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【ミステリー小説】匿名者たちの裁き~第1章 正義という名の暴力~

あらすじ
SNS上に突如現れた匿名集団「JURY(ジュリー)」。
彼らは「この人物を裁くべきか」という問いを投稿し、世界中のユーザーに投票させる。
過半数が「裁く」に入れば、標的の個人情報や過去の秘密が暴露され、社会的制裁を受ける仕組みだ。
当初は詐欺師やDV加害者など、社会的に批判を浴びる人物がターゲットとなり、多くの人々が「JURY」を正義と称賛する。
しかし次第に「冤罪」「私怨」「噂だけの告発」が混ざり始め、社会は混乱。
地方新聞の記者・桐島颯太(きりしま・そうた)は、過去に自分が報じたスクープが原因で自殺者を出した経験を持ち、報道の責任に苦しんでいた。

そんな彼の前に、かつて親友だった女性ハッカー・日向葵(ひなた・あおい)が現れる。彼女は「JURY」の裏に潜む真の黒幕を暴こうとしていた。
だがその矢先、「JURY」の投票対象として桐島自身の名前がSNSに浮上する。

「10年前、お前が殺したのは誰だ?」
という謎めいたメッセージとともに——。

混乱する世論、暴かれる秘密、仕掛けられた陰謀。
正義と復讐の境界で揺れる社会の中で、桐島は自分自身の過去と向き合いながら、真相を追うことを決意する。

第1章 正義という名の暴力


「おい、桐島。お前、あれ書けるか?」

田代デスクが煙草をくわえたまま俺を呼んだ。灰がポロリと原稿の上に落ちるのを、彼はいつも気にしない。俺は少しだけ椅子を引き、灰が飛んでこない距離をとった。

「“JURY”ですか?」

「そうだ。なんか最近また死人が出たらしいじゃねえか。SNSで晒されて追い込まれたって話だ。お前、取材行って来いよ」

俺は「はい」と短く答える。
JURY──それは今や、社会現象とも呼ばれる存在だ。

ネット上で誰かがこう投稿する。
「この人を裁くべきだと思う人、投票してください」

半数以上が「YES」に入れた瞬間、標的の実名、住所、勤務先、家族構成、過去のスキャンダルや未確認情報までが一斉に晒される。
それだけで、その人間の人生は終わる。

最初の頃は、詐欺師とか、暴力事件の加害者だとか、どう考えても“悪”と呼べる奴らがターゲットにされた。世間は喝采した。「私たちこそ正義だ」とSNSは沸き立った。

でも、いつの間にか空気が変わった。

近所トラブル、元恋人への逆恨み、職場での妬み──告発者の言い分だけで投票が始まり、ネットの大勢がイエスと叫べば、それだけで一人の人生が消される。証拠なんか、誰も求めない。

そういう時代だ。

俺は何度か「JURY」に絡む記事を書いたことがある。でも、上層部は腰が引けていた。大手スポンサーに気を遣っているのか、あるいは単に炎上が怖いのか。記事は小さく埋もれたままだった。

でも、死人が出たとなると話は別だ。

「被害者、名前出てます?」

俺が尋ねると、田代デスクは苦い顔をした。

「まだ非公表だ。ただ、うちに投書が来てる。これ見ろ」

机の上に叩きつけられた紙には、震える文字でこう綴られていた。

私はJURYに殺されます。
何もしていないのに投票が始まった。
助けてください。
東京都 在住 匿名希望

田代は短く息を吐いた。

「書いたやつ、結局自殺した。遺体が発見されたのは昨日だ」

俺は言葉を失った。

「地元署は“ネットでの誹謗中傷が原因とみられる”って発表してるが、詳しいことはわかってねえ。お前、行けるか?」

俺は無意識に喉を鳴らした。

「行きます」

田代は頷いた。

「記事にするかどうかはわからねえ。ただ、今のうちに取材だけはしとけ」


取材先は郊外の静かな住宅街だった。
駅を降りると、蝉の声がうるさいほど響いていた。まるで、どこかの合唱団が喧嘩しているみたいに。

被害者の家は、駅から歩いて十五分ほど。小さな一軒家で、雨戸が閉まりっぱなしだった。玄関先には枯れかけた鉢植えが並び、風でカラカラと音を立てていた。

近所の人に声をかけると、みんな顔を曇らせた。

「可哀想にねえ……まだ若かったのに」

「JURYなんて怖いわよ。うちはSNSなんかやらないから」

一人の老婆が、俺の胸元の記者証を見て言った。

「あんたも、変なこと書かないでよ」

その言葉が胸に刺さった。俺は取材ノートを閉じた。


新聞社に戻ると、デスクの周りは慌ただしかった。新しいニュースが飛び込んできたらしい。

「桐島!またJURYだ!」

別の記者が声を張り上げた。

「今度は政治家がターゲットにされたらしい。賄賂疑惑だってよ!」

「ソースは?」

「まだネットだけ。でももうトレンド入ってる!」

「誰が投稿したんだ?」

「わからん!アカウントは“JusticeRider09”ってやつだ」

JusticeRider──。
耳慣れたその名前に、心臓がひとつ跳ねた。

大学時代、サークル仲間に一人、正義に取り憑かれた女がいた。

日向葵。
彼女のハンドルネームが、それだった。

だが、そんなはずはない。
あれから十年以上も経っている。葵は、もうこの世界にはいないと思っていた。少なくとも、俺の中では──。


夜、自分のデスクに戻り、俺はパソコンを立ち上げた。
“JURY”の公式サイトを開くと、画面にはこう書かれていた。

我々はただ問う。
裁くべきか、否か。
決めるのはあなたたちだ。

ページの下に表示された最新の投票対象者一覧。その一番下に、俺は思わず息を呑んだ。

桐島颯太(記者)
裁くべきか?YES 57%

画面を凝視したまま、背中に冷たい汗が流れた。


目を瞬きした瞬間、数字が一パーセント上がった。YESが58%。
なんの冗談だ。
震える指先でリロードを押すたびに、数値はじわじわと増えていく。

この仕事をしていると、炎上なんて他人事じゃない。SNSで誤報と叩かれた同僚を何人も見てきた。でも「裁かれる」なんて、俺の辞書にはなかった。

「おい桐島、どうした。顔色悪いぞ」

声をかけられ、画面を慌てて閉じた。田代デスクだ。俺は咄嗟に笑顔を作る。

「いや、なんでもないっす」

「無理すんな。あの投書の件、明日また頼むぞ」

「……わかりました」

背中が妙に重い。さっきまで自分が“取材する側”だったのに、いきなり“記事にされる側”になる。こんな恐怖があるなんて思いもしなかった。

田代が去ると、俺は再びブラウザを立ち上げる。
JURYの投票ページには、相変わらず俺の名前が載っていた。

桐島颯太
記者
過去に記事の誤報で人を死に追いやった
本当に反省しているのか?

YES 61%

心臓を鷲掴みにされるようだった。

“誤報で人を死に追いやった”

あれは──


十年前のことだ。
社会部に配属されて間もない頃。
ある建設会社が、公共事業を巡って不正を行っているという内部告発を受け、俺は一か月かけて記事を書いた。
取材先の男性社員は、憔悴しきった顔でこう言っていた。

「これが世に出たら、俺はもう生きていけないかもしれない」

でも俺は「大丈夫だ」と説得した。
正義のためだ、と自分に言い聞かせて。

記事は一面を飾った。
翌週、その社員は自宅で首を吊った。

後からわかったのは、告発の内容に事実誤認があったこと。会社の不正そのものは存在したが、彼が首謀者ではなかった。

新聞社は謝罪記事を出した。
だが男は戻らなかった。

それ以来、俺は自分が書く言葉が人を殺すかもしれないという恐怖と共に生きてきた。


どうして今さら──
俺はJURYのページを何度も読み返した。
書かれている内容は、まるで俺の心の奥を覗き込んだようだった。

そんなとき、画面の右下にポップアップが現れた。

DMが届きました。
差出人:JusticeRider09

俺は血の気が引いた。

JusticeRider──あの名前。

躊躇しつつもクリックすると、メッセージが表示された。

久しぶりね、颯太。
あんた、覚悟はできてる?
まだ“正義”ってやつを信じてるの?

俺は椅子から転げ落ちそうになった。
葵──日向葵の言葉だった。あの喋り方、言い回し。間違いない。

誰がJURYを動かしてるか知りたいでしょ。
明日、20時、例の場所。

心臓がドクドクと暴れた。
まるで水が沸騰するみたいに、頭の中が熱くなる。


帰り道、夜の街は蒸し暑く、ネオンが滲んで見えた。
誰も俺の顔なんか見ちゃいないのに、通行人すべてが「YES」に投票した人間に思えてくる。

信号待ちの間、スマホを開いた。

JURYの投票結果は、さらに上がっていた。
YES 64%。

だが、コメント欄を読むと、さらにぞっとした。

「こいつマジで人殺しだろ」
「記者ってだけで信用できない」
「あいつの記事読んだことある。自分の正義を押し付けるだけのクズ」

SNSの文字は、時にナイフより鋭い。
呼吸が浅くなる。気づけば両手が震えていた。


翌日の夜、俺は指定された場所へ向かった。

待ち合わせは、大学時代によく使っていた安い喫茶店だった。
変わらぬ赤いソファに腰を下ろすと、懐かしいコーヒーの香りが鼻を突いた。

それから五分後、葵が現れた。

髪を短く切り、黒いスーツに身を包んだ彼女は、あの頃よりずっと鋭い雰囲気をまとっていた。
けれど、瞳だけは変わっていなかった。
炎のように強い光を宿していた。

「よ。久しぶりだな」

俺がそう言うと、葵は椅子を引き寄せ、笑った。

「笑えるわよね。私たち、正義を信じて新聞を書いてたのにさ。今じゃ、あんたが『裁かれる側』だもん」

「お前、JURYに関わってんのか?」

彼女は首を横に振った。

「違う。私は“JURYを止めたい”側」

「どういうことだよ」

葵は細い指でテーブルをトントン叩いた。

「JURYには黒幕がいる。正義を叫ぶ大衆の群れの裏で、情報を操作してるやつらがいるのよ。そいつらにあんた、狙われてる」

俺は言葉を失った。

「どうして俺なんだ」

葵は深く息をつき、低い声で答えた。

「“あの件”が関係してる。十年前、あんたが殺したあの人。あれは偶然の自殺じゃなかったかもしれないのよ」

全身が氷のように冷たくなった。

「どういう意味だよ、それ」

葵は俺の目を真っ直ぐ見た。

「九条智哉って名前、覚えてる?」

その名前を聞いた瞬間、視界がグラリと揺れた。


九条智哉──
その名前を耳にした瞬間、胸の奥を冷たい手で握られたような感覚がした。

「九条って……あの、ベンチャー起業家の?」

葵はわずかに顎を引いて頷いた。

「そう。今じゃメディアでもてはやされてる。『新しい民主主義の旗手』だとか、『デジタル社会の正義』だとか。でもね、あいつ、大学時代からずっと“群衆を操作する”ことに取り憑かれてた」

「群衆を……?」

「そう。人間は正義を信じたい。誰かを叩くことで自分の正しさを確かめたい。その心理を使えば、どんな嘘も真実に見せかけられる。JURYはその実験場よ」

俺は頭を抱えた。九条智哉。あの名前を知ったのは、学生新聞の編集室だった。政治経済学部のカリスマ論客として、何度も葵が話題にしていた男だ。

「でも、なんで俺を狙うんだよ。十年前の件は、もう済んだ話だろ」

「済んでない。あんたが書いた記事の裏には別の企みがあったのよ。九条はあの自殺を利用して、ネット世論を動かした。『マスコミは嘘をつく』ってね。あんたは、あの時からずっと“象徴”にされてるのよ。悪いメディアの顔として」

「……俺が象徴?」

「そして今度は逆に、あんたを“被害者”に見せるか、それとも完全に潰すか。どっちに転んでも、九条にとっては都合がいい。だってその方が世間が熱狂するから」

俺は息を呑んだ。

「つまり、JURYは正義の集団なんかじゃないってことか」

「そう。操作された正義。世論という名の劇場」

葵の目は炎のように光っていた。

「九条はJURYの奥にいる。あんたの過去をもう一度暴き、そして“新たな正義”を作ろうとしてる。だから、あんたが狙われた」

言葉が出なかった。
俺の過去が、誰かの手で再び引きずり出されている。
それを利用して世論を作り替える。
そんなことが、現実に起きているのか。

葵が低い声で囁いた。

「もしあんたが九条に直接会いたいなら、私が手を貸す。けど──覚悟して。あいつは、敵に回すと簡単に人ひとり潰す」

「……九条は今どこにいる」

「東京。JURYの運営母体と噂されるベンチャー企業を経営してる。表向きはITコンサル。でも裏では、匿名掲示板やSNSの“火付け”を仕事にしてる」

俺は息を呑んだ。

「つまり──全部仕組まれてるってことか?」

「仕組まれてる。ネットの正義も、炎上も」

葵は俺の手元のスマホを指さした。

「ほら、今も見てみなよ」

恐る恐るブラウザを開くと、JURYのページはこう書き換わっていた。

桐島颯太
記者
過去に誤報で一人を死に追いやり、反省もせず報道を続ける偽善者
裁くべきか?

YES 74%

俺はスマホをテーブルに置いた。
指が震えて、画面がピクピク揺れる。
目の奥がチカチカした。

「……これ以上どうしろって言うんだよ」

葵は短く笑った。

「戦うしかない。あんたが何もしなければ、YESはどんどん増える。やがてお前の住所も、家族も晒される。次はお前が、あの投書の被害者みたいになる」

「でも、どうやって九条に辿りつくんだ」

葵はカバンからノートパソコンを取り出した。画面には文字列が流れている。

「これが、JURYの管理サーバーの一部アクセスログ。九条の会社からアクセスしてる痕跡が残ってる。あんたが望むなら、私はさらに潜る」

「もしそれがバレたら、お前──」

「私?別にいいわよ。今さら怖いことなんかない」

俺は葵の顔を見た。
かつて学生新聞で徹夜しながら特集を作ってたあの頃の葵が、一瞬だけそこに戻ったように見えた。

「颯太、決めて。逃げるなら今のうち。でも戦うなら、今すぐ動くしかない」

俺は目を閉じた。
頭の中を10年前のあの男の顔がよぎった。
新聞記事の活字が、血のように赤く脳裏に滲む。

俺は声を絞り出した。

「……やる。俺は逃げない」

葵はわずかに笑った。

「いい顔するようになったじゃん」

その瞬間、店の外からサイレンが近づく音がした。
まるで、俺たちがすでに追われている証拠のように。


帰り道、JURYのサイトを再び開いた。
YESは75%に跳ね上がっていた。
コメントはさらに過激になり、俺の個人情報らしき書き込みまで散見された。

「こいつの実家、東京じゃね?」
「見かけたら動画撮れよ」
「JURYが正義。こいつはクズ」

俺はスマホを握りしめた。
全身が寒気に包まれているのに、掌だけが汗で濡れていた。

誰かが言っていた。
正義とは、最も恐ろしい暴力だ、と。

翌朝、俺は新聞社のデスクに座り、パソコンを立ち上げた。
記事のタイトル欄に、俺はゆっくりと文字を打ち込んだ。

「JURYの正体を追う」

まだ、自分が記事を書ける立場にあるのかさえ分からなかった。
でも──俺は書かずにいられなかった。

誰かが、真実を書かなきゃいけない。
たとえそれで、自分がすべてを失うとしても。

(第1章・完)


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