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新緑の季節にあなたを想うということ

 今は昔、昭和の頃の話である。 

 今は、どうなっているのか知らないが、私が高校生の時は、家庭科と保健体育は、男女別々に授業を受けていた。 

 だから、高一の時、七組だった私は、八組の女子と一緒にそれらの授業を受けていたのだが、八組の女子の中で、最初から長期欠席している子がいた

 先生が出席をとる時、その子の時はいつも返事がなかった。机がぽつんと空いていた。「不登校」という言葉も定着していない頃である。「何か、重い病気なのだろうか?」と私は思っていた。

 ゴールデンウィーク明け、ホームルームで、担任から、隣の八組の長期欠席していた子が、高い建物から飛び降りて、亡くなったことを知らされた

 十五歳だった私は、その事実にかなりの衝撃を受けた。担任の話では、彼女は、入学式と始業式には来ていたらしい。

 入試の日、合格発表後の説明会、入学式、始業式の少なくとも四回、私は、彼女と同じ空間に居た。同じ空気を吸い、同じ問題を解き、同じ校長の話を聞いていたのだ。

 生きていたら、言葉を交わしたかもしれない。来年は同じクラスだったかもしれない。もしかしたら、無二の親友になっていたかもしれない。

 その考えは、私の心を厳粛にした。

 保健体育と家庭科の時間、その子の名前が呼ばれることは無くなった。二度しか使わなかった椅子と机は取り払われた。その子の体重分軽くなった地球は、その後も回り続けた。何事もなかったかのように、毎日、授業が行われ、生徒たちは、高校生活に馴染んでいった。

 私は、二回しか着られなかったその子の制服を思った。取り払われたを思った。もう呼ばれなくなった、出席簿に載っていたはずのその子の名前を思った。生きていたら買ったかもしれないレコードを、食べたであろう食堂の定食を、学んだであろう三角関数を思った。

 その子は、どんな気持ちで、制服の業者に採寸してもらったのだろう。高校に入って環境が変わることで、今の状況が良くなるかも知れないと少しは希望を持っていなかったのだろうか。苦しみを分け合える友達に会えるかも知れないことを少しは夢見ていなかったのだろうか。そしてその友達が私ではなかったとどうして言えるだろうか。

 もちろん、私に彼女の選択をどうこう言う権利はない。それほど辛い状況だったのかも知れないし、「鬱」だったのかも知れないし。少し前に将棋の先崎学九段の書いた『うつ病九段』という本を読んだのだが、うつ病になってしまった彼は、駅のホームに立つと、線路に吸い込まれるように飛び込みそうになるので、怖くてホームに降りられなかったことを書いていた。「死のう」という意思があって飛び込むのではなく、吸い込まれるイメージが強過ぎて意思と関係なく飛び込んでしまうものらしい。

 永遠に彼女に会えなくなってから、長い長い時間が過ぎた。彼女がいなくなった世界で、私はたくさんの日々を重ねた。私自身、若い頃はとても辛い日々だったのだが、歳をとるにつれて、次第に生きるのが楽になっているのを感じる。

 先日、「彩ふ読書会」の8周年イベントに向けての、「サポーターの打ち合わせ」が行われた。昨年の7周年イベントを大いに楽しんだ私は、今年はサポーターになったのだ。
 最初に自己紹介が行われた。好きなジャンルの本や、今後楽しみにしていることを順番に発表していった。みなさん、楽しみにしていることは「見に行くつもりの映画」とか「行くつもりの万博」とかいろいろだった。「私は、何を言おうかな?」と思っているうちに、順番が来てしまった。

 「今後自分の人生がどんなふうに明るく展開していくか、それを見るのが楽しみです」

 気がついたら、こう話していた。話していて、自分でびっくりした。私は、今後の人生が明るいことを確信しているのだ、と気づいたからだ。

 歳をとることは悪くない。少なくとも私の場合は、中学生の時が一番精神的にきつく、その後、次第に少しずつマシになって行き、今では、毎日が楽しい。そして、今後、もっと楽しく明るく幸せになっていくことを確信している。

 もしも、これを読んでいる若い人の中で、辛い毎日を送っている人がいたら、どうか、今後、人生が楽になることもあると信じて、持ちこたえて欲しい。

 長い年月のうちに、八組の彼女のことを考えることも少なくなってしまった。だが、五月になると、思い出す。新緑の季節になると思い出す。四回だけ会っていたはずのあなた。でも本当の意味では逢えなかったあなた。友達になれなかったあなた。

 もしも生まれ変わりがあるなら、ずっと年下の別の名前、別の顔のあなたと逢えるのかも知れない。いや、もう逢っているのかも知れない。

 毎年、五月になると思い出す。そして、五月が過ぎて、六月になると思う。Tさん、新しい一年が始まるよ。

 

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