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ナナ(上)(下) 新潮文庫

エミール・ゾラ 川口篤・古賀照一訳


昔読んだ時には、ナナがこんなにかわいい女性だとは気づいていなかった。男がナナに金を貢いで破産したって、死んだって、それは「ナナのせいじゃない」。彼女が無意識のうちに、自分が生まれた階級を踏みつけにしてきた貴族たちに復讐している、というテーマも良い。残念なのはこの作品が書かれた時代が時代だけに、ナナが時々神に祈ったり、ラストに「神に与えられた罰」のように天然痘で死んでしまうことだ。彼女が堂々と生き延びることが、貴族階級への最大の復讐だと思う。また死にかけているナナの部屋に(昔はいがみあっていた)女性は全員お見舞いに行くのに、男性は感染を恐れて誰一人行かないというのも笑える。敵視していたローズがナナを献身的に看病するのも良かった。また、ナナの同性愛的資質にも初めて気がついた。これはこの男尊女卑が当たり前の時代の、しかも娼婦という蔑まれている階級の女性たちの、ある種の反抗的な作品であると思う。


二人の笑い声は広い静まり返った客間に響き渡ってフォシュリーをびっくりさせた。まるでガラスが砕けたような響きだった。

夏水仙が腐るときには、女の匂いがするものだ。

舞台の上ではあのようにぎこちなく、堅気の女のまねをするとあんなに滑稽なこの太っちょの娘が、街に出ると労せずして人々を悩殺するのだった。

早く行こうと思って、濃い金髪を両手でつかみ、銀の金盥の上でふるったので、長いピンが霰のように落ちて、磨き上げた銀板の上で音を立てた。

もう子供が欲しいわけではなく、別の取引きに使うようになっても、女にはまだ子供は出来るものなのだろうか?

破産した男はまるで熟れた果実のようにナナの手から落ちて、みずから地面で腐っていった。

「馬鹿々々しい!とにかく、男たちが金や生命をなくしたって、それは自分たちが悪いからよ!あたしに何の責任があるものか!」

「芝居や歌のできる必要が女にありますかい?」

「男という男は、おむつにくるまった男まで私のところにやってくるってわけなのかしら?」

―まるで、砂糖みたい、とジョルジュが食いしんぼうの子供のように笑いながら呟いた。

この年になって働きづくめに働き、何人もの男を、それも孫のような若い男を客にとって、一銭の金も貯まらなかったとなると、正当な結婚の方がましだということになる。

ヴァンドゥーヴルの言い草に従えば、女たちが彼の弗箱を綺麗にはたいてやって、世間の道徳への復讐をしたのだそうだ。

王位の継承者である真実の殿下が、この神々の謝肉祭に於いて、仮装の王族たちにとりまかれ、衣装方や淫売女や劇場のだにや女見世物師のただ中で、ひどく御機嫌でヘボ役者のシャンパンを飲んでいるというこの奇妙な混淆を、誰も笑うものはなかった。

それは、悔恨の入り混った快楽だった。日頃地獄を恐れているため、罪を犯したとき、一層鋭く感じるカトリック信者の快楽だった。

また、ゴタゴタ塗りたくった看板の一つに、大きな真紅の手袋があって、遠くから見ると、黄色いカフスで、切りとってまたくっつけた血みどろの手のように見えた。

この娘はパリの場末の舗道の上で成長し、充分な肥料を施した植物のように、丈高く、美貌で、素晴らしい肉体を持って居り、自分の祖先である乞食や浮浪者たちのために復讐の日夜を送っている。

「もしあなた方が間抜けでなければ、私たちのところでするのと同じように、奥さんにも優しくしてあげる筈なのよ。そして、奥さん方も馬鹿でなければ、あなた方を引きとめて置くために、私たちがあなた方を誘惑するために払うのと同じ努力を払うにちがいないわ…それが作法というものよ」

自分が娼婦の許で上衣を脱いでいるときに、妻が情夫の部屋で着物を脱いでいる、これほど簡単で論理的なことはありはしない。

ミュファがナナの合図一つで、彼女のためなら身を伸べて敷物になっても悔いない気持でいることを見抜いていた。このような情熱に刃向かえるものではない。

が、じっと耐えて、ことさら涼しい声を出し、オレンジの皮の上を歩こうとする侯爵夫人のような身振りで、言った。

ひっきりなしに何かに夢中になっていながら、一人きりになると、ひどく疲れたような身振りで、両腕をのばしてのびをした。孤独はたちまち彼女を憂鬱にした。孤独になると、空虚感と自己嫌悪を覚えるからだった。職業柄も生まれつきからもひどく陽気な彼女が、そうなると、すっかりふさぎ込み、あくびの間に、彼女の生活を要約する次の叫びを、始終繰返すのだった。-ああ!男って、なんてうるさいんだろう!

何だか急に自分が大きくなったような感じで、支配と享楽の欲求、すべてを破壊するためにすべてを手に入れたい念願が、いよいよ募って行くのを感じた。彼女は、女性の力をこれほどしみじみと感じたことはなかった。

花束は生々として、雪のように輝いていた。彼女は、うっとりと見惚れながら、露の中に口を突込んだように唇を濡らして、その一つを嗅いでいた。

「でも、この世からは、何一つわかりゃしないんだわ、死んでからニュースを送ってくれる人なんかいやしないんだから。」

「ああ!本当に、子供を造った者がひきとってくれればいいんだわ。だって、誰も欲しがったわけじゃないのにみんなを困らすんだもの。」

「あなたが何でこんなに嫌な思いをなさるのかお考えになって?それはね、あなたが御自分でも奥様をだましていらっしゃるからなのよ。」

「ああ、いやだ!みんな勝手なこと言やあいいわ、あたしのせいじゃあないんだもの!あたしが悪いもんですか?」

「女にいろんな要求をするのは男なのに、女を責めるなんて…今となっては、打明けて言うけどね、あたし、あいつらとつきあったけれど、ほんとは楽しくなんかなかったのよ。」

ナナは屋敷の山と積まれた富の真ん中で、うち倒された沢山の男たちを踏みつけ、ただひとり立ちはだかっていた。

「作者も、しゃべるとぶちこわしだからって、せりふを一つもつけなかったんだが、何にもしゃべらないってことは、全く、一層偉大なことだ。」


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