見出し画像

ミシュナ『Temura(テムラー)』の法理 第12回:「犬の稼ぎ(mechir)」の法的定義と共有財産分割におけるゲマラの数理的価値解釈(6章3節)


(本稿は、古代ユダヤ教の口伝律法法典ミシュナ(Mishnah)『Temurah(テムラー篇)』およびモーセ五書(Torah:トーラ)の法意(halachah:ハラハー)を精読・解説を意図した学術的な研究論考です。

 記述中、トーラの祭儀規定に由来する性的な事象に関する法解釈が含まれますが、これらはすべて歴史的・法社会学的な文献解釈を目的としたものであり、それ以外の意図を持つものではありません)

*本稿はモーセ五書(トーラ)レビ記27章が規定する「いけにえの交換(temura)」の禁止命令について、口伝律法ミシュナ第5部『Kodashim』の『Temurah(テムラー篇)』を参照して解説するシリーズ12回目である。

 本稿は、ミシュナ『Temurah』6章3節に基づき、申命記23章19節が規定する「犬の稼ぎ(mechir)」のハラハー的定義を厳密に解説する。

 犬の「交換」と「賃金」の法理的境界線を明確にし、19匹の子羊と1匹の犬の共有財産分割を巡る事案において、Aが取得した10匹すべてが禁止される理由を、ディナルとマアの通貨単位を用いたゲマラの数理的価値割り当てから実証。

 2,000年前の律法の現場を鮮やかに再現する。


前回の振り返り:「etnan(売春婦の賃金)」のハラハー的定義と報酬の因果関係(6章2節)


 前回は、ミシュナ「Ttemura」第6章2節に基づき、申命記23章19節で禁じられている「etnan(エトナン:売春婦の賃金)」の法的な定義と、その適用範囲を巡る論争について解説した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】「etnan(売春婦の賃金)」と「zonah(ゾナ)」の法的定義

 ハラハー(ユダヤ法)における「売春婦(zonah)」は、職業的な立場を指すのではなく、以下のいずれかの条件を満たす女性と定義される。

①性的禁忌関係に触れた女性

 レビ記18章などで禁じられている親族など、性行為が許されない相手と行為をした女性。

②結婚禁止関係に触れた女性

 大祭司と未亡人、あるいは祭司と離縁された女性のように、結婚が禁じられている相手と行為をした女性。

③異邦人女性

 異邦人女性は性行為の経験の有無に関わらず、zonahとされる。

 従って祭壇へ献げることが禁じられる「etnan」とは、非ユダヤ人女性への支払い、あるいは男性にとって性的関係が禁じられている女性への支払いを指す。

 逆に、互いに許されている相手への支払いは「etnan」とは見なされず、その家畜を祭壇に献げることが可能である。

【2】報酬の事後贈与における因果関係

 報酬として約束した以上の家畜が与えられた場合の扱いについても規定がある。

①100匹の羊の例

 最初に1匹を報酬として約束し、行為の後に自発的に追加で99匹を贈った場合、合計100匹すべてが「etnan」として禁止される。

②理由

 最初の禁じられた行為が引き金となって発生した贈与は、法理上、その行為の代価(因果関係の延長)と見なされる為である。

【3】異邦人女奴隷の取引を巡る論争

 「自分のユダヤ人奴隷の為に、相手の異邦人女奴隷と夜を過ごさせる」ことへの報酬が「etnan」に該当するかについて、見解が分かれている。

①ラビたち(賢者たち:chachamim[ハハミーム])の見解

 「etnanである」と主張する。独身のユダヤ人奴隷にとって異邦人女奴隷は禁じられた相手であり、その行為への報酬は不適格であると考える。

②Rebbi(ラビ・イェフダ・ハ=ナシ:Rabbi Judah haNasi)の見解

 「etnanではない」と主張する。

(理由1)

 そもそも独身のユダヤ人奴隷であっても、異邦人女奴隷との行為は許容されているという解釈。

(理由2)

 たとえ一時的に禁止される状況であっても、ユダヤ人奴隷と異邦人女奴隷いう身分において一般的に許容される行為であるので、その報酬は「etnan」の性質を帯びないという論理。

 以上の内容に不安を感じる方は、以下リンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ『Temura(テムラー)』の法理 第11回:「etnan(売春婦の賃金)」のハラハー的定義と奴隷を巡る論争の法理(6章2節)

https://note.com/mishnah/n/ned1c590e4220


申命記23章19節における「犬の稼ぎ(mechir)」のハラハー的定義


 今回はその続きである。最初にトーラを引用する。

 いかなる誓願のためであっても、遊女のもうけや犬の稼ぎをあなたの神、主の宮に携えてはならない。いずれもあなたの神、主のいとわれるものだからである。

(申23:19)

 今回は「犬の稼ぎ」について解説する。「稼ぎ」の原語はmechir(メヒル)であり、「交換」や「賃金」を表す。

 すると犬を賃貸した場合の謝礼のようなものも「犬のmechir」に含まれるかのように考えられる。この点について誤解しないように、口伝律法ミシュナ「Temura」6章3節には次のように書かれている。

 犬の交換とは何であろうか?もし誰かが仲間に対して、「この犬と交換で、この子羊を取りなさい」と言うなら。

(Temura 6:3)

 つまり、mechirは「交換」の意味だけを指している。犬を通した謝礼は含まれない。

 続きには次のように書かれている。

共有財産分割における「犬の代価」の適用と具体的なケースの検証

 同様に、2人の共有者が動物を分けていて、1人が10匹の子羊、1人が9匹と犬を取るなら、犬に対して取られた子羊たちは禁止される。犬と一緒に取られたものは許容される。

(Temura 6:3)

 この箇所は下のような状況を表している。2人の男がいて、それぞれAとBとする。

 AとBは19匹の子羊と1匹の犬を共有していた。彼らは共有関係を解消して、子羊と犬という財産を分割することにした。

 Aは10匹の子羊を取り、Bは9匹の子羊と犬を得た。

 この事案はmechirに該当すると判断されている。Aは犬の代わりに子羊を得ているのである。

 最後の「犬に対して取られた子羊たちは禁止される。犬と一緒に取られたものは許容される」はやや難解である。以下、解説する。

 Aが自分の取り分として受け取った10匹の子羊すべては、「犬の代価」の禁止事項に触れるため、祭壇(神殿の供え物)に使用することが禁止される。

 Aは、Bが手に入れた犬の権利と引き換えに、これらの子羊を受け取ったと見なされるからである。

 一方で、Bが犬と一緒に受け取った9匹の子羊は、祭壇に使用することが許される。これらは犬との交換で得たものではなく、Aが受け取った子羊との交換で得たものだからである。

ゲマラ(Gemara)による数理的解釈:通貨単位(ディナル・マア)による価値の分散割り当て


 ここで1つの疑問が生じる。「なぜAの10匹すべてが禁止なのか?」という疑問である。

 Aが受け取った10匹のうち、犬1匹分に相当する「子羊1匹だけ」が禁止され、残りの9匹は許可されるべきではないかと思われる。しかしここでは10匹全てが祭壇には許されないものとされている。

 この疑問について、タルムードの解説部分であるGemara(ゲマラ)は、Aの10匹全て禁止されるのは、「犬の価値が、Aが受け取ったどの子羊1匹の価値よりも高い場合」を指していると解釈して説明している。

 具体的な数値を入れて解説する。なお、1ディナル = 6マアである。

【1】Aが受け取った10匹の子羊

 子羊には各1ディナル(6マア)の価値がある。10匹なので合計10ディナル(60マア)である。

 1ディナル(6マア)×10匹 = 10ディナル(60マア)

【2】Bが受け取った9匹の子羊と1匹の犬

 子羊の価値は1ディナルに足りない。5マアの価値だけある。

 犬の価値は、1ディナルと9マア(15マア)である。

 従って、Bが受け取ったものの価値の計算式は、以下の通りになる。

 5マア×9匹 + 15マア = 60マア

 この通り、B(9匹の子羊+1匹の犬)の合計価値も、Aと同じ10ディナル(60マア)となるように、共有関係を解消したことになる。

 この例では、Aが持つ子羊1匹(6マア相当)は、犬の価値(15マア)の一部のみの交換対象となる。

 犬の価値の残りの部分(9マア分)は、他の9匹の子羊に分散して割り当てられる。

 結果として、Aが受け取った10匹の子羊のそれぞれが、少なくとも部分的に「犬との交換」として機能していることになり、そのすべてが「犬の代価」として禁止される。

 ただし、もし犬とAの子羊すべてが同じ価値であれば、そのうちの1匹だけが犬との交換と見なされ、他の9匹は祭壇へ献げることが許容されると解釈する。

 続きである。

「2つであって4つではない」:トーラ解釈における排他性の法理と許容事項

 犬の賃金、売春婦の交換、これらのものは許容される。次のように書かれている、「2つ。」4つではない。その子たちは許容される。

(Temura 6:3)

 順番に解説する。まず「犬の交換」が禁止されることは既に確認した。ここでは「犬の賃金」は許容されると書かれている。

 例えば犬を貸したことの引き換えに子羊を受けたのなら、その子羊を祭壇に献げることが出来る。なぜならこの場合は「犬の交換」ではなく、「犬を貸したことによる謝礼」だからである。

 次に「売春婦の交換」についてである。zonahへの報酬として使われた家畜を祭壇に使えないことは既に確認した。

 zonahを奴隷にする場合、その対価として使われる家畜は、祭壇へ献げることが出来る。なぜなら、それは「zonahの交換」であり、「zonahへの報酬」ではないからである。

 「犬の賃金、売春婦の交換、これらのものは許容される」の部分の解説は以上の通りである。

 次の「次のように書かれている、『2つ』。4つではない」の箇所は今解説したことをトーラに即して述べたものである。申命記23章19節には次のように書かれている。

 いかなる誓願のためであっても、遊女のもうけや犬の稼ぎをあなたの神、主の宮に携えてはならない。いずれもあなたの神、主のいとわれるものだからである。

(申23:19)

 「いずれも」について、原文では「それら2つのものは」と書かれている。この「2つ」とは「zonahへの報酬」と「犬の交換(mechir)」を指している。

 この2つに「zonahの交換」、「犬についての報酬」を加えたらどうなるだろうか?4つになる。

 ミシュナ本文の「次のように書かれている、『2つ』。4つではない」とは、「トーラに2つと書かれており、4つではない。だから、zonahへの報酬と犬のmechirだけが禁止されるのである」という意味になる。

 最後の「その子たちは許容される」とは、「zonahへの報酬」と「犬の交換(mechir)」の子供である家畜は、祭壇に献げることが出来ることを言っている。

 今回の内容は以上であり、口伝律法ミシュナ「Temura」の解説も終わりにする。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Temura』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n6974756a85bf


 全記事の目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)

https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e


 No.1~No.201の記事はこちらからご覧頂けます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334

(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

いいなと思ったら応援しよう!