ミシュナ『Makkot(マッコート)』の法理 第5回――ナジル人の禁止規定・衣類のkilayim(キルアイム)の禁止規定における罪の個数、及び申命記25章「b'mispar arba'im(ベミスパル・アルバイーム)」における39回の鞭打ち刑の解釈
*この記事は、ミシュナ『Makkot』研究シリーズの第5回目として書き下ろした独自の解説記事です。
(本稿は、2,000年前の古代ユダヤ法(口伝律法ミシュナ『Makkot』篇)における刑事手続、および比較法制史・聖書解釈学の観点から律法条文を構造的に分析・検証する純粋な学術研究記事です。記述される刑罰[鞭打ち等]の内容はすべて歴史的文献の客観的な法理学的議論に基づくものであり、特定の行為の助長、現代における身体的暴力の肯定、教唆等を目的とするものではありません)
ミシュナ『Makkot(マッコート)』3章7節~10節が定める刑事的有責性の法理を、伝統的註釈に基づき厳密に解釈・検証する。
ナジル人のぶどう酒飲用および死者による汚れ、また毛糸と亜麻糸の混紡(kilayim/キルアイム)の事例から、ハラーハーにおける「事前の警告」と罪の累積の原則を網羅。
更に申命記25章3節の聖句における「arba'im b'mispar」(アルバイーム・ベミスパル)ではなく「b'mispar arba'im」(ベミスパル・アルバイーム)という語順の言語的構造から、鞭打ち刑の上限が「40マイナス1回(39回)」へと帰結するラビたちの律法解釈論争(ラビ・ユダの見解を含む)を徹底的に解説する。
前回の振り返り:修復可能な禁止命令の原則とハラーハー的構成要件
ミシュナ『Makkot(マッコート)』3章4節から6節に基づき、「修復可能な禁止命令」という法理上の原則と、身体の毀損(剃髪・髭剃り・自傷行為・入れ墨)に関する有責性の構成要件を解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】修復可能な禁止命令の原則(「鳥の巣の掟」を例に)
トーラの次の箇所が具体的な事例として挙げられている。
「6道端の木の上または地面に鳥の巣を見つけ、その中に雛か卵があって、母鳥がその雛か卵を抱いているときは、母鳥をその母鳥の産んだものと共に取ってはならない。 7必ず母鳥を追い払い、母鳥が産んだものだけを取らねばならない。」(申22:6~7)
ここには禁止命令(母鳥と雛、または母鳥と卵を一緒に取ってはならない)と肯定的命令(母鳥を逃がさなければならない)が並行して書かれている。
これをどのように解釈するのか論じられている。
①ラビ・ユダの見解
「肯定的命令はそもそも最初からなすべき行為とする見解」の立場を取っている。そこで彼は、禁止命令を犯すことで鞭打ち刑に処される。
②ラビたちの見解
「肯定的命令は禁止を犯してしまった場合になすべき行為とする見解」の立場を取っている。彼は禁止命令を破ったとしても、肯定的命令を実行することで免責される。
halachahはラビたちの見解である。
一般原則として「如何なる禁止命令であっても、肯定的命令の内に置かれたなら、肯定的命令を行うことで免責される」とされる。
【2】剃髪・髭剃り・自傷行為の禁止規定(3章5節)
以下の行為は鞭打ち刑の対象となる。
①剃髪と髭
もみ上げを剃り落として頭の髪のラインを丸くすることや、髭を剃ること(具体的な箇所が不明確なため、伝統的には一切剃らない)が禁じられている。
②死者を悼む行為
悲しみのあまり自分の体を傷つけたり、髪を抜いて額をそり上げたりすることは、異教の習慣と関連して厳格に禁じられている。
【3】入れ墨(タトゥー)の法的構成要件(3章6節)
入れ墨が有責となるには、単に肌に描くだけではなく、2つの条件を満たす必要がある。
それは「皮膚を傷つける(刺す)」こと、かつ「インクや染料で描く(しるしを残す)」ことの両方が行われた場合である。
この両方が行われた場合のみ、鞭打ち刑の対象となる。
描いただけで刺していない場合、または刺しただけで描いていない(色を入れていない)場合は有責ではない。
この点ラビ・シモンは、「(異教の神の)名前を描いた場合」にのみ有責であるという、より限定的な見解を示している。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Makkot(マッコート)』の法理 第4回――修復可能な禁止命令の原則と、剃髪・髭剃り・自傷行為・入れ墨(タトゥー)のハラーハー的構成要件
https://note.com/mishnah/n/nabb5c8e6d509
ナジル人の刑事的有責性要件と警告の法理(3章7節〜8節)
今回はその続きである。口伝律法ミシュナ「Makkot」3章7節から引用する。
一日中ぶどう酒を飲むナジル人は、1回についてのみ有責である。もし彼らが彼に「飲んではならない、飲んではならない」と言い、彼が飲み続けたのなら、-彼はそれぞれについて有責である。
ナジル人はぶどうの木からできるものを口にしてはならない。次のように書かれている。
ナジル人である期間中は、ぶどうの木からできるものはすべて、熟さない房も皮も食べてはならない。
勿論ぶどう酒も飲んではならないとされている。
本節の「一日中ぶどう酒を飲むナジル人は、1回についてのみ有責である」というミシュナでは、1回だけ警告を受けたが受け入れず、1日中ぶどう酒を飲み続けた場合の扱いである。
この場合、1セット分の鞭打ち刑についてのみ有責である。これは律法において刑事的に有責になる為には、次の条件を満たさなくてはならないからである。
①事前に警告した。
②警告を受けた者が警告を無視し、罪を犯した。
今回の場合、警告は1回しか与えられていない。そこで鞭打ち刑も1セットのみ課されることになる。
その後の「もし彼らが彼に『飲んではならない、飲んではならない』と言い、彼が飲み続けたのなら、-彼はそれぞれについて有責である」とは、この応用である。
2回警告を受けたのに飲み続けたのなら、2セットの鞭打ち刑になり、10回なら10セットになるという事である。
ナジル人について、同様の事例が「Makkot」に挙げられている。
もし死者によって一日中汚れ続けているのなら、彼は1回についてのみ有責である。「汚れてはならない、汚れてはならない」と言い、彼が汚れ続けたのなら、-彼はそれぞれについて有責である。
ナジル人は死者によって汚れてはならない。次のように書かれている。
父母、兄弟姉妹が死んだときも、彼らに触れて汚れを受けてはならない。
これはたとえ近親者が死去したとしても、ナジル人はその遺体に触れてはならないし、それどころか、同じ屋根の下に意図的に入ってはならないことを言っている。
もし意図的でなく死者による汚れを受けたなら、7日間の清めの手続きを受けるだけで足りるが、意図的であるなら、鞭打ち刑も受けなくてはならない。
「Makkot」3章8節をまとめると、次のようになる。
①ナジル人に対して、「死者によって汚れてはならない」ことを事前に警告した。
②警告を受けた者が警告を無視し、その直後に死者による汚れを受けた。
これによって、このナジル人は1セットの鞭打ち刑を受ける。
しかし複数回の警告を受けていたのなら、その回数だけのセットの鞭打ち刑を受ける。
同じような事例をもう1つ挙げておこう。
衣類の混紡(kilayim:キルアイム)における禁止規定
もし彼が一日中kilayimを着続けたのなら、1回についてのみ有責である。もし彼らが彼に「着てはならない、着てはならない」と言い、彼が脱いだにも関わらず着たのなら、-彼はそれぞれについて有責である。
これはトーラの次の掟に関わっている。
毛糸と亜麻糸とを織り合わせた着物を着てはならない。
毛糸と亜麻とを織り合わせたものは、kilayim(キルアイム)と呼ばれ、それを着用することは禁止されている。
これも1回の警告を無視したなら1セットの鞭打ち刑であり、複数回の警告を無視したなら、その回数だけの鞭打ち刑を受けることになる。
なお、kilayimは衣類だけに関わらない。トーラには次のように書かれている。
9ぶどう畑にそれと別の種を蒔いてはならない。あなたの蒔く種の実りも、ぶどう畑本来の収穫も共に汚れたものとならないためである。 10牛とろばとを組にして耕してはならない。
ぶどう畑に他の種類の種を蒔くことと、牛とろばを同じ軛で繋いで働かせることが禁止されている。これもkilayimと呼ばれる。
ただしkilayimの実践はもっと詳細に定められており、これについては別の回でまとめて扱う。
次は鞭打ち刑の回数である。
鞭打ち刑の回数をめぐる論争と「b'mispar arba'im」の言語的構造(3章10節)
私たちは何回彼を鞭打つのだろうか?40マイナス1回である。次のように書かれている。「四十回までは打ってもよいが、それ以上はいけない」(申25:3)。-40に近い数とされる 。ラビ・ユダは言う、「彼は40回打たれる」。あとの1回はどこに打たれるのだろうか?肩の間である。
トーラにおいては、このミシュナで引用されている通り、申命記25章で「40回」と回数が明記されている。しかし実際に打たれる回数の上限は「40マイナス1回」であり、つまり39回である。
「実際は39回」については、2つの仕方で考えられている。
①トーラにおける表現「b'mispar arba'im」(in number forty)の解釈
1つは申命記のこの箇所の表現である。通常の用法である「arba'im b'mispar」(アルバイーム・ベミスパル/forty in number)という言い方ではなく、「b'mispar arba'im」(ベミスパル・アルバイーム/in number forty)という言い方がされている。
これはラビたちの間で「40ではないが、40に関係する数、すなわちその直前の39」という風に解釈されている。
②トーラの規定回数を越えない為:過失防止と受刑者の体力に応じた減数
これはたとえ刑罰の執行官が数を間違えたとしても、トーラに定められた数を越えることのないようにという配慮である。
さて、実際の執行にあたっては「40マイナス1回」という数は、必ず課される回数ではない。受刑者の体力はそれぞれ異なる。
受刑者の体力を見極め、受刑者が耐えられる限りの回数にとどめなくてはならない。従って、現場で39回よりも少ない回数で終わらせる権限が与えられている。
ラビ・ユダはこの点で異論を唱え、トーラの回数は文字通りに実行されるべきとする。彼によると、40回目の鞭は肩の間に打たれる。
他の39回については、次回扱う。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Makkot』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n66ed90d1aaf4
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
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◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
