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ミシュナ『Temura(テムラー)』の法理 第4回:鳥・穀物の献げ物(minchah)・共同体の献げ物・神殿維持(bedek habayit:ベデック・ハ・バイト)の家畜などのtemura適用除外原則、及び家畜の十分の一税(maaser beheimah)との比較論争


*本稿はモーセ五書(トーラ)レビ記27章が規定する「いけにえの交換(temura)」の禁止命令について、口伝律法ミシュナ第5部『Kodashim』の『Temurah(テムラー篇)』を参照して解説するシリーズ4回目である。

 今回は『Temura』第1章6節の法理を厳密に解説する。レビ記27章の記述(behemahの定義、および単数形主語)を根拠とし、鳥(鳥の献げ物)や穀物の献げ物(minchah)、共同体・共有の献げ物、および金銭的価値の聖別である神殿維持(bedek habayit)のための家畜が、なぜtemuraの適用除外となるのかを実証。

 さらに、ラビ・シモンによる家畜の十分の一税(maaser beheimah)を用いた比較解釈のアプローチにより、「個人所有」かつ「祭壇上のいけにえ」にのみtemuraが限定されるhalachah(ハラハー)の構造を解き明かす。


前回の振り返り:ミシュナ『Temura』1章3節・5節における四肢・胎児の聖性伝播限界とhalachahの検証

 前回は、ミシュナ第5部『Kodashim(コダシーム:聖物)』の『Temura:テムラー(いけにえの交換)』篇の第1章3節および5節の法理を解説した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】胎児および体の一部(四肢)における交換の不成立性


「Temura」1章3節に基づき、胎児や動物の体の一部は、temura(いけにえの交換)のプロセスに関わることができないという原則が示される。

①具体的な制限

 聖別された胎児の代わりに他の家畜の体の一部を充てることや、その逆、またはいけにえ全体の代わりに体の一部や胎児を交換に使うことは、すべて律法上無効と見なされ、temuraは成立しない。

②根拠

 レビ記27章10節にある「家畜(behemah:ベヘマー)」という言葉は、牛や羊などの個体を指し、胎児や体の一部はその概念に含まれないと解釈される為である。

【2】ラビ・ヨセの異論:体の一部からの全体聖別

 多数派の見解に対し、ラビ・ヨセは「体の一部を用いた交換は成立し得る」と主張した。

 ラビ・ヨセによれば、動物の足などの一部を聖別したとしても、レビ記27章9節の解釈(未完了形の解釈)に基づき、最終的にはその動物全体が聖別される。


 従って、いけにえの代わりに「他の動物の足」を使うことを宣言することは、事実上「その動物全体」を代わりにしようとすることと同義であり、temuraが成立すると説いた。

【3】「temuraはtemuraを生まず」:聖性伝播の限界

「Temura」1章5節では、聖性が無限に連鎖して伝播することはないという重要な法理が規定されている。

①二重交換の禁止

 いけにえ(A)の身代わりとして聖別されたtemura(B)をベースにして、さらに別の動物(C)をtemuraすることは出来ない。

②根拠

 レビ記の「それも、替えたものも、聖なるものとなる」という記述は、元のいけにえから一度だけ聖性が移ることを示していると解釈されている。

【4】献げ物の子に関する規定

 聖別されたいけにえから生まれた子もまた聖別されているが、この「子」をベースにしてtemura(交換)を行うことは出来ないとされている。

①ラビたちの論争

 ラビ・ユダは「いけにえの子はtemuraを作れる」と主張したが、多数派のラビたちは「temuraもいけにえの子も、新たなtemuraを生むことはない」と反論した。

②法的結論(halachah:ハラハー)

 最終的には、ラビたちの多数派見解(二次的なtemuraは認めない)がhalachahとされている。

【5】terumah(テルーマー)の重複不可

 農作物から祭司の為に取り分けるterumahについても同様の原則があり、一度誰かが正しく取り分けた作物に対して、後から別の者が重ねてterumahを取り分けようとしても、無効であるとされている。

 以上の内容に不安を感じる方は、以下リンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ『Temura(テムラー)』の法理 第3回:胎児・四肢の聖性伝播論争と「temuraはtemuraを生まない」というhalachah(ハラハー)

https://note.com/mishnah/n/n9e04cde22da8


ミシュナ『Temura』1章6節における適用除外のハラハー(halachah):鳥・穀物(minchah)の除外根拠


 今回はその続きである。口伝律法ミシュナ「Temura」1章6節から引用する。

 鳥の献げ物、minchahはtemuraを作らない。というのも、temuraは動物のみに関わるから。

(Temura 1:6)

 この原則はトーラから引き出されている。

 もし、その家畜を他の家畜と替えるならば、それも、替えたものも、聖なるものとなる。

(Temura 1:6)

 本文に「家畜(behemah:ベヘマー)」と書かれている。behemahは牛や羊、山羊、ロバなどを指し、鳥や穀物は含まない。

 そこで、鳥や穀物の献げ物(minchah)の代わりを宣言しても、temuraは生じない。

 続きには次のように書かれている。

共同体および共有名義の献げ物におけるtemuraの不成立:レビ記27章10節の単数形解釈

 共同体または共有のものはtemuraを作らない、というのも、次のように書かれている、「(彼は)それを他のものと替えたり、良いものを悪いものに、あるいは悪いものを良いものに替えてはならない。」(レビ27:10)これから、個人はtemuraをするが、共同体も共有者も出来ないことが分かる。 

(Temura 1:6)

 献げ物の代わりにしようとしてtemuraが生じるのは、個人が行う場合に限る。ミシュナ本文にある通り、レビ記27章10節には「(彼は)それを他のものと替えたり、良いものを悪いものに、あるいは悪いものを良いものに替えてはならない」と書かれており、主語が単数形である。

 共同体で献げ物をする時、例えば日毎の焼き尽くす献げ物の子羊として取り分けたいけにえの代わりに、別の子羊を使おうとしても、temuraにならないことになる。

 同様のことは、例えばA氏とB氏が兄弟で、父親から遺産を相続し、いけにえを共有している場合にも言える。ここで他の家畜を代わりのいけにえにしようとしても、temuraは生じない。

 続きには次のように書かれている。

レビ記27章9〜10節に基づく、祭壇の献げ物における「本質の聖別」とbedek habayitにおける「金銭価値の聖別」の法理的境界

 神殿維持の為の献げ物も、temuraをしない。

(Temura 1:6)

 「献げ物」と訳されるので誤解を招きそうだが、文字通り祭壇に献げる献げ物ではない。

 エルサレム神殿については、建物の修理、祭司の衣服の調達、道具の購入などのために、家畜、土地、物品、お金などが寄付されることがある。

 これらのものは「bedek habayit(ベデック・ハ・バイト)」(神殿の検査、修理)と呼ばれている。

 本節のミシュナの「神殿維持の為の献げ物」とは、神殿の維持の為に寄付された家畜であり、bedek habayit(ベデック・ハ・バイトである。

 聖性には2種類ある。献げ物の場合は、その本質が聖別されている。bedek habayitはその金銭的な価値が聖別されている。そこで、bedek habayitが売却されると、その物の聖性は売上金に移ることになる。

 例えば、羊が神殿の維持の為に聖別されたとする。羊において聖別されているのは、その金銭的な価値である。売却した場合、その聖別されている価値は売上金に移り、羊は世俗の、普通の羊になる。

 売上金は世俗の用途には用いず、神殿の維持の為に使われることになる。

 ところで、トーラにおけるtemuraの箇所の冒頭は次のように書かれている。

 9もし、主への献げ物として家畜を携える場合、主にささげるものはすべて、聖なるものとなる。 10それを他のものと替えたり、良いものを悪いものに、あるいは悪いものを良いものに替えてはならない。もし、その家畜を他の家畜と替えるならば、それも、替えたものも、聖なるものとなる。

(レビ27:9~10)

 9節に「主への献げ物として家畜を携える場合」とあり、明らかに祭壇に献げる献げ物を指している。金銭的な価値が聖別されている家畜はここには含まれない。

 そこで「神殿維持の為の献げ物も、temuraをしない」(Temura 1:6)ことになる。

 続きには次のように書かれている。

ラビ・シモンの比較解釈アプローチ:家畜の十分の一税(maaser beheimah)からのアプローチ

 ラビ・シモンは言った、「しかしmaaser beheimahは、temuraに従う献げ物の分類に含まれないだろうか、なぜそれが選ばれているのだろうか?比較する為である。maaser beheimahは個人の献げ物であるが、これによって共有のものが除かれる。maaser beheimahは祭壇の献げ物であるが、これによって神殿の維持のものが除かれる。」

(Temura 1:6)

 この箇所は一見難解に見えるが、結論から述べると、ラビ・シモンはtemuraに関する上記の見解を支持している。つまり共同体の献げ物、共有の献げ物に関してtemuraは生じず、神殿維持の為の家畜もtemuraは問題にならない。

 ただ、ラビ・シモンはこの結論を異なった点からアプローチしている。レビ記27章32~33節を引用する。

 32牛や羊の群れの十分の一については、牧者の杖の下をくぐる十頭目のものはすべて、聖なるもので主に属する。 33この十分の一の家畜を見て、その良し悪しを判断したり、それを他のものと取り替えたりしてはならない。もし、他のものと取り替えるならば、それも取り替えたものも聖なるものとなり、買い戻すことはできない。

(レビ27:32~33)

 家畜の十分の一税はmaaser beheimah(マアセル・ベヘマー)と呼ばれる。トーラ本文の通り、一定の仕方で数えて、10頭目(10匹目)は聖別され、祭壇に献げられる。

 このmaaser beheimahに関する教えの中に、33節でtemuraの掟が準用されているのである。つまり10頭目を他の家畜と替えてはならず、もしも取り替えようとするなら、元の10頭目も、替えようとしたものも聖別されるという事である。

 ラビ・シモンはここでtemuraについて書かれているのは、temuraに関する重要な2つの原則をここから引き出すことが出来るからと主張する。

 箇条書きにすると、以下の通りになる。

1.maaser beheimahは、共有されている家畜に関しては免責されている。個人所有のものだけが、maaser beheimahの義務がある。

 temuraの掟がここに書かれているのは、「個人所有のものだけ」を示す為でもある。

2.maaser beheimahは祭壇で献げられる。

 temuraの掟がここに書かれているのは、「祭壇上に献げるいけにえだけ」に適用されることを示す為でもある。

 ラビ・シモンはこのように異なった視点から述べているが、「temuraが生じるのは個人所有のものであり、祭壇で献げるいけにえだけ」という原則を述べているものである。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Temura』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n6974756a85bf


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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