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maamad(マアマド)の構造と法理 ― ミシュナ『Taanit(タアニート)』が解き明かす神殿奉仕と地方礼拝の同期システム

*神殿における祭儀においては、「本人が立ち会う原則」があります。全てのイスラエルの民に関わる日毎の焼き尽くす献げ物において、どのようにこの原則が果たされていたのでしょうか?

 本稿では、ミシュナ『Shekalim(シェカリーム)』および『Taanit(タアニート)』を軸に、祭司・レビ人のローテーション制度である「mishmarot(ミシュマロット)」と、それに対応する一般信徒の代表制度「maamad(マアマド)」の構造を解説します。

 maamadにおける「エルサレムに上る組」と、「地元の町に残って断食し、祈る組」を概観しながら、当時の神殿を中心としたイスラエルの信仰生活をご覧下さい。


はじめに:神殿経済と公共の献げ物

 イスラエルの会計年度は第1の月(ニサンの月)から始まる。その為に毎年第12の月(アダルの月)に銀半シェケルを納入する。これに関して、次のように書かれている。

 主はモーセに仰せになった。
 あなたがイスラエルの人々の人口を調査して、彼らを登録させるとき、登録に際して、各自は命の代償を主に支払わねばならない。登録することによって彼らに災いがふりかからぬためである。登録が済んだ者はすべて、聖所のシェケルで銀半シェケルを主への献納物として支払う。一シェケルは二十ゲラに当たる。登録を済ませた二十歳以上の男子は、主への献納物としてこれを支払う。あなたたちの命を贖うために主への献納物として支払う銀は半シェケルである。豊かな者がそれ以上支払うことも、貧しい者がそれ以下支払うことも禁じる。あなたがイスラエルの人々から集めた命の代償金は臨在の幕屋のために用いる。それは、イスラエルの人々が主の御前で覚えられるために、あなたたちの命を贖うためである。

(出30:11~16)

 この箇所を読む限り、銀半シェケルの徴収を求めたのはこの時限りの措置であるようにも読める。しかし実際はそうではなく、毎年徴収されるものである。それは口伝律法ミシュナ「Shekalim(シェカリーム)」1章1節に書かれている。

アダルの月の1日、彼らはshekalimの支払い とkilayimについて宣言する。

(Shekalim 1:1)

 ここで言う「shekalim(シェカリーム)とは、上記出エジプト記30章で指示されている「銀半シェケル」に他ならない。

 ニサンの月の1ヶ月前、アダルの月に入ったら、その納入についてイスラエルの民に公式に告知することを言っている。その後のスケジュールとして、

 15日に地方での徴収を開始し、25日からは未払の者から担保を取る。

 この一連の手続きについては、以前の記事にまとめてある。まだご存知ない方はそちらを先に読んで欲しい。

◉イエスはなぜ「免税」を主張したのか?――ミシュナ『Shekalim(シェカリーム)』が明かす神殿税徴収の裏側と祭司の論理

https://note.com/mishnah/n/nd1b34bf6d620

 この徴収された銀の使い道は幾つかあるが、その主要なものの1つがイスラエル民全体の為の献げ物である。トーラ、特にレビ記には民が献げるべき献げ物について詳しく書かれている。

 献げ物に関しては、大きく個人で献げるものと、共同体全体で献げるべきものに分けられる。後者の費用がこの半シェケルから捻出される。彼らの暦は1年約354日であるが、如何なる日にも日毎の焼き尽くす献げ物は献げなくてはならない。次のように書かれている。

 祭壇にささげるべき物は次のとおりである。毎日絶やすことなく一歳の雄羊二匹を、朝に一匹、夕暮れに他の一匹をささげる。・・・(中略)・・・また、朝と同じく夕暮れにも、雄羊に穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物を加え、燃やして主にささげる宥めの香りとする。これは代々にわたって、臨在の幕屋の入り口で主の御前にささぐべき日ごとの焼き尽くす献げ物である。

(出29:38~42)

 ここでは毎日の日毎の焼き尽くす献げ物は、朝と夕に献げなくてはならないことを言っている。

立ち会いの原則:なぜ「maamad(マアマド)」が必要だったのか

 ところで、献げ物に献げるのなら、当事者の立ち会いが要求される。口伝律法ミシュナ「Taanit(タアニート)」には次のように書かれている。

その場所にいないで、どのように献げ物を献げることが出来るのだろうか?

(Taanit 4:2)

 この原則に拠るなら、イスラエルの共同体全体の為の献げ物は「全体の為」である以上、民全員が神殿に立ち会うべきだが、物理的に不可能である。

 そこで、イスラエル全体を24のグループに分け、当番制で「国民の代表」として神殿に送り込む仕組みを作ったものである。このグループのことをmaamad(マアマド)と呼ぶ。

 つまりそれは、エルサレム神殿の祭儀において、イスラエル民全体の代理として立ち会うために選ばれた、24組の一般信徒代表団のことである。

神殿奉仕の二重構造:mishmarot(ミシュマロット)とmaamad(マアマド)の連動

 24組に分けているというのは、神殿で奉仕する祭司・レビ人の組も24に分けられていることと対応している。祭司・レビはそれぞれ1週間のみ担当する。

 彼らは普段それぞれの町や村にいるが、担当する週になると、安息日にエルサレムの神殿に行って前の当番と交代し、7日間奉仕して安息日に次の当番に引き継ぐ。

 祭司・レビ人の組はmishmarot(ミシュマロット)と呼ばれる。従ってここまでまとめると、次のようになる。

①祭司・レビ人の組:24組のmishmarot(ミシュマロット)
②その他のイスラエルの民:24組のmaamad(マアマド)

 1年間は彼らの暦では約50週あるから、mishmarot(ミシュマロット)もmaamad(マアマド)も、大体年2回奉仕を担当したことになる。

 この辺りの事情は「Taanit」4章に書かれている。

創設の起源:初期の預言者ダビデとサムエルによる制度設計

 初期の預言者たちは24のmishmarotを定めた。それぞれのmishmar(mishmarotの単数形)に対応して、エルサレムには祭司、レビ人、イスラエルの民から成るmaamadがあった。

(Taanit 4:2)

 ここで言う「初期の預言者たち」とはダビデ王と預言者サムエルを指す。この2人が協力して神殿奉仕の24組(mishmarot)と地方の当番の24組(maamad)のシステムを構築したとされる。それは断片的にではあるが、歴代誌上にも窺える。

 えり抜かれて戸口に立った門衛は皆で二百十二人、それぞれその村で登録されている。ダビデと先見者サムエルが彼らにこの仕事を任せた。

(歴上9:22)

 これは神殿の警護担当について語ったもので、祭司とレビ人にしか関係ない。つまりはmishmarotの組織立てであるが、サムエルとダビデの時代に、maamadも一緒に定められたとする。

 上記引用の「Taanit」4章2節には「エルサレムには祭司、レビ人、イスラエルの民から成るmaamadがあった」(再掲Taanit 4:2)とあるが、これは毎日の日毎の献げ物は、奉仕を直接的に行う祭司とその補助者であるレビ人の他、その他のイスラエルの民の立ち会いがあったことを示している。

 mishmarotについてはレビ族(祭司・レビ人)の家系に従い、くじを引くことで担当が決まったが、maamadについては地区の制度である。イスラエルの領土は、上記の通り神殿奉仕の24組に対応するように、24の地区に分割されていた。

聖書に刻まれた24のくじ(祭司・レビ人の配分)

 まず、祭司のmishmarotについては、歴代誌上に次のように書かれている。

 第一のくじはヨヤリブに当たった。第二のくじはエダヤに、第三のくじはハリムに、第四のくじはセオリムに、第五のくじはマルキヤに、第六のくじはミヤミンに、・・・(中略)・・・第二十三のくじはデラヤに、第二十四のくじはマアズヤに当たった。

(歴上9:7~18)

 レビ人については幾つか任務があるが、

 第一のくじはアサフに、すなわちヨセフに当たった。第二のくじはゲダルヤとその兄弟と息子十二人に。第三のくじはザクルとその息子、その兄弟十二人に。第四のくじはイツリとその息子、その兄弟十二人に。・・・(中略)・・・第二十三のくじはマハジオトとその息子、その兄弟十二人に。第二十四のくじはロマムティ・エゼルとその息子、その兄弟十二人に当たった。 

(歴上25:9~31)

 この通り祭司もレビ人も全部で24組ある。maamadについては既述の通り地区の制度であり、それぞれの地区からmaamadを構成するメンバーが選出されていたことになる。

地元残留組の典礼:断食と天地創造の朗読箇所

 次にmaamad内部の構成について話そう。まずは繰り返し引用している「Taanit」4章2節から。

 mishmar(*mishmarotの単数形)がエルサレムに上る時が近付くと、祭司とレビ人はエルサレムに上り、そして、イスラエル人のうち、ある者はエルサレムへ上り、残りの者はそれぞれの町に集まり、天地創造の書を朗読した。

(Taanit 4:2)

 ここに「イスラエル人のうち、ある者はエルサレムへ上り、残りの者は・・」と書かれていることに注目して欲しい。これはmaamadの一部はエルサレムに行くが、残りの者たちは町に残ることを言っている。

 神殿における祭儀については、また大きな話になるので、別に記事を作成する必要がある。ここでは「町に残った」者たちに目を向けることにする。

 彼らについては「それぞれの町に集まり、天地創造の書を朗読した」とある。それは「神殿の奉仕がなければ、天地は存続できない」と考えられていたからである。エルサレムの神殿と、地方での典礼はこのような仕方で繋がっていた。

 この辺りの過ごし方、また典礼の詳細は次の節に書かれている。

 maamadの男たちは1週間の内4日間断食する、月曜日から木曜日まで。彼らは金曜日には断食しない、安息日の為に。また日曜日に断食しない、彼らが休息と喜びから断食に移り、弱ることのないように 。
 日曜日、彼らは創世記1章1~5節を読み、6~8節を読む。月曜日、9~13節、火曜日、14~19節、水曜日、20~21節、木曜日、24~31節を読む。金曜日には2章1~3節を読む。

(Taanit 4:3)

(結論の前に・・シリーズの総目次は以下からご覧になれます)

◉聖なる同期システム:祭司・レビ人・民が織りなす神殿奉仕の全貌【全7記事・完結】

https://note.com/mishnah/n/nca2eb55cd191


結論:世界の存続を支える「祈りの時間」

 1段落目は彼らの断食について述べている。まとめると次のようになる。

  1. 月曜日から木曜日の日の出から日没まで断食すること。

  2. 金曜日には断食しない。安息日の準備の為に。

  3. 日曜日には断食しない。 安息日の喜びから急激な断食へ移行することで、身体へ負担をかけないように。

 2段落目は、何曜日に創世記1章のどこの箇所を読むのかを記録している。以下の通りである。

日曜日(1章1節〜8節):光の創造、天(大空)の分離。
月曜日(1章9節〜13節):水の集積、乾いた地と植物の出現。
火曜日(1章14節〜19節):太陽、月、星(天体)の創造。
水曜日(1章20節〜23節):魚と鳥の創造。
木曜日(1章24節〜31節):獣、家畜、人間の創造。
金曜日(2章1節〜3節):天地創造の完成と安息。

 つまり創世記1章の内容に従って、その日に読む箇所を定めている。

 今回の内容は以上だが、このmaamadによる『神殿の時間に合わせた朗読と祈り』こそが、紀元70年以降、神殿における祭儀なしに存続するユダヤ教(会堂礼拝)の法的・形式的基盤となったようである。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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