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昭和、男もつらかった 192 田植機①

 昭和初期、鹿児島の農村で農家の一人息子として生れ、戦時中は少年飛行兵に志願しながらも、82年の生涯をほぼこの地で全うした二夫(つぎお。父)の物語。ここ3回ほどは昭和30年代後半から40年代にかけての田植えについて述べてきた。

 田植え機についてはもう少しあとで書こうかと思っていたが、どうにも後ろ髪を引かれるような気持ちが残るので、田植えつながりということで触れておく。

 二夫一家に田植え機がもたらされたのは昭和40年代の半ばくらいだと思う。長男のカズアキは小学校高学年、その妹の二三四(わたし)は中学年の頃だ。したがって、本作の「苗つくり」「田植えの目印」で述べた田植えの風景は、それより前の時期ということになる。

 隣町に住む遠戚が大手農機具メーカーヤンマーの代理店を始めたこともあり、二夫一家の農機具はこの頃からヤンマー製を使うようになった。

 ――と思い込んでいたのだが、確認のためヤンマーのホームページで製品の歴史を辿ったところ、1967年に初めて販売された田植え機は同年に生産終了となっている。次のタイプは1982年発売だ(1985年生産終了)。この間にも改良タイプが生産・販売されていたのか、二夫が初めて買った田植え機は別のメーカー製だったのか。

 気になったので、田植え機の歴史や昭和40年前後の田植え機について調べてみた。概要はこうだ。

 田植えの機械化研究が進んだのは昭和30年代、昭和40年代にはその実用化が進み、田植え機が普及し始める。昭和50年代には乗用タイプの田植え機が登場し大型化していく。エンジンの出力や「植付条数」、つまり一度に植えられる苗の数が向上していき、作業は高速化へと向かう。

 二夫が最初に導入した田植え機は当然「手押しタイプ」だった。田植え機の歴史を調べる中で「国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構」(農研機構、略称NARO)を知り、機械による田植え風景の画像も見つけた。それを拝借したのがトップ写真だ。おそらく農研機構の研究用の水田での田植えだろう。たしかに、二夫が田植え機を操作して田植えをするときの雰囲気もこんな感じだった。

 二夫(一家)が田植え機を導入した昭和40年代の半ばは、まさに田植え機が普及しつつあった頃で、二夫もいわば最新技術を搭載した「新品」を買ったはずだ。ヤンマーホームページの初期の田植え機の説明には、動力はガソリンエンジン、歩行走行とあるだけで、構造の詳細はわからない。

 機械音痴の二三四(わたし)には、初期の田植え機の詳細が書かれていたとしてもほとんど理解できないが、少年飛行兵時代、戦闘機の整備を担当していた二夫は、最新式農機の構造や動力、駆動などには強い興味を抱いたことだろう。頭の中で戦闘機との比較をしていたかもしれない。

 耕運機が導入されるまで、二夫たち、というより地域の農作業のほとんどに機械は使われていなかった。農家にとって、耕運機で「耕す」作業が動力化されたことは大きな変化だったはずだが、今度は田植えである。泥田に膝まで浸かり、腰を曲げてひと株ずつ手で植えていた作業を機械が取って代わる。人間はそれを押して歩くだけ。

 当時の農家にとっては夢のような話だ。その最先端を、働き盛りの二夫も走っていた。

【写真出所】 農研機構>広報誌「NARO」

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