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BTS日本抽選は不公平?それとも希望?― 元ジャニヲタが考える“大人ARMYのためのユニバーサルデザイン”

「何年も応援しているのに、なぜ当たらないの?」
そう思ったことがあるARMYは、きっと少なくないはずです。
私はいわゆるDynamite勢アミです。コロナ禍でバンタン学を学び、あっという間に6年目に?!早いものです。「もう何年も」と言えるくらいにはアミ歴は重ねてきた感があります。

さて今日も、音色さんの記事にインスパイアされてしまいました。

この記事にある「日本人の農耕民族血汗涙感」(←勝手に名付けた)に深くうなずきながら、私は自分の中の思い出をさまよっていましたので、それらを書いてみます。


電話を連打していた時代を知っている

その昔、私はジャニヲタでした。
2000年代前後のことです。
チケットは「早い者勝ち」。販売開始と同時に電話をかけ続け、当時家電より早くつながるという公衆電話を確保し、時間少し前から番号を連打する。つながれば勝ち、つながらなければ終わり。
あの頃のチケット争奪戦は、今とは少し違う形の、体力と瞬発力と情報量の勝負でした。

若かった私は、それを“ゲーム”のように楽しんでいた部分もあります。
でも今振り返ると、あれは少し過酷なシステムでした。
今のBTSの他国チケッティングとは比べ物にはなりませんけどね…

抽選制は「救い」だった

私は、ジュニアとそこからデビューしてきたグループが好きでした。
長女が生まれたあたりから、何気なくテレビで見だした「8時だJ」「ザ少年倶楽部」。長女も巻き込みジャニヲタ熱は熱くなります。
テレビで見ているだけでは飽き足らない。アルバム購入はもちろん、コンサートにも目が行くようになりました。
娘は95Sで、当時そろそろ小学校高学年。一緒に行ける年齢です。

やがてファンクラブ制度が整備され、抽選制が導入されます。
2006年、発足した「You&I」(NEWS・KAT-TUN・関ジャニ∞の合同FC)に入会しました。
コンサート狙いです。

抽選は確実ではありません。落選もあります。
でもそこには、明確な違いがありました。

「会員である限り、申し込む権利は平等」

この安心感。

仕事や子育てが始まると、張り付いて情報を取ることは難しくなります。
遠征も簡単ではありません。
そんな中で、抽選は“時間がなくても参加できる仕組み”でした。

落選すれば落ち込みます。
でもSNSには同じように落ち込んでいる人がいる。
「今回はダメだったけど、来年は」
その言葉が、ファンダムをつなぎ止めていた気がします。

今回のJPFCの先行抽選結果の発表時のSNSの光景は、私には既視感があったんですが、これでした。

年齢を重ねても居場所があるか

もう少し思い出話を。
当時、その制度には「親子席」という区分もありました。
スタンド限定ですが、子育て世代にはありがたい存在でした。
ジュニア時代から応援してきたファンが、やがて子育て世代へ移行する。
その変化を前提に設計された座席だったのではないかと思います。(私見ですが)

ファンが年齢を重ねても、居場所が用意されている。
それは実は、とても重要なメッセージでした。

そしてBTSという巨大ファンダム

話は現在へ。

BTSは、日本だけの存在ではありません。ワールドワイドな巨大ファンダムを持つグループです。

当然、日本独自の仕組みがどこまで影響しているのかは分かりません。
(k-ポは日本のジャニーズ制度を参考にしたという話をちらっと見た記憶がありますが)

けれど、日本の抽選制度は、結果的に日本のARMYの多様な層を支えているように見えます。

時間に自由があり、戦略を立てられ、最新ツールを駆使できる人はいい。
でも、子育て世代、仕事に追われる世代、熟年層、高齢層のARMYも確実に存在します。
抽選は、そうした層にとっての「参加権の保証」になっている。

日本人と抽選という文化

ここから少し、社会考察モードです。(←ちょっと大げさ。ざっくりです)

日本社会は、競争を好む一方で、「手続きの公平性」を非常に重視する文化でもあります。
努力主義よりも、「ルールが平等に適用されているか」を重んじる傾向。

抽選は結果の平等ではありません。
でも、プロセスの平等は担保する。

この発想は、日本人の感覚に合っているのではないか。
この詳細は、先出の音色さんの記載に考察は詳しいのでそちらをどうぞ!

抽選はユニバーサルデザインか?

私は最近、この日本式抽選システムはある種のユニバーサルデザイン(UD)ではないか、とさえ思っています。
ユニバーサルデザインとは、本来、年齢や障がい、環境の違いにかかわらず、できるだけ多くの人が利用できるように設計するという考え方です。
もともとは建築やプロダクトの分野で使われてきた概念ですが、私はこれを“参加の仕組み”にも当てはめて考えてみたいのです。

身体が不自由でも
遠方に住んでいても
常時ネットに張り付けなくても

申し込みという入り口には立てる。

もちろん、当選確率の透明性や改善余地はあるでしょう。
それでも、

「ゼロではない」

と思わせてくれる設計は、巨大ファンダムの中では大きな意味を持つ。


本音を言えば、もちろん当たりたい。
それは強烈に願っています。

でも同時に、
この仕組みがあることで“居続けられる”ことに、私は少し救われてもいるのです。

抽選という仕組みは、どこか無機質で冷たいもののように見える。
でも、絶望を感じる瞬間があっても、
希望が完全には断たれない。

それが、日本の抽選システムが持つ静かな力なのかもしれません。

だから私は今日も、そのルールの中で希望を待っている。


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