「逃れの町」における過失致死の法理 第4回:大祭司の存否による流刑期間の変動と、境界線2,000アンマにおける血の復讐(goel hadam)の法的権利
*旧約聖書の最高権威であるトーラと、口伝律法ミシュナ『Makkot』を元に「逃れの町」を解説するシリーズ4回目。
今回は、ミシュナ『Makkot』2章6節から7節に基づき、過失致死罪における流刑解除の動的な要件を解説する。特に、大祭司の任職状況が判決に与える法理的影響、および「ツェルヤの子ヨアブ」を例とした国家緊急事態においても緩和されない律法の絶対的拘束力を網羅。
更に民数記35章に規定されるレビ人の町周辺2,000アンマの境界線における、血の復讐者(goel hadam)の殺害権利と義務に関するラビ・ヨセ・ハグリリとラビ・アキバのハラハー的論争まで詳解する。
前回の振り返り:流刑解除の条件と大祭司の4つの身分
前回は以下の内容を確認した。
【1】流刑解除の条件:大祭司の死
トーラ(民数記35章25節)の規定により、過失致死で逃れの町に送られた者は、「聖なる油を注がれた大祭司が死ぬまで」そこに留まらなければならない。
大祭司が亡くなった時点で、加害者は元の町に戻ることが許される。
【2】対象となる大祭司の身分
ミシュナでは、その死が流刑解除の引き金となる大祭司を以下の通り定義している。
①聖別の油で任職した大祭司
モーセが作った油で任職された、第1神殿末期以前の大祭司。
②祭服をまとって任職した大祭司
油が隠された後に、大祭司の装束をまとうことで任職された者。
③引退(代理)の大祭司
ヨム・キップール(贖罪日)に、本来の大祭司が儀式を行えなくなった際に1日限りで代理を務めた者。
④戦いのために任命された大祭司(meshuach milchamah:メシュアフ・ミルハマー)
ラビ・ユダの見解によれば、戦争に際して兵士を鼓舞するために任命された大祭司の死も、解放の条件に含まれる。
【3】「戦いのために任命された大祭司」(meshuach milchamah:メシュアフ・ミルハマー)の役割
申命記20章および「Sotah」8章に基づき、この大祭司は以下の職能を果たす。
①ヘブライ語での演説
敵との戦いを前に、神が共に戦われることを告げ、兵士たちに恐れないよう呼びかける。
②帰宅の勧告
新築の家、新しいぶどう畑、婚約者を持つ者、あるいは心ひるんでいる者に対し、戦場から家に帰るよう促す。
【4】「母たちの供与」と大祭司の責任
大祭司の死が自身の解放につながるため、加害者が大祭司の死を祈ることがないよう、大祭司の母親たちが加害者に食事や衣類を提供するという慣習がある。
これには、「国内で起きた不幸は、民全体の福祉を担う大祭司の奉仕のあり方とも無縁ではない」という不作為責任の考え方も背景にある。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉「逃れの町」における過失致死の法理 第3回:『Makkot』2章6節及び『Sotah』8章による大祭司の任期と流刑解除の連動性
https://note.com/mishnah/n/nec0c0a64203f
大祭司の死と判決の前後関係における流刑の決定
今回は口伝律法ミシュナ「Makkot」2章6節の続きである。
もし判決を下した後に大祭司が死んだなら、彼は逃れの町に行かない。もし大祭司が判決の下る前に死んだなら、彼らは大祭司を任命し、判決が下る。加害者は彼が死んだ後に戻ることが出来る。
これは以下のように整理される。
(1)判決の後に大祭司が死去した場合
加害者は逃れの町に流刑になったと見なされる。そこで彼は大祭司の死と共に放免される。
(2)判決の前に大祭司が死去した場合
次の大祭司が任命された後に判決が下される。あとは(1)と同じ展開である。
次節に進む。
終身流刑の成立要件:大祭司不在・殺害時における特例
もし大祭司が不在のまま判決が下されたり、大祭司を殺してしまったり、あるいは大祭司が殺してしまったのなら、彼はそこを去ることはない。律法の掟に関する証言の為であれ、民事事件、刑事事件の為であれ、彼はそこを去ることは出来ない。たとえイスラエルが彼を必要としても、たとえ彼がツェルヤの子ヨアブのような軍人であったとしても、彼はそこを去ることは出来ない。次のように書かれている。「そこにとどまらねばならない。」(民35:25)-そこが彼の住まいにならなくてはならず、彼の死に場所であり、彼を埋葬する場所でなくてはならない。
まず「大祭司の死によって流刑が終わる」という掟が適用されない状況が言われている。
①大祭司が不在のまま判決が下された場合
「判決の時の大祭司が死ぬまで」という前提条件が存在しないので、加害者が生涯逃れの町にいることになる。
②大祭司を殺してしまった場合
これは紛らわしいが、大祭司を不注意で殺し、かつ判決の時に大祭司が任命されていなかった場合である。
事実上、①と同じ状況になる。
③大祭司が殺してしまった場合
これも事実上①と同じであり、大祭司が不注意で殺してしまい、かつ判決の時に次の大祭司が任命されていない場合である。
これらの者は生涯逃れの町で暮らすことになり、そこから出ることは出来ない。
律法の絶対性:証言の義務と軍事的必要性(ヨアブの事例)の排斥
イスラエルの民はトーラにおいて、裁判における証言の義務がある。次のように書かれている。
だれかが罪を犯すなら、すなわち、見たり、聞いたりした事実を証言しうるのに、呪いの声を聞きながらも、なおそれを告げずにいる者は、罰を負う。
「makkot」2章7節の続きの箇所では、たとえこの義務に悖ることがあっても、逃れの町を出てはならないことを言っている。
「律法の掟に関する証言の為であれ、民事事件、刑事事件の為であれ、彼はそこを去ることは出来ない」とはそのことを意味する。
続きの箇所は同じことを言っている。「たとえイスラエルが彼を必要としても、たとえ彼がツェルヤの子ヨアブのような軍人であったとしても、彼はそこを去ることは出来ない」。
ツェルヤの子ヨアブとは、ダビデ配下の将軍である。たとえ有能な軍人ということで、全イスラエルが彼を待望したとしても、彼は逃れの町を出ることは出来ない。
従って、過失致死の審理においては、必ず大祭司は任命されていなくてはならないという事だろう。
続きは以下のように書かれている。
「逃れの町」の地理的境界:民数記35章に基づく2,000アンマの定義
町が避難場所を提供しているように、その境界も避難場所を提供している。もし加害者がその境界から出て、goel hadamが彼に出会ったなら、-ラビ・ヨセ・ハグリリは言う、「goel hadamは加害者を殺害しなくてはならない、他の者が彼を殺すかは選択的である。」ラビ・アキバは言う、「goel hadamにとって選択的である。他の者にはそうする責任はない。」
町中が逃れの町として機能することは勿論だが、ここではその周囲の敷地も同様であることを言っている。トーラには次のように書かれている。
1エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野で、主はモーセに仰せになった。
2イスラエルの人々に命じなさい。
嗣業として所有する土地の一部をレビ人に与えて、彼らが住む町とし、その町の周辺の放牧地もレビ人に与えなさい。 3町は彼らの住む所、放牧地は彼らの家畜とその群れ、その他すべての動物のためである。 4レビ人に与える町の放牧地は、町の城壁から外側に向かって周囲千アンマとする。 5あなたたちは、町の外から東側に二千アンマ、南側に二千アンマ、西側に二千アンマ、北側に二千アンマ測り、町をその中央に置かねばならない。これが彼らの町の放牧地となるであろう。
ここから町の周囲2,000アンマ(約1キロメートル)は町の敷地になることが分かる。
この2,000アンマの内側にいる限り、加害者はgoel hadam(ゴエル・ハダム;復讐する者)から守られる。
血の復讐者(goel hadam)の権利と義務:ラビ・ヨセとラビ・アキバの見解相違
この境界から更に外に出た場合について、2つの見解が示されている。
【1】ラビ・ヨセ・ハグリリの見解
被害者の近親者であるgoel hadamは加害者を殺害しなくてはならない。
近親者でない場合、殺害する義務は無いが、それは許容される。
【2】ラビ・アキバの見解
被害者の近親者であるgoel hadamは殺害する義務は無いが、それは許容される。
近親者でない場合、殺害することは許されない。
halachah(ハラハー)はラビ・アキバである。ただし殺害することが出来るのは、加害者が意図的に逃れの町から出た場合である。
何らかの事情で彼が無理矢理連れ出されるとか、意識的でない場合、殺害することは許されない。
逃れの町を出ることは、判決の内容の侵犯である。殺人自体、意図的の場合にのみ処刑されるように、逃れの町を出ることも、意図的でないなら殺される理由がない。
加害者は逃れの町に留まる限り、流してしまった血の償いをしている。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】「逃れの町」とレビ族の町の法理:ミシュナが解き明かす律法の執行と都市空間の全貌
https://note.com/mishnah/n/nf1b99ffb956e
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
