過越祭の法理第1回:エジプトと諸世代の過越を分かつ「登録」と「調理」の規定
*「小羊の血を鴨居に塗る」――それは最初の「過越」限定の掟でした。本連載では、日本における表層的な聖書解説を退け、モーセ五書(トーラ)と口伝律法『ミシュナ』の厳密な対照によって、2,000年前の祭儀の真実を復元します。
第1回は、エジプトにおける1回限りの過越と諸世代による七日間の過越の相違を起点とし、いけにえに与るメンバーの登録による家族の連帯、そして鉄の串を禁ずる調理法の掟を解明します。
聖書学の再構築を目指す「手加減抜き」の連続講義の第1回をご覧下さい。
はじめに:トーラとミシュナの対照
今回から数回過越祭について解説しようと思う。まずはトーラ(モーセ五書)から引用する。
1エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。 2「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。 3イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。 4もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。 5その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。 6それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、 7その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。 8そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。 9肉は生で食べたり、煮て食べてはならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。 10それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却する。 11それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。
本文の算用数字は節番号である。ここではまず、エジプトを出る時の過越と、後の過越祭の区別を理解しなくてはならない。口伝律法ミシュナ「Pesachim(ペサヒーム)」9章5節を見てみよう。
エジプトの過越と諸世代の過越における四つの相違点
エジプトにおけるpesachと、諸世代におけるpesachでは何が異なるであろうか?―エジプトにおけるpesachはニサンの月の10日に準備された。それはヒソプの束で鴨居と柱に血を塗り、急いで食べられ、1晩の内のことであった。諸世代のpesachにおいては、7日間守られる。
これによると、次の諸点がエジプトの過越と、後の過越と異なる。
①エジプトの過越のいけにえはニサンの月の10日に準備された。
これは上記引用の出エジプト記本文に明記されている。
今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。
過越は周知の通りニサンの月の14日であるが、エジプトにいた時には、いけにえは10日までに準備するように命じられている。
後代では14日に購入することも可能である。
②エジプトではヒソプの束で鴨居と柱に血を塗られた。
これは初めて過越を学ぶ者が当惑する点であるだろう。血を鴨居に塗ることは、エジプト時代のみの掟である。
天使は鴨居の血が塗られていない家の初子を打ったのである。当然ながら、これは後代の過越には当てはまらない。
③エジプトでは急いで食べられた。
これも後代の過越とは異なる。後の回で見る通り、後代の過越ではむしろ時間のかかる前提で内容が定められ、それに沿って執り行われる。
④エジプトでは1晩だけのことであった。
過越の食事を1晩の内にしなくてはならないことは、後代の過越でも同じである。
ここでは「諸世代のpesachにおいては、7日間守られる」とある通り、後代では過越の食事の後、除酵祭が7日間守られることとの対比で言っている。
ここまでエジプトの過越と、後代の過越の食事の相違点について解説した。
「登録」の概念と家族の連帯に関する法理
次は「もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない」(4節)に関する内容を扱う。
これも口伝律法ミシュナ「Pesachim」から幾つかの箇所を引用する。
もし食べることが出来る人、登録した人以外の人の為に屠るなら、割礼を受けていない人、汚れた人の為であるなら、それは不適格になる。
これは、過越の小羊はあらかじめ「登録された人」の為にのみ屠らなければならないことを定めたものである。過越のいけにえと登録について、他の章からも引用する。
もし誰かが自分の息子たちに、「私はお前たちの中で、最初にエルサレムに着く者の為に過越のいけにえを屠る」と言うなら、頭と体の大部分をそこに入れた者がその地位を獲得する。また、彼は兄弟たちの為にも得るのである。
「最初にエルサレムに着いた者のために屠る」という父親の喩えは、一見すると子供たちの競争を煽っているように見える。
しかし結論は、1人が権利を得れば「兄弟たちの分も獲得する」となっている。他の兄弟たちも与ることを言っているのである。
出エジプト記12章において、「家族ごと」の単位が強調されているが、個人の努力によって、結果として家族全員が救いの食卓(過越)に招き入れられるという、連帯を証する箇所と言えるだろう。
この箇所の続きには、次のように書かれている。
私たちは少なくともkezayitがある限り、いつでも登録される。
shechitahされる前までは、登録することも脱退することも出来る。ラビ・シモンは言う、「血が振りかけられる前までである。」
食事の最小単位「kezayit(ケザイット)」と屠殺前の脱退規定
最初の一文は、過越のいけにえに与る者には、少なくともkezayitの肉の分量が保証されなくてはならないことを言っている。
kezayitとはオリーブの実1つ分の分量である。それが最低限の量として規定されている。
その程度の大きさの肉では小さく感じるかもしれないが、実は後代の過越の食事においては、肉はお腹が満たされた後に食べるものであった。
むしろ、空腹でいけにえの肉を食べることのないように配慮されるが、その説明は後の回に譲る。
「shechitahされる前までは、登録することも脱退することも出来る」とは、いけにえが屠られるまで(shechitahするまで)は、そのいけにえに登録、あるいは脱退することが可能であることを言っている。
この点ラビ・シモンは異説を唱えており、「祭壇に血が振りかけられる時」が基準になると言っている。
続いて出エジプト記12章5~6節を再掲する。
5その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。 6それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、
過越のいけにえと言うと、教会のイメージでは小羊しか想像しない。しかし実際は山羊でもよいことが明記されている。
「十四日まで取り分ける」とは微妙な表現であるが、エジプト時代では上記の通り、10日までにいけにえを準備した。その日までに聖別まで済ませ、「これをいけにえに用いる」ことに決め、4日間は傷が無いか確認していたと解釈されている。
この点は上述の通り、後代の過越祭とは異なる。
神殿奉仕の時間制度とtamid(日毎の焼き尽くす献げ物)との前後関係
「夕暮れに屠る」(6節)というのは曖昧な表現だが、ミシュナにはより明確に規定されている。
午後のtamidは通常8時半にいけにえが屠られ、9時半に献げられる。
過越の前日においては、7時半に屠られ、8時半に献げられる、それが週日であれ、安息日であれ。
本文のtamidとは日毎の焼き尽くす献げ物のことを言っている。
tamidについては、以下のシリーズで詳述しているので、不確かな方は下のリンクから確認して欲しい。
◉祭司による「日毎の奉仕(tamid)」の完全復元【全13回・完結】――ミシュナが記録する祭儀の法理と祈りの構造
https://note.com/mishnah/n/ne0f9ce5dd9f8
tamidは通常8時半にshechitahされ、9時半に祭壇で献げられる。しかしこれは私たちの使っている「時間制度」ではない。
彼らは日の出から日没までに12等分した。それが彼らの「1時間」である。従って夏の1時間は長く、冬の1時間は短い。
shechitahする8時半は現代の2時半頃になる。それが過越の食事を控えた日中には「7時半に屠られ、8時半に献げられる」とあり、1時間早められている。
過越のいけにえの数が夥しい。過越のいけにえはtamidの後に屠られるので、その為の時間を確保していることによる。
日没後は逆にいけにえを屠ってはならない時間帯である。従って時間との戦いになっていた可能性もある。
次に8~9節に移る。
8そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。 9肉は生で食べたり、煮て食べてはならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。
まず8節の「肉を火で焼いて食べる」とあるのは、焼く以外の調理方法であってはならないことを言っている。これは後述の通り重要な原則である。「Pesachim」には次のように書かれている。
どのようにして私たちは過越のいけにえを焼くのだろうか?私たちはざくろの木を串に用いて、口からお尻の穴まで通し、その足と内蔵はその内側にある。―これらはラビ・ヨセ・ハグリリの言葉である。
ラビ・アキバは言う、「これは調理の形態である。むしろ、それの外側で吊るされる」。
「火で焼く」定義の厳密化:鉄の串を避けザクロの木を選ぶ理由
まずざくろが串として選ばれている点についてだが、もし鉄を使うと、鉄の持つ熱でも肉が焼けてしまうことになる。
トーラには「肉を火で焼いて食べる」(8節)と書かれている。鉄で焼いてはならない。
また、他の木を用いた場合、そこから水分が出て、いけにえの肉を少しでも「(焼く以外の方法で)調理」をしてしまうことになる。これらの点を考慮して、ざくろが選ばれている。
次に具体的ないけにえの焼き方について、ラビ・ヨセ・ハグリリとラビ・アキバの見解が示されている。
ラビ・ヨセ・ハグリリは、いけにえの足、内蔵は体の中に入れて焼くことを言っている。
ラビ・アキバは、それらは体の外で、頭の上に置くことを言っている。
彼の「これは調理の形態である」の意味が明確でないが、ラビ・ヨセ・ハグリリの方法は「通常の調理の方法である。過越のいけにえの焼き方ではない」という意味のようである。
ラビ・アキバの見解がhalachah(ハラハー;実践するべき内容)とされているが、いずれにしても、体全体を焼くという点ではどちらの方法も共通している。
今回の解説は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉三大祭りの法理学全説:トーラとミシュナから復元する過越祭・除酵祭(Pesach:ペサハ)、七週祭(Shavuot:シャヴオット)、仮庵祭(Succot:スコット)(全18記事・完結)
https://note.com/mishnah/n/n8fa728c36e30
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
