【ミステリー小説】匿名者たちの裁き ~第2章 再会の代償~
俺が再び日向葵と会ったのは、十年以上ぶりのことだった。
それが“再会”と呼べるものかは、正直わからない。
大学時代、彼女はいつも誰よりも早く編集室に入り、夜通しデータを漁っていた。
正義という言葉を信じていたというより、真実という“ナイフ”を、誰よりも上手に振るえる女だった。
だが今、彼女のそのナイフの切っ先は、社会でも組織でもなく──
俺自身に向いているような気がしてならない。
「──動きがあったわよ」
それが翌朝、彼女からのLINEメッセージだった。
端的で、無機質で、そして予兆めいていた。
俺は電車に揺られながらメッセージを読み返す。
昨日の夜の話を反芻し、胃の奥がギリギリと軋んだ。
JURYの背後に九条智哉。
世論を操るベンチャー企業。
そして、あの自殺者の背後にあった真の意図。
取材ではなく、これはもう“闘争”だ。
その覚悟はあるか?──
葵にそう問われた気がして、俺は目を閉じる。
指定された場所は、渋谷の雑居ビルにあるシェアオフィスだった。
看板すらなく、外からはただの空き部屋にしか見えない。
しかし葵に送られたワンタイムキーで扉が開くと、中には壁一面にディスプレイが並んでいた。
「ようこそ、アングラの正義へ」
葵は笑いながら言った。
その部屋には彼女一人しかいなかった。
だが、空気は重い。
情報という名の亡霊たちが、今にもこちらに噛みついてきそうだった。
「見て」
彼女が画面のひとつを指差す。
そこには、JURYの投票ログが時系列で並んでいた。
「これが“投票の波”」
葵は言う。
「特定のアカウント群が、決まったタイミングで一斉にYES票を投じてる。しかもそのアカウントのIPの一部が、九条の会社のVPNを通ってるわ」
「つまり──“操作されてる”?」
「正確には、“煽られてる”」
葵はキーボードを叩きながら言葉を続けた。
「JURYは民主的な裁きの場を装ってる。でも、扇動のトリガーはいつもごく少数の匿名アカウントが握ってる。その中核を動かしてるのが、九条。いや、九条が設計した“群衆操作のプログラム”って言った方が正しいかもね」
「……アルゴリズムってことか?」
「そう。世論の熱狂をデータで再現する。投票率の推移、拡散のスピード、炎上の火種の作り方──全部、シミュレートされてるのよ。だから、誰を燃やすかなんて、九条にとっては“選択”じゃなくて“戦略”なの」
俺は背筋に冷たい汗を感じた。
人が人を裁くという幻想の裏で、たった一人の意志が、それを支配している。
世の中で“炎上”と呼ばれている現象のいくつかは、もしかすると偶然ではなかったのかもしれない。
「……じゃあ、JURYの運営母体は?」
「一応、表向きは“PAXコミュニケーションズ”って会社。オンライン投票支援とかマーケティングデータ分析とかって名目で、政治家や企業と仕事してる。でも裏では、別名義でJURYのサーバーを管理してる」
「九条の名義?」
「違う。フロントには他人の名前を立ててる。でも、今その人物を調べてるところ」
俺はふと、彼女のモニターに映る画面の片隅に気づいた。
「……これ」
そこには、JURYの次の“投票候補者一覧”が表示されていた。
【次回予定候補】
・都議会議員:横領疑惑
・中学校教諭:セクハラ疑惑
・ジャーナリスト・桐島颯太(継続中)
俺の名前は、“継続中”のままトップにあった。
「まだ終わってないのか……」
「当然よ。次のトリガーが入れば、また再加熱する。タイミングを見て、もう一度燃やす気よ」
「何が“裁き”だよ……」
思わず呟いた俺の声に、葵は答えた。
「正義は一番都合のいい言葉だからね。悪役を用意すれば、簡単に物語が作れる。そして──物語があれば、人は疑わない」
この日から、俺は記者ではなく“告発者”として動き始めた。
取材じゃない。情報収集でもない。
自分の人生を守るための、そして歪んだ正義に対する、小さな反撃だ。
次の戦場は──九条智哉の眼前。
「九条に会う気はある?」
葵の問いかけは、まるで誰かが銃の安全装置を外すような音がした。
「会うって……そんな簡単に会えるわけないだろ」
「簡単じゃない。けど、今度パネルディスカッションがあるの。テーマは“デジタル民主主義と群衆心理”。当然、九条がパネリストよ。メディアもたくさん来る。表向きは、ただのシンポジウム。でも──あれは九条にとって、自分の思想を正当化する舞台装置なのよ」
葵が、淡々と説明を続ける。
「私は、あんたにそこへ潜り込んでほしい」
「取材で、ってことか?」
「違う。取材じゃ足りない。あんた自身が、九条を問い詰めるの。奴の目の前で、JURYの正体を突きつけるのよ」
冗談じゃない、と思った。
相手は今や、世間から“正義のヒーロー”扱いされている男だ。
しかも俺自身が、JURYで叩かれている最中。
俺の言葉なんて、誰が信じるっていうんだ。
「そんなことしても、俺一人じゃどうにもならないだろ」
「一人じゃないわ」
葵は言いながら、別のモニターを点けた。
そこには、十数人の顔写真が並んでいた。
それぞれ年齢も職業もばらばらだが、共通して目に静かな怒りを宿している。
「彼らは全員、JURYの被害者か、その家族よ。SNSで炎上させられた、デマで職を失った、家族が自殺した──みんな、九条の作り出した“群衆の正義”の犠牲者」
俺は声を失った。
「彼らと協力すれば、必ず突破口は作れる。九条を晒すのは、あんたの過去を清算することでもあるのよ」
「清算……?」
「十年前、あんたの書いた記事が間接的に人を殺したのは事実。でも、本当の黒幕は九条だった。それを暴かない限り、あんたは一生、群衆の標的で居続けることになる」
葵は、一瞬だけ視線を外した。
その目は、深い哀しみをたたえていた。
「私だって同じ。十年前、あの頃の正義がどれだけ脆いものか、思い知らされた。だから今度こそ、自分の手で終わらせたいのよ」
その夜、俺は一人で街を歩いた。
ビルの谷間を抜ける風が生ぬるく、どこか焦げた匂いがした。
スマホを取り出し、JURYのサイトを開く。
俺の名前はまだ投票ページに残っていた。
YES 78%
「こいつの実家、○○市って書いてあったよな」
「顔写真出回ってるぞ」
「家族も同罪だろ」
息が詰まりそうだった。
葵の言う通りだ。
俺が黙っていれば、この投票はどんどん熱を増していく。
九条の“群衆操作”が、このまま続く限り──
俺はゆっくりとスマホを閉じた。
もう、逃げられない。
翌日、葵の案内でシンポジウムの入場パスを受け取った。
表向きは取材申請という形だったが、裏で葵が用意したものだ。
名札には、はっきりと「桐島颯太 ジャーナリスト」と印字されている。
「これが戦場のチケットよ」
葵は短く言った。
「ステージの上で、あんたの名前を呼ばせる。それでマイクを取るの。いい?」
「……いいわけねえだろ。でも、やるしかないんだろ」
「そう。それが、あんたの償いでもあるんだから」
葵は、すぐ目を逸らした。
その目には、あの頃と同じ熱があった。
シンポジウム当日。
会場は六本木の高層ビル。
巨大なホールにはメディアのカメラが並び、ビジネススーツを着た人々が三々五々集まっていた。
受付でパスを見せると、スタッフが笑顔で俺を中へ通す。
まるで何事もない、平和なイベントの空気。
壇上には、九条智哉が立っていた。
黒いスーツに濃紺のネクタイ。
落ち着いた声で、群衆心理の危険性と、情報リテラシーの重要性を語る九条は、まさしく“理想の論客”の姿だった。
会場は何度も拍手に包まれた。
だが──
俺には、彼の瞳の奥が冷たく光って見えた。
葵が送ってきたメッセージがスマホに表示された。
「次のQ&Aで、あんたの名前を呼ばせる。準備して」
壇上の司会者が、来場者の質問を受け付け始めた。
手が挙がるたびに、九条は丁寧に答えていく。
そして──
「では次の方。桐島颯太さん、いらっしゃいますか?」
全身に戦慄が走った。
背後から一斉に視線を感じる。
ゆっくりと立ち上がり、震える足でマイクの方へ向かう。
九条がこちらを見た。
口元に、うっすらと笑みを浮かべて。
「桐島さん、どうぞ」
俺は深呼吸した。
この瞬間が、俺の人生の岐路になる。
「九条さん──
JURYを動かしているのは、あなたですね?」
場内の空気が一瞬で張り詰めた。
九条の笑みが、わずかに崩れる。
(第2章・完)
