昭和、男もつらかった 203 「てんがらもん」の長男① ネズミ年
昭和初期の鹿児島で農家の一人息子として生れ、戦時中は陸軍特別幹部候補生として内外地で戦闘機の整備に当たるも、復員後はふるさとで農に生きた二夫(つぎお。父)の物語。
このところ昭和40年代に二夫一家が農業実習生を受け入れたことを述べてきたが、その頃の子供たちの話をしてみたい。子供は上の男児(兄)と下の女児(わたし)の二人。昭和35(1960)年2月生まれの長男・カズアキは、当時小学校低学年だった。
「148 難産の末」で述べたように最初の子――しかも男の子――は死産だったため一家には跡継ぎの誕生が待たれた。幸い2年後に恵まれたのも男の子で、家族はもちろん近所の誰からも跡取りと目され、期待されて育つ。もちろんいちばん期待したのは二夫である。
しかし、と言っていいかどうか、カズアキはなかなかの「てんがらもん」であった。「てんがらもん」は「天外者」と書く場合があり、利口な人、スケールの大きな人を指す〈372〉。そこから転じて逆の意味に使い、手に負えない人を指す場合もある。子供であれば聞かん坊、いたずらっ子だ。
カズアキの場合後者であった。
ようは、近所の「てんがらもん」(悪ガキ)たちと野原や山を走り回り、ときにいたずらが過ぎて大人たちに叱られる、というパターンをいくつも踏んだ。そのエピソードのひとつは「177 タケノコ盗り」で披露しているとおりだ。
カズアキは、昭和ふうに言えば運動神経のいい――令和ふうなら身体能力が高い――子供だった。身軽で走るのが早く体力もあった。それはいずれ農業を継ぐために望ましい資質でもあり、二夫は我が子のそんな特質を好ましくも、誇らしくも思っていた。
何より二夫自身、身軽で足が速かった。常々、
「カズアキが走っとが速(はえ)とは、おいに似たたいが」
(カズアキがはしるのが速いのは、オレに似たんだろう)
と周囲に自慢げに語った。
体力自慢のカズアキは、一方で少しもじっとしていない子供でもあった。悪く言えば落ち着きがないのだ。ひと所にじっとして手作業などをするより、体全体を動かしているほうが楽しいのだろう。
その落ち着きのなさについては、二夫や妻のミヨ子(母)、それに両親(祖父母)までが
「あや(あいは)鼠(ねずん)じゃっで」
(あれは鼠だから)
と半ばあきらめ気味に漏らした。鼠年生まれだから、ネズミのようにちょこまかしている、という意味だ。
じっとしているのが苦手なせいか、本を読んだり絵描きや工作をしたり、ということには興味がない様子だった。子供に絵本などというものを頻繁に買い与える経済力が二夫たちにない、というよりそんな習慣は一家が所在する農村地帯にはとんどなかった。
「男ん子じゃっで、家ん中ぇ(なけぇ)おっておとなしゅしちょいよか、山ん中どま走ぃ回っちょっひこじゃなかと」
(男の子だから、家の中にいておとなしくしてるより、山の中なんか走り回るぐらいでないと)
いたずらには少々苦笑いしつつも、集落を含む周囲の大人たちはカズアキの「てんがらもん」ぶりはむしろ好意的に受け止めていた。(「てんがらもん」の長男②へ続く)
〈372〉スケールの大きい人として五代友厚を描いた映画に『天外者』(てんがらもん)がある。三浦春馬主演で2020年公開だったが、まさにコロナ禍と被り興行に苦戦したのは惜しまれる。鹿児島弁ネット辞典の「てんがらもん」の項はこちら。
