除酵祭の法理 第1回:酵母(chametz:ハメツ)の捜索規定と過越のいけにえにおける「意図」の無効性
*ユダヤ教の最高権威であるトーラ(モーセ五書)と口伝律法『ミシュナ』の記述から「除酵祭」の真の姿を解き明かすシリーズ1回目。
今回はニサンの月の14日に行われる酵母(chametz:ハメツ)の捜索・廃棄の厳格な時間規定、および祭司による「いけにえの奉仕(avodah:アボダー)」における「意図」が法理上いかなる影響を及ぼすかを網羅。
日本語圏における聖書学の再構築を目指し、2,000年前の律法の現場を鮮やかに再現します。
序:過越祭と除酵祭の峻別
以前に私は過越祭について記事を書いた。過越祭と除酵祭の区別が出来ていない人が多いと思うが、過越祭はニサンの月の14日の午後、いけにえを屠るところから始まり、日没後食事をするところまでを指すものである。
除酵祭はそれから7日間の祭りの期間を言う。
過越祭については、あやふやな方は下のリンクから確認して欲しい。
◉過越祭の法理第1回:エジプトと諸世代の過越を分かつ「登録」と「調理」の規定
https://note.com/mishnah/n/n61278eb42b58
◉過越祭の法理第2回:不適格な肉の焼却規定(notar:ノタール)と「自由人」としての食事作法
https://note.com/mishnah/n/nd2ca7221d46a
まずは旧約聖書の最高権威であるトーラ(モーセ五書)から引用する。
トーラにおける除酵祭の不変の定め
15七日の間、あなたたちは酵母を入れないパンを食べる。まず、祭りの最初の日に家から酵母を取り除く。この日から第七日までの間に酵母入りのパンを食べた者は、すべてイスラエルから断たれる。 16最初の日に聖なる集会を開き、第七日にも聖なる集会を開かねばならない。この両日にはいかなる仕事もしてはならない。ただし、それぞれの食事の用意を除く。これだけは行ってもよい。 17あなたたちは除酵祭を守らねばならない。なぜなら、まさにこの日に、わたしはあなたたちの部隊をエジプトの国から導き出したからである。それゆえ、この日を代々にわたって守るべき不変の定めとして守らねばならない。 18正月の十四日の夕方からその月の二十一日の夕方まで、酵母を入れないパンを食べる。 19七日の間、家の中に酵母があってはならない。酵母の入ったものを食べる者は、寄留者であれその土地に生まれた者であれ、すべて、イスラエルの共同体から断たれる。 20酵母の入ったものは一切食べてはならない。あなたたちの住む所ではどこでも、酵母を入れないパンを食べねばならない。
本文の算用数字は節番号である。
最初に「まず、祭りの最初の日に家から酵母を取り除く」という箇所を扱う。口伝律法ミシュナ「Pesachim」1章を見てみよう。
酵母(chametz:ハメツ)捜索の法理:ミシュナ 「Pesachim」 1章
ニサンの月の14日の夕方、私たちはろうそくの光で酵母を探す。酵母を持ち込まない場所では、探す必要はない。
ユダヤ暦は日没から1日が始まるので、慣れるまで混乱する。ここで言う「ニサンの月の14日の夕方」とは、私たちの感覚では「過越祭の前日の夜」に相当する。
捜索の時間と「光」の語法
原文ではここの「夕方」には「光」の単語が当てられており、文字通りには「ニサンの月の14日の光」となる。しかし彼らの語法として「多くの光」が「目の見えない人」を表すように、ここでも「暗闇」を指している。つまり夜のことを言っている。
翌朝ではなく、夜が選ばれているのは、家族が家におり、ろうそくを持って「探す」のに適切な時間であるからと思われる。
本文の通り、「酵母を持ち込まない場所では、探す必要はない」とされる。次節に進む。
私たちはイタチが酵母を家から家へ、場所から場所へ動かしたかもしれないと心配する必要はない。というのも、もしそうなら、私たちは庭から庭へ、町から町へ心配しなくてはならず、終わりがなくなる。
誠実な捜索の限界:イタチの例え
酵母(chametz:ハメツ)の捜索はトーラに明記された非常に重要な義務であるが、数学的な可能性の全てを追いかけることまで求められていない。
神が求めているのは「町中のchametz(ハメツ:酵母)を一粒残らず、目に見えないものまで取り除くこと」ではなく、誠実な捜索であるから。
次節に進む。
捜索の遅延とハラハー(律法)の善後策
ラビ・ユダは言う、「私たちは14日の夕方に探さなくてはならない、または14日の朝に。または排除する時間に 」。
しかしラビたちは言う、「もし誰かが14日の夕方に探していないなら、14日の日中に探す。14日の日中に探していないなら、祭りの間に探す。祭りの間に探していないなら、祭りの終わった後に探す 。
ここは捜索するのに望ましい時間と、それが出来なかった場合の善後策について述べられている。2つの見解が示されている。
①ラビ・ユダの見解
14日の夜: 本来、この時間(14日に入る直前の晩)に捜索を行うべきである。
14日の朝: 夜に出来なかった場合は、この時間に行う。
排除(焼却)の時間: 朝にもできなかった場合は、chametzを処分する時間に行う。
ラビ・ユダの見解は定められた「14日の期限内」に完了させるべきであると強調するものである。
②ラビたちの見解
14日の夜: 基本の捜索時間。
14日の日中: 夜に捜索しなかった場合、この間に行う。
祭りの期間中:祭り(7日間)の間であっても、気付いた時点ですぐに捜索を行う。
祭りの終了後: もし祭りの期間も探せていないなら、祭りが終わった後であっても(不法に所有していたchametzを処分するために)捜索を行う。
祭りの期間中に処分しなかったchametzが見付かった場合、それは祭りの後であっても食べることも利益を得ることも禁じられる。その為、適切に処分する必要がある。
この見解がhalachah(ハラハー)とされる。次の原則を確認する。
この日から第七日までの間に酵母入りのパンを食べた者は、すべてイスラエルから断たれる。
これについて、初日のことは具体的に「Pesachim」で定められている。
ラビ・メイルは言う、「私たちは5時には酵母を食べてよい。6時の開始と共にそれを焼く」。
しかしラビ・ユダは言う、「私たちは4時に食べてよいが、5時には差し控える。6時の開始と共にそれを焼く。」
ユダヤ暦では以前述べた通り、日の出から日没までの時間を12等分し、その1つ1つが「1時間」になる。私たちの時間概念とは異なる。
6時がちょうど正午になると思われる。
ここでも2つの見解が示されている。食べてよい時間については多少の差異があるが、どちらの見解でも正午には焼いて廃棄する点で一致している。
従って、ニサンの月の14日の正午以降、酵母は無い筈である。
いけにえの奉仕(avodah:アボダー)と酵母の保持禁止
酵母を保持したまま過越のいけにえを屠ることについては、次のように言われている。
あなたは、わたしにささげるいけにえの血を、酵母を入れたパンと共にささげてはならない。
この節はchametzを保持したまま、過越のいけにえを焼いてはならないという意味に解釈されている。
この点について、「Pesachim」5章で詳しく論じられている。
過越のいけにえをchametzを保持しながら屠ることは、禁止命令に違反する。
ラビ・ユダは言う、「日毎の献げ物も。」
最初の一文はトーラの原則を確認したものである。次のラビ・ユダの見解は、過越のいけにえを屠る前の、午後のtamidの時にもchametzを保持していてはならないことを言っている。
ニサンの月の14日の午後のtamidは、彼らの時間の7時半(午後2時半頃)に屠られる。その時点で保持していてはならない。
「Pesachim」5章4節のこの後に続く掟は、ほとんどの読者にとっては難解であり、細かすぎるようにも思える。しかし大きな学びになると思うので、少しだけ解説する。まずは本文から。
奉仕における「意図」の法理的分析
ラビ・シモンは言う、「14日に過越のいけにえをその意図で献げるなら有責である。しかし他の意図であるなら、彼は有責ではない。」
まず、祭壇でいけにえを献げる工程は以下の4つが枢要である。
4つの過程からなっている。
枢要な4つの奉仕過程
①shechitah
屠ること。
②kabbalah(カバラー)
屠られたいけにえの血を祭器具kli shareit(クリ・シャーレット)で受けること。
③holachah(ホラーハー)
血を祭壇に運ぶこと
④zerikah(ゼリカー)
血を振りかけること。
この内、②~④は全ての種類の献げ物において、祭司が行わなくてはならない。それ以外の者が行った場合は無効になる。
①のshechitahについては、やり方が決まっており、それもミシュナに明記されている。
ここでラビ・シモンが問題にしているのは①であるが、shechitahの方法ではなく、この時に「shechitahする時には、既に」酵母を保持していてはならないということである。
あなたは、わたしにささげるいけにえの血を、酵母を入れたパンと共にささげてはならない。
彼は下のように述べた。
14日に過越のいけにえをその意図で献げるなら有責である。しかし他の意図であるなら、彼は有責ではない。
これは過越のいけにえをshechitahする時、それ以外の意図で屠った場合は無効になるので、出エジプト記34章25節の禁止命令に違反していないというものである。
なぜなら、過越のいけにえ自体が無効になったので、「過越のいけにえを屠る時、chametzを保持していてはならない」という禁止にかかりようがないからである。
いけにえは本来、それが献げられる意図をもって、shechitahし、上記①~④の枢要な奉仕(avodah:アボダーと呼ぶ)もしなくてはならない。
「正しく献げられるべき意図」とは、次のことを言う。
祭司は本来意図された意図で献げ物を献げなくてはならない。例えば焼き尽くす献げ物で献げるものを、贖罪の献げ物を献げる意図で奉仕してはならない。
祭司は所有者の為に献げる意図で、献げる奉仕をしなくてはならない。誤って別人を意図して献げてはならない。
これについて、ミシュナ「Zevachim」1章1節に次のように書かれている。
「有効」と「義務の達成」の相違:ミシュナ 「Zevachim」1章
その本来の意図と異なる意図で屠ったものは有効である 。しかし義務を果たしたことにはならない。ただし過越の献げ物と贖罪の献げ物は別である。
ほとんどの献げ物は2つの意図の条件を満たさなくても、祭儀は続けられ、献げ物は焼かれる。しかしそれが義務のものであるのなら、所有者は再び有効に献げなくてはならない。それが「義務を果たしたことにはならない」の意味である。
例えば賠償の献げ物を献げなくてはならない者は、祭儀の完成を見守るが、それを再び献げ直すことになる。
結び:過越といけにえの例外規定
この例外が過越のいけにえと贖罪の献げ物である。
この2つの献げ物の場合、義務を果たしたことにならないのは勿論だが、献げ物自体が無効になる、奉仕(avodah)を続けてはならないとされる。
もしもshechitahした後で気付いたら、祭司は血を受けてはならない。その後なら祭壇に血を運ぶこと、振りかけること、肉を祭壇で燃やすことが随時中断され、取りやめになる。
今回の解説は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉三大祭りの法理学全説:トーラとミシュナから復元する過越祭・除酵祭(Pesach:ペサハ)、七週祭(Shavuot:シャヴオット)、仮庵祭(Succot:スコット)(全18記事・完結)
https://note.com/mishnah/n/n8fa728c36e30
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
