんですけど、『じゃがたら』の前が、フォークの南正人さんって方で、ちょっとロックっぽい曲だったんですけど、その時偶然にもアケミさんが僕のすぐそばに来て、足ですごくリズムを取ってたんですよね。それが、すごい意外だなと思ったんです。それとは別に『じゃがたら』はライブで、吉田拓郎のカバーを演ったたりとしているので、フォークも結構アリだったのかなと思って。
山本/フォーク好きだと思うよ。
質問者1/やっぱりそうですか。
松原/吉田拓郎好きだと思うよ。ガソリンアレイでやったレコーディングで『イメージの歌』とか演ってる。
山本/ああ、そうだよね。フォークはアケミの時代にブームがあったしな。初期の方はそういうこともあった。
松原/フォーク全盛の頃。
質問者1/ありがとうございました。
JAGATARA(じゃがたら)_Hey Say_12th.Aug.1989@寿町
『質問たいむ/映画・ストリートキングダムについて』
松原/えー他に、ご質問は?はい、どうぞ。
質問者2/今公開中の映画『ストリートキングダム』について。お2人がどう思っているのか聞きたいんですけど。
松原/出たな(笑)。
大ヒット上映中!映画/ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。本予告
山本/あのぅ、そうですね。(監督の田口)トモロウも、ちゃんとその辺の時代をリスペクトしているっていうね、それはいいかなみたいな。役者も、もれなく良かったし。まずは良かったところを言っておかないと。
(会場大爆笑)
山本/まぁ、でも、その愛は、愛はすごい。うん、物足りないところはやっぱりいろいろあるんだけどな。まずは毒抜きしすぎだよね〜。やっぱ、ヘロインやるときに、果物食う描写に置き換える、というか象徴とかで表現して。そっか、ヘロインて果物なんだみたいな。ドラッグシーンを入れたら、R指定になって、観客層が狭まるからっていうようなマヌケなことを作り手がやっちゃダメだと思うよ。だから、口当たりの良すぎる青春映画になっている。他の国のロックを扱った映画は、ドラッグやグチャグチャな部分を誇張する事もなく普通に取り込んでいる。だから、深みが出てくる。上っ面の青春映画に留めてない。大人と子供ほど差があるよね。既成の価値観に抗っていたミュージシャン達を描いた作品の作り手が、既成の価値観に寄り添ってんだもん。今の時代、特にコンプライアンスがなんだとか言っているときに、もっと性根を入れてやってもらわないと。
(会場大拍手)
山本/しかもアケミが、自分の踊りをやれとか言っているのをテーマで押してて。 そしたらトモロウだってやんなきゃダメだというふうに思ったけどね。なんかあれ見てると、俺、アケミと『フールズ』の時代、ストリートキングダムの次の時代をやりたく(撮りたく)なってくる。ハードコアパンクもきてたし。
(会場大拍手)
会場MC/はい。じゃあこれにてトークイベントの方は終わらせていただきます。ありがとうございます。

(4/10 fri 渋谷/NONLECTURE book arts)
松原研二(まつばら けんじ) プロフィール
1956年静岡県生まれ。日本大学芸術学部卒業。卒業後にジャガタラと出会い、ライヴ写真を撮影。音楽雑誌に発表する。1981年、山本政志監督映画『闇のカーニバル』のスチール撮影担当。以降映画スチール、ミュージシャン、タレント等多数撮影。現在雑誌、広告等で活躍中。
山本政志(やまもと まさし) プロフィール
1956年大分県生まれ。明治大学中退後、8ミリ映画の自主製作を開始する。『闇のカーニバル』(1982年)がベルリン国際映画祭・カンヌ国際映画祭に選出される。また、ロックバンドJAGATARA(じゃがたら)の活動初期にプロデューサーを務めた。『ロビンソンの庭』(1987年)で、ベルリン映画祭zitty賞、ロカルノ映画祭審査員特別賞、日本映画監督協会新人賞受賞。次いで自主映画初の香港との合作映画『てなもんやコネクション』(1990年)で、専用上映館"TANK2"を渋谷に建築し、4ヶ月のロングラン上映を敢行。その後も精力的に独自のセンスとアイデアで映画制作に携わり現在に至る。
映画監督、脚本家、映画プロデューサー、俳優の肩書を持つ。
🔸書籍発売/Tシャツ販売 INFORMATION🔸
株式会社SLOGAN

『じゃがたら 江戸アケミ、四万十川から』
吉岡誠 著
判型: 四六判
320頁
ISBN: 978-4-909856-30-2
2026年1月27日刊行予定
予定価格: ¥2,900+税
発売: SLOGAN / indies press
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『じゃがたら全記録 1980-1990 松原研二写真集』
写真: 松原研二
判型: A5判
224ページ
ISBN: 978-4-909856-31-9
2026年1月27日刊行予定
予定価格: ¥3,600+tax
発売: SLOGAN / indies press
>> 書籍の購入はこちら

書籍タイトル: ストリート・キングダム 最終版 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン
著者: 地引雄一
ISBN: 978-4-909856-34-0
版型等: A5版、全360ページ(内写真135ページ)
全国書店発売: 3/27
刊行: SLOGAN / indies press
予定価格: 3,600円+税
全国書店、大型レコード店、Amazonなどで販売。
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じゃがたら Tシャツ 2026 #1 – 江戸アケミ 1981年2月26日

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河村康輔 Street Kingdom Tシャツ 2026

Street Kingdom –地引雄一じゃがたらTシャツ(白)

Street Kingdom –地引雄一じゃがたらTシャツ(黒)

SHINJUKU LOFT 50th ANNIVERSARY

DRIVE FROM 80s/Day1
4/30 thu
《メインステージ》
ヒカシュー ノンバンド
ホンノマジカナハル/ゲスト:ヤマジカズヒデ 戸川純
《サブステージ》
コンクリーツ N13 kummy (ex.Boys-Boys)
たぬとわ and more
DRIVE FROM 80s/Day2
5/6 wed
《メインステージ》
s-ken&BimBamBoom、ゲスト:町田康
オートモッド 突然段ボール
リザード・トリビュートバンド
SHE TALKS SILENCE
《サブステージ》
「リンゴリラのサブステージ大作戦!」
リンゴリラ (ex.あけぼの印)、ゲスト:JON(犬)、シルエット近藤
and more
DRIVE FROM 80s/Day3
5/7 thu
捏造と贋作
立花ハジメ+ Hm
Here is Eden(秋山勝彦+泉水敏郎)
LUVHOTELS
and more
■DJ 高木完
■主催 新宿LOFT
■企画プロデュース 地引雄一 高木完
■メインビジュアル 河村康輔
【DRIVE FROM 80s 特設ページ】
https://www.loft-prj.co.jp/drivefrom80s
■TICKET
1日券 ADV 5,500円 / DOOR 6,000円 (DRINK代別)
3日間通し券 15,000円
U25チケット ADV 3,000円 / DOOR 3,500円(DRINK代別)
※U25チケットは25歳以下の方のみ購入可。生年月日の確認できる身分証明書を当日お持ち下さい
[発売]3月21日(土)12:00よりeplusでチケット発売開始
▼3日通し券
https://eplus.jp/sf/detail/4501530001-P0030001
▼4/30 5/6 5/7 1日券
https://eplus.jp/sf/detail/4501540001-P0030001
