ミシュナ『Temura(テムラー)』の法理 第11回:「etnan(売春婦の賃金)」のハラハー的定義と奴隷を巡る論争の法理(6章2節)
本稿は、古代ユダヤ教の口伝律法法典ミシュナ(Mishnah)『Temurah(テムラー篇)』およびモーセ五書(Torah:トーラ)の法意(halachah:ハラハー)を精読・解説を意図した学術的な研究論考です。
記述中、トーラの祭儀規定に由来する性的な事象に関する法解釈が含まれますが、これらはすべて歴史的・法社会学的な文献解釈を目的としたものであり、それ以外の意図を持つものではありません。
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*本稿はモーセ五書(トーラ)レビ記27章が規定する「いけにえの交換(temura)」の禁止命令について、口伝律法ミシュナ第5部『Kodashim』の『Temurah(テムラー篇)』を参照して解説するシリーズ11回目である。
今回は申命記23章19節が禁じる「遊女のもうけ(etnan:エトナン)」の司法解釈を解明。「遊女」と訳されている「zonah」の正確な定義、および異邦人女奴隷を巡るラビ・イェフダ・ハ=ナシ(Rebbi)と賢者たち(chachamim:ハハミーム)の論争構造を論理的に検証する。
前回の振り返り:ミシュナ『Temurah』6章1節における不適格リストとtereifah(トレファー)の法理
前回は、ミシュナ『temura』第6章1節を取り上げ、祭壇への献げ物として不適格とされる9つの家畜の定義と、それらが通常の家畜と混ざった際の「混交規定」、および「tereifah(トレファー)」の具体的なケースを巡る法理的矛盾について解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】祭壇不適格家畜の混交規定
「Temura」6章1節に基づき、祭壇への奉納が禁じられた動物が、いけにえに使える家畜の群れに混ざってしまった場合、その割合(数)にかかわらず、群れ全体をいけにえとして用いることはできないと規定されている。
【2】禁止される9つの不適格リスト
祭壇に携えてはならないとされる家畜は、以下の9つに分類されている。
①性的・道徳的不適格(2つ)
人に対して、あるいは人によって獣姦が行われた家畜。証拠が十分であれば処刑対象であるが、証言が不十分な場合でも祭壇での使用は禁じられる。
②売春婦の賃金(etnan:エトナン)
売春行為の謝礼として支払われた家畜。
③犬と交換したもの(mechir:メヒル)
犬を獲得するために支払われた家畜。
④偶像崇拝関連(2つ)
取り分けられたもの(muktzeh:ムクツェ): 偶像崇拝のために準備されたが、まだ礼拝行為はされていないもの。
礼拝されたもの:実際に偶像として礼拝行為の対象となったもの。
⑤生物学的・身体的不適格(3つ)
雑種(kilayim:キルアイム): 異なる種類の動物を交配させて生まれたもの。
tereifah(トレファー):猛獣の傷や致命的な疾患により、1年以内に死ぬと判断されるもの。
帝王切開で生まれたもの(yotzhei dofen:ヨツェ・ドフェン):胎内から自然に出たものではない個体は、レビ記の「生まれたとき」という規定に該当しないと解釈される。
以上で合計9つである。
【3】tereifah(トレファー)における法理的矛盾と解決策
tereifahが「他の動物を不適格にする」という規定が、具体的な状況において直面する難問とその解決が示された。
もしtereifahに「外見上の症状」があるなら、その個体を特定して排除すればよいので、群れ全体を禁止にするのは不合理である。
もし「外見上の症状がない(内部疾患など)」のであれば、生きている間にtereifahであると判定することが出来ない。
この矛盾に対し、「猛獣による致命的な傷」を負った個体が、「不適格ではない茨による傷」を持つ個体と混じってしまった状況を想定する。
外見上はどちらも似た傷跡で見分けがつかなくなるので、結果として群れ全体の特定が不可能になり、全頭が不適格となると理解出来る。
以上の内容に不安を感じる方は、以下リンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Temura(テムラー)』の法理 第10回:祭壇不適格家畜(ムクツェ・エトナン・メヒル)の混交規定とトレファーの法理的矛盾(6章1節)
https://note.com/mishnah/n/n732a58b59e6b
ミシュナ『Temurah』6章2節:申命記23章19節「etnan(エトナン:売春婦の賃金)」のハラハー的解釈
今回はその続きである。口伝律法ミシュナ「Temura」6章2節から始める。本文に入る前に、前回の振り返りで見た通り、祭壇で献げることを禁止される家畜として、「売春婦の賃金」がある。
トーラには次のように書かれている。
いかなる誓願のためであっても、遊女のもうけや犬の稼ぎをあなたの神、主の宮に携えてはならない。いずれもあなたの神、主のいとわれるものだからである。
この「売春婦の賃金(etnan:エトナン)」は私たちがイメージするものとは大きく異なる。口伝律法ミシュナ「Temura」6章2節を学ぶ機会を通して、「etnan」が実際は何を言っているのかも解説する。
まずは本文を引用する。
売春婦の賃金とは何であろうか?もし誰かが売春婦に対して、「あなたの賃金としてこの羊を取りなさい」と言うなら、たとえそれが100匹の羊であっても、皆禁止される」。同様に、誰かが仲間に対して、「この羊を取りなさい。そしてあなたの奴隷女を私の奴隷と夜を過ごすようにしなさい」と言うなら、Rebbiは売春婦の賃金ではないとするが、ラビたちは言う、「売春婦の賃金である。」
ハラハーにおける「zonah(ゾナ)」の法的定義
売春婦の原語はzonah(ゾナ)である。zonahとは、次のどちらかの要件を満たした女性である。
①性行為が許されない男と行為した女性
②結婚してはならない男性と性行為した女性
この内①についてはレビ記18章に列挙されている関係を犯した女性を指す。例えばレビ記18章には次のように書かれている。
姉妹は、異父姉妹、異母姉妹、同じ家で育ったか他の家で育ったかを問わず、彼女たちを犯して、辱めてはならない。
ある男性Xと異父姉妹Aがいたとする。AがこのXと関係を結んだら、zonahになる。
「②結婚してはならない男性と性行為した女性」は少し分かりにくいが、例えば大祭司はやもめと結婚してはならない。
やもめが大祭司と性行為をするなら、そのやもめはzonahになる。
異邦人女性は祭司と結婚することは出来ない。従って、異邦人女性はその性的な経験の内容を問わずとも、zonahに相当する。
zonahは日本語の聖書ではしばしば「遊女」と翻訳されている。次のように書かれている。
遊女(zonah)となって身を汚した女、あるいは離縁された女をめとってはならない。祭司は神に属する聖なる者だからである。
話が膨らんでしまったが、結論として、zonahになったなら、その女性は祭司と結婚することが出来ない。
他方で、(未婚の状態で)自分との関係が許されている男性と性的関係を持つことは、その女性をzonahにするものではなく、祭司との結婚が禁じられることもない。
従って「遊女のもうけや犬の稼ぎをあなたの神、主の宮に携えてはならない」(申23:19)という禁止命令違反になるのは、支払いを受けた女性が非ユダヤ人であるか、あるいは支払った男性にとって(性的関係が)禁じられている女性である。
もし、その女性が男性にとって許されている相手であれば、男性が与える支払いはetnanとは見なされず、祭壇(神殿の供え物)に使用することが許される。
ここで少し複雑な関係について検証する。
女性Aはユダヤ教徒である。ある男性Xと女性Aはトーラで禁止された関係にない。
しかし女性Aは過去にトーラで禁止された性行為を結んだことがあり、zonahである。
男性Xが女性Aに性行為の支払いとして羊を与えたならば、その羊は祭壇に献げることは出来るのだろうか、あるいは出来ないのだろうか?
男性Xと女性Aの間にはトーラで禁止された関係にないが、女性Aはzonahなのである。
この代価としての羊は、祭壇のために使用することが許される。なぜなら、その支払いの対象となる「今回の性的関係」そのものは、彼女を祭司に対して禁じられた状態にするものではないからである。
前置きが長くなったが、以上を前提にして「Temura」6章2節の前半を再度引用する。
報酬の事後贈与(100匹の羊)における因果関係とetnanの適用範囲
売春婦の賃金とは何であろうか?もし誰かが売春婦に対して、「あなたの賃金としてこの羊を取りなさい」と言うなら、たとえそれが100匹の羊であっても、皆禁止される。
この部分は次のように箇条書き出来る。
①男性Xは女性Aに性行為の報酬として羊1匹を約束した。
②男性Xは実際にその支払を済ませた。
③その後、男性Xは自発的に、女性Aに対して追加で99匹を贈った。
この場合、100匹全てetnanに該当し、祭壇に献げてはならないものとなる。最初の約束(性行為)が引き金となって事後的に発生した贈与もまた、法理上はその行為の代価(因果関係の延長線上)と見なされるからである
次に「Temura」6章2節の後半部分を検証する。本文を再度引用する。
異邦人女奴隷の取引を巡る論争:Rebbiとラビたち(chachamim:ハハミーム)の法理的対立
誰かが仲間に対して、「この羊を取りなさい。そしてあなたの奴隷女を私の奴隷と夜を過ごすようにしなさい」と言うなら、Rebbiは売春婦の賃金ではないとするが、ラビたちは言う、「売春婦の賃金である。」
この部分はユダヤ人奴隷の主人が、異邦人女奴隷の主人に対して、その異邦人女奴隷を自分のユダヤ人奴隷と性行為するように促している場面である。その謝礼も約束している。
ミシュナの中では明記されていないが、このユダヤ人奴隷は独身である。
通常、異邦人の女奴隷と性行為することは禁止されている。しかしタルムードは、その奴隷に既にユダヤ人の妻と子供がいる場合に限り、主人が彼に異邦人の女奴隷を与えることを許可していると解釈している。
本節のミシュナにおいては、その奴隷は独身であるので、カナンの女奴隷と性行為することは禁止されている。
これまでに見てきたように、禁止されている女性との性行為に対して支払われる報酬はetnanと見なされ、祭壇に献げることは許されない。
従って、この独身奴隷のケースで女奴隷の主人に支払われた報酬がetnanに該当するかが問題になる。
ラビたち(chachamim:ハハミーム)は「売春婦の賃金である」と述べている。異邦人女奴隷は独身のユダヤ人奴隷にとって禁じられた相手であり、その主人への支払いは禁じられた行為に対する報酬だからである。
この見解に対して、ミシュナを編纂したRebbi(ラビ・イェフダ・ハ=ナシ:Rabbi Judah haNasi)はetnanに該当しないと主張する。
Rebbiによると、たとえユダヤ人奴隷にまだユダヤ人の妻や子供がいなかったとしても、異邦人の女奴隷との性行為は許容されている。
従って、彼女の主人への支払いは「許可された行為」に対する報酬と見なされ、etnanには該当しない。
あるいはRebbiが許容している理由は、次のようにも解釈されている。
つまりRebbiも、独身のユダヤ人奴隷にとって異邦人の女奴隷は禁止されている点には同意する。
しかし、一般的な原則として、ユダヤ人奴隷には、異邦人の女奴隷との性行為が禁止されていないので、今回のケースのように一時的に禁止されている状況であっても、その報酬はetnanの性質を帯びないという論理である。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Temura』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n6974756a85bf
全記事の目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)
https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e
No.1~No.201の記事はこちらからご覧頂けます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
