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昭和、男もつらかった 193 田植機②

 昭和初期、鹿児島の農村で農家の一人息子として生れ、戦時中は少年飛行兵に志願しながらも、82年の生涯をほぼこの地で全うした二夫(つぎお。父)の物語。前項に続き田植え機についてもう少し書いておきたい。

 田植え機を調べていて「国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構」(農研機構、略称NARO)を知ったことは前項で述べた。

 そのホームページによれば、最初に開発された田植え機は1条ずつ植えるタイプ(歩行型人力田植え機)。その後昭和40年代に「歩行型動力田植え機」が開発される。苗箱に敷いたテープ(ひも)に育てた苗(マット苗)を田植え機にセット、植付爪でテープごと苗を切り取ると同時に植え付けていく形で、作業効率は格段に向上した。こうして日本の(世界の?)田植え機の原型が完成し、いまに続くようだ。

 この時期に各農機具メーカーが同様の方式を採用。昭和50年には全国で70万台が普及し、コメの生産量の増加に貢献したという。

 NAROのホームページには、普及期の田植え機として「ヤンマーFP2B」の写真が掲載されている(トップ写真)。ヤンマーホームページの田植え機の歴史部分では、初期の手押しタイプがひとつだけ掲載されたあとは乗用タイプが紹介されているが、乗用タイプが登場するまで、手押し式にいくつか改良型が開発、製造されたのだと思われる。

 掲載した写真は二三四(わたし)が記憶する田植え機とは少し違う気がするので、二夫一家が導入した田植え機は、やはりヤンマー社製で初期の改良型のひとつだったのだろう。

 「違う気がする」とは言っても、基本の構造は同じだ。マット苗を田植え機のパレット(とでも呼ぶべき部分)に載せておき、下部の爪で苗を少しずつ切り取って植えていく。

 手押しタイプの田植え機はのちに登場する乗用タイプよりは小回りが利く。とは言え、方形でない田んぼの隅のほうや田植え機がターンした場所など、田植え機でカバーできない箇所がどうしても出てくる。そういう部分は、あとから手で苗を植えた。

 つまり、田植え機で植えると言っても、結局は人間が「補足」しないと田植えは終わらなかった。大部分は機械植えであっても、田植えのときは子供たちも田んぼに入って手伝うことに変わりはなかった。

 田植え機が登場してから、家族総出でも足らず近所や親戚などに声をかけて田植えをする風景は地域でも少なくなっていく。昭和40年代半ばは、苗代で育てた苗を手植えする田植えが併存していた最後の時期だろう。
 
《主な参考》
ヤンマー100年史
農研機構>広報誌「NARO」
 
《お断り》「田植え機」・②の内容は、二夫の妻・ミヨ子の来し方を綴った「文字を持たなかった昭和」の「田植え機」と一部重複している。


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