安息日の移動制限「techum(テフーム)」の法理体系(下):ミシュナ『Eruvin(エルーヴィン)』に基づくeruvei techuminの規定と境界混合の定義
*本稿では、ユダヤ教安息日の移動制限規定「techum(テフーム)」の応用理論である「eruvei techumin(エルーヴェイ・テフーミン/境界の混合)」を詳解する。口伝律法『ミシュナ』の「Eruvin(エルーヴィン)」篇を一次資料とし、居住地の再設定プロセス、拠点認定に必要な「2食分」のパンの分量議論(ラビ・メイル、ラビ・ユダ等の諸説)、および貨幣・体積単位を用いた算定根拠を網羅。
単なる移動の便宜供与ではなく、「掟の遵守」という公的な意図に基づく法理体系の全容を、日本語圏における聖書学再構築の視座から手加減抜きで解説する。
前回の復習:安息日における移動制限の聖書的根拠と算定基準
前回は以下の内容を確認した。
【1】安息日の移動制限の聖書的根拠
安息日の移動制限は、出エジプト記16章29節の「七日目にはそれぞれ自分の所にとどまり、その場所から出てはならない」という記述を根拠としている。タルムードでは、この一節から以下の2つの原則が導き出されている。
①「自分の所にとどまる」
個人の最小居住単位(4キュビット)の規定。
②「その場所から出てはならない」
居住地からの移動可能距離(2,000キュビット)の規定。
【2】移動可能距離(2,000キュビット)の算定根拠
「場所(マコム)」(出16:29)という語が使われている他の箇所の中でも、民数記の「逃れの町(レビ人の町)」の規格が参照されている。
逃れの町の城壁から外側2,000アンマ(キュビット)までがその町の一部と見なされることから、安息日に移動してよい範囲は「居住地から2,000キュビット(約1キロメートル)以内」と定められた。
これは町の中であれば自由に動けるが、町の外に出た場合、距離制限が適用されることを意味する。
【3】最小居住単位「4キュビット」の定義
安息日が始まった時に町の外にいた場合など、特定の居住地を持たない状況では、本人の周囲4キュビット(約2メートル)が「自分の場所」と見なされる。
これは人間の標準的な体の大きさを考慮し、一人分の専有面積として規定されたものである。
【4】具体的な事例と法的解釈(ミシュナ「Eruvin」より)
状況に応じて、移動制限の適用には例外や議論が存在する。
①不可抗力による移動
異邦人に連れ出されたり、精神的錯乱で境界外に出たりした場合は、その場所から4キュビットしか動けない。
ただし、安息日中に元の境界内に連れ戻された場合は、最初から外に出なかったものとして扱われる。
②公的な目的
人助けや出産の手伝いなど、公的な目的で境界を出た者が、安息日の開始した後、途中で目的が果たされた(あるいは間に合わなかった)と知った場合、その地点を中心に2,000キュビットの移動権が与えられる。
旅人が無意識に町の近く(2,000キュビット以内)で安息日を迎えた場合、その町に入ってよいかについてラビの間で意見が分かれている。
ラビ・メイルは「町を拠点とする意図がなかったため不可」とし、ラビ・ユダは「物理的に範囲内にいるなら意図に関わらず入ってよい」と主張した。
これらの移動制限の範囲はtechum(テフーム)と呼ばれる。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉安息日の移動制限「techum(テフーム)」の法理体系(上):出エジプト記16章及びミシュナ『Eruvin(エルーヴィン)』に基づく律法規定の詳解
https://note.com/mishnah/n/n507daf8d6dbe
eruvei techumin(エルーヴェイ・テフーミン)による境界の再設定
今回はその続きとして、eruvei techumin(エルーヴェイ・テフーミン)について扱う。これは直訳すると「techum(境界)を混合する」というような具合である。
以下、その内容を見てみよう。
上で復習した通り、安息日には移動制限がかかる。最大でも居住場所から2,000キュビットまでしか動けない。
律法上、安息日開始時点の居住地を別の場所に設定し、そこを2,000キュビットの基準点とする。この手続き全般がeruvei techuminである。
方法は2つある。
1つ目はある意味で容易な方法である。安息日の日没前に、ある場所まで移動して、そこを居住地として設定する。
それによって、そこから2,000キュビットは移動可能になる。
2つ目の方法は若干複雑である。これは図を見た方が分かりやすい。
下の図は通常のtechumである。

本人が円の中心におり、そこから円周までの2,000キュビットまで移動可能である。
eruvei techuminの2つ目の方法では、日没開始時点では円周上にいる。下の図を見て欲しい。

中心部分に居住地を設定するので、安息日の開始後にそこまで移動出来る。しかも、この枠組みでは更に2,000キュビット移動することが可能になる。
従って、この方法では安息日の開始後、事実上最大で4,000キュビット移動出来ることになる。
次にこの2番目の設定の為の手続きについて触れる。
安息日の開始前にその場所へ行き、一定量(2食分)のパンをそこに置く。それによって、安息日開始の日没と共に、そこが本人の居住地と見なされる。
ミシュナ『Eruvin(エルーヴィン)』8章における「2食分」の法理的定義
「2食分」が具体的にどの程度の分量であるのか、ミシュナ「Eruvin」8章で議論されている。次のように書かれている。
どのくらいの量であろうか?各自に2回分の食事である。週日のものであり、安息日のものではない。-これはラビ・メイルの言葉である。ラビ・ユダは言う、「安息日のものであり、週日のものではない。」どちらも緩やかに規定することを意図する。
安息日と週日では食べる分量が異なる。2食分の基準がどちらの日になるかが論じられている。次のようにまとめられる。
①ラビ・メイルの見解
平日を基準とする。安息日の方が念入りに調理するので、安息日に多くのパンを食べると主張する。平日分で十分である。
②ラビ・ユダ
安息日を基準とする。安息日には、日没前にもう1食食べるので、1回分のパンの分量が少ない。安息日の分で十分である。
両者の基準とする日は異なっているが、その趣旨は同じである。分量が少ない方で、eruvei techuminの準備として十分とするものである。
それが「どちらも緩やかに規定することを意図する」(ibid.)ことの意味である。
次は当時の貨幣単位や体積単位を用いて、2食分はどの程度かを確定させようとする議論である。
ラビ・ヨハナン・ベン・ベコラは言う、「1プンデオンに相当するパンである、4セアが1セラかかる場合には。」ラビ・シモンは言う、「3分の2のパンである、それは3分の1カヴである。」
これは以下のようにまとめることが出来る。
③ラビ・ヨハナン・ベン・ベロカ
「4セアの小麦が1セラ(通貨単位)で売られている時1プンデオン(通貨単位)で買えるパン」が基準になる。
④ラビ・シモン
「3分の1カヴ(=9分の3カヴ)」のパンの3分の2、つまり9分の2カヴが基準であるとする。
以上は参考までに記しておく。
eruvei techuminの有効条件と共同体的運用
次にパン以外の食べ物についてである。次のように書かれている。
水と塩以外の如何なる食べ物も、eruvまたは・・(中略)・・ として使うことが出来る。
水と塩がeruvei techuminから除かれているのは、それによって人が養われない、栄養を得ないからとされている。
次に制限行為能力者とeruvの代理行為についてである。
もし誰かが耳の聞こえず、話の出来ない人、精神的に不安的な者、未成年者、eruvの律法を受け入れていない者にeruvを託して遣わすなら、そのeruvは有効ではない。しかしもし誰かがそれらの者からeruvを受け取るように誰かを遣わすなら、そのeruvは有効である。
冒頭は制限行為能力者に食事を持たせて遣わしても、そのeruvは有効ではないことを言っている。
後半部分はeruvについて意図した者、実際に食べ物を置いた者が行為能力者であるので、eruvは有効と見なされる。
最後に共同体的なeruvei techuminについて触れる。
私たちはどのように共通のeruvei techuminをするのだろうか?誰かが樽を1つ置き、宣言する、「これが町の住民全ての為になるように」-というのも、誰であれ喪中の家に、または喜びの家に行くから。誰であれ、日中に受け入れた者は許される、日没後は許されない。なぜなら日没後は、eruvは許されない。
共同体としてeruvを設定する場合、全ての者のeruvに足る分量の樽を置き、本文の通り宣言する。
「誰であれ喪中の家に、または喜びの家に行くから」の部分は宣言の一部ではない。
これは親しい人を亡くしたご遺族と悲しみを共にする為、または結婚式の婚宴に参加する為というeruvの意図を示している。
eruvは個人的な事情で設定するものではなく、掟の遵守の為に設定するという趣旨である。
個人的な事情で設定するなら、安息日の遵守の掟を事実上侵食することになるからである。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
