私が文章を書く理由
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!
言わずと知れた「アンパンマンのマーチ」の一節です。「アンパンマン」が有名になったのは、私が大人になってからです。だから、若い世代の方々と違って、「アンパンマンと共に育った」わけではなく、日本人全体の平均と比べて、アンパンマンには疎いです。
そんな私がこの歌を聴いたのは、もちろん、大人になってから。「すごく、深いことを歌っているな」と思いました。そして「耳が痛いな」とも。
なぜならば、「何のために生まれて、何をして生きるのか。答えられない」のはまさしく私だから。
それまで、私は、「自分の使命」みたいなものを考えたことがありませんでした。考える余裕がなかったと言うべきかも知れません。
私は、ずっと生きるだけで精一杯でした。私の人生で一番暗かったのは、中学二年の時で、365日、ほぼ毎日死のう死のうと思っていました。理由は、ちょっと今日は、勘弁してください。うまく書けるようになったら、そのうち書くかもです。
何度も高いビルにのぼって、屋上から下を覗き、「今日こそ、今日こそ、飛び降りるぞ」と自分を奮い立たせていました。涙が遠い地面に直接、ぼとぼと落ちました。
ある晩、「本当に今日で終わらせよう」と身を乗り出した時、不意に下に人が現れました。「今、飛び降りると、あの人に当たる!」そう思って飛び降りるのをやめました。結局、その日は生きて帰りました。ただ「死ぬのをやめよう」と思ったわけではなく、「方法を練り直そう」と思っただけですが。人をまき込むのはちょっと違うな、と。
方法を練り直している間に、少しずつ時が過ぎていきました。中学三年になった頃にはいささか持ち直したものの、その後の人生も死にたい気持ちがなくなったわけではなく、常に大きな不安、小さな不安、具体的な不安、ぼんやりとした抽象的な不安に押しつぶされそうになりながら、なんとかかんとか生きていました。今なら、何か病名がつくんだろうな、と思います。
大人になってからも、数々の挫折を経験しました。働くことも動くこともできず、引きこもっていた時期もあります。
挫折の度に落ち込み、安易に死が頭をよぎるのは、相変わらずでしたが、歳をとるにつれて、少しずつ少しずつ、不安や落ち込みが少なくなってきました。
なぜ、不安や落ち込みが少なくなっていったのか、明確な答えはわかりません。あんまりにもたくさんの挫折を経験して、割とどうでも良くなってきた、というのもあります。親元を離れたため、「期待に応えなければ」みたいな気持ちが薄れてきたのもあります。あと、何かあっても、「中二の時の、高い建物から飛び降りようとしたあの瞬間の暗い深い絶望よりはマシだ」と思って乗り越えられたのもあります。
そして、中年から老年へ差し掛かろうとしている今、何だかわからないけど、とっても幸せなんですよ。今までの人生で一番幸せです。
「死にたい」なんて気持ちは今は全くありません。むしろ「生きたい」です。空の青さも、草花の美しさも、バンバン目に飛び込んできます。美しい虫の音も、爽やかな風も、バンバン耳に肌に心地よさを運んでくれます。
若い時のことを考えると、「これがほんまに同じ人間か?」と思うほどの変わりよう。
先日、「脳トレ、舌トレ講座」に行った時、「あなたの長所は何ですか?」と聞かれて「ポジティブなことです」と答えました。これを中二の時の私に聞かせたら、仰天すると思います。私がポジティブ? どこが?
長い長い時を経て、私は、世界と和解することができました。これからは、今までの分を取り戻すためにも、もっと人生を楽しみたい。
私は、もともと子供の頃から本好きでした。精神的におかしくなって、本すら読めなくなった時期もありましたが、それでも、心のどこかに、私を救ってくれるのは文学に違いない、という確信は潜んでいました。
2023年の秋に最初に「彩ふ読書会」に参加した時に、その思いは開放されました。それから、本を読み、文を書き、朗読教室にも参加して、言葉の世界で楽しく遊んでいます。
さて、前回の記事で、私は「文章を書きたい理由は二つある」と書きました。
① 私自身が楽しみたいから。
② 実は言いたいことがある。
①に関連して
なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!
アンパンマンのマーチの二番の歌詞に対する私の答えは、出ました。「文学」です。本を読むのが、文を書くのが、私の喜びでしあわせです。
②に関連して
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!
さて、やっとアンパンマンのマーチの一番の歌詞に対する答えも、見つかりました。私は、
特に若い世代に、「生きていたら、幸せな将来があるかもよ」
って言うために生まれて、そのことを誰かに伝えるために生きているのではないだろうか?
その実例を見せるために生きているのではないだろうか?
「生きる喜び」を訴えたいんじゃないだろうか?
いやいや、「生きる喜び」は、いろーんな人がいろーんな方法で伝えているではないか。たとえばこんなの
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
これに勝る表現があるか? って言われれば、「うーん」と思わざるを得ません。でも、私にしかできない表現もあるかも。私の経験、私の思いは、私だけのものだから。
実は、今まで書いたnoteの記事の中でも、私の「一番言いたいこと」を少しずつ入れ込んだりはしています。
こんなの
あの時、死ななかった私が、今できることは何だろう。
どんなふうに伝えたら、あなたに、あなたに、あなたに伝わるだろう。
これから自分の表現力を磨いていって、いろんな方法で、自分なりの「生きる喜び」をこの世に残していけたら、それもまた、私の喜びになります。
そして、「アンパンマンのマーチ」は今、私が一番好きな曲です。一番泣ける曲でもあります。この歌を子供の頃から聴いて育ってきた若い世代が羨ましいです。私も子供の頃からこの曲を知っていたら、思春期に抱えていた悩みも少しは軽くなっていたかも知れません。
