イエスを裁いた『最高法院』への道(6回目):旧約聖書の裏に隠れている71人判事の法廷②
*新約聖書でイエスや使徒たちを裁いた「最高法院(大サンヘドリン)」。本記事では、旧約聖書の最高権威モーセ五書(トーラ)と口伝律法(ミシュナ)を参照し、全イスラエルの心臓機能を担った「71人判事の法廷」の審理を徹底解説します。
大祭司及び偽預言者に対する裁判、任意聖戦の決定、またエルサレムの町と神殿の聖域の拡張の決定等、全イスラエルにとって最重要事項の裁判を網羅する本稿は、シリーズ6回目であり完結編です。
はじめに:エルサレム法廷の階層構造
前回はシリーズ5回目、最高法院としては1回目であった。以下の内容を扱った。
①3人判事の法廷」と、死刑を司る「23人判事の法廷」の設置基準について。
②神殿の丘から順番に配置されたエルサレム独自の法廷の序列について。
③最高法院の管轄事項について
これは具体的には以下のものであった。
【部族に関わる裁判】
・部族の裁き(申17:8~12)
・小サンヘドリンの設置(申16:18)
・背教の町の判定(申13:13~16)
【祭司・預言者の裁判】
・大祭司の裁判(レビ4:3)
・偽預言者の裁判(申18:20~22)
【その他】
・任意聖戦の決定(民27:21)
・エルサレムや神殿の拡張(出25:9、ネヘ12:31~43)
この内、前回は【部族に関わる裁判】について扱った。今回は【祭司・預言者の裁判】から始める。
【大祭司の裁判】大祭司の訴訟能力と「法の支配」
まず大祭司に関わる裁判については、口伝律法ミシュナ「Sanhedrin(サンヘドリン)」1章5節に原則が示されている。
部族、偽預言者、大祭司は71人の法廷以外で裁いてはならない。
また、「sanhedrin」2章1節には次のように書かれている。
大祭司は裁いてもよいし、裁かれてもよい。彼は証言することが出来るし、されることも出来る。
大祭司には律法の専門家として判事に加わる資格があることも、訴訟能力があることも認められている。
後者については具体的には、民事事件や刑事事件に関わることになった場合、通常の市民と同様に裁判を受けなければならないという事である。ただし、大祭司に対する審理は最高法院で行わなくてはならない。
また、「証言することが出来るし、されることも出来る」とある。裁判において、大祭司は目撃した事実を証言することが認められている。他方で誰かが彼に不利な証言をすることも認められている。彼の聖職者としての地位が、真実の究明を妨げてはならない。
王と大祭司の決定的な違い:ダビデ家の例外
この点、王とは異なっている。王については次のように書かれている。
王は裁いてはならないし、裁かれてもならない。彼は証言してはならないし、されてもならない。
まず「王は裁いてはならないし、裁かれてもならない」とある。王が法廷に呼び出されて裁かれることはない。法廷が政治権力によって混乱させられるのを防ぐための措置とされる。
同じ理由で、王が民事事件、刑事裁判の裁判官として座ることも、証人として証言することも、証言されることも禁止される。
ただし、これはダビデ家以外の王に対してである。ダビデ家の王たちは神との契約に基づき、「神の代理人」として律法に従う義務があった。そこで自ら裁判の席に座って裁き、また罪を犯したなら裁かれる立場でもあったのである。ダビデ自身、バト・シェバの件で預言者ナタンの糾弾を聞いている。
この「Sanhedrin」2章2節でダビデ家以外の王が司法権から免責されているのは、彼らが権力で司法を混乱させた歴史があったからである。
【偽預言者の裁判】神の御名による「真偽」の判定基準
次は偽預言者の裁判である。トーラの箇所を挙げる。
ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」あなたは心の中で、「どうして我々は、その言葉が主の語られた言葉ではないということを知りうるだろうか」と言うであろう。その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない。
まず偽預言者について定義されている。それは次の2つである。
①勝手に主の名で語る: 神が命じていないことを、あたかも神の託宣であるかのように宣言して語ること。
②異教の神々の名で語る: 他の神々の名前によって語ること。
預言者の真偽を見分ける基準も示されている。それは預言した事実の成就如何である。「そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない」(ibid.)と書かれている。
ただし、災いの預言が外れた場合は、直ちに偽預言者とは見なされない。ヨナ書を思い出して欲しい。ヨナはニネヴェの滅亡を預言したが、町の人々が悔い改めたために、それは実現しなかった。神が憐れみを施されたからである。
最高法院が下す「死刑判決」:イエスと使徒たちの罪状
偽預言者の量刑については「Sanhedrin」11章に書かれている。
以下の者は絞首刑に処される。父や母を打つ者、ユダヤ人を誘拐する者、法廷の裁きに従わない者、偽りの預言者、偽りの神の名によって預言する者、・・
イエスは最高法院によって死刑判決を受けたが、まさに偽預言者として有罪宣告されたと見ることが出来るだろう。彼は当局から見たならば「勝手に主の名で語る」者であった筈である。
これはペトロたち弟子も同じであるが、彼らは複数回最高法院に召喚されているので、「反逆する長老」の立場で裁かれた側面もある。
「反逆する長老」とは律法について独自の見解を主張し、最高法院の決定に背いて自説を広め、また実行させる者のことをいう。「Sanhedrin」11章には次のように書かれている。
彼ら(反逆する長老)は切り石の間(Lishkat HaGazit;リシュカット・ハガジット)の最高法院に来る。そこからトーラの教えは出ているのである。次のように書かれている。「あなたは、彼らが主の選ばれる場所から告げる判決に従い、彼らの指示するとおりに忠実に実行しなければならない。」(申17:10)。もし彼が自分の町に戻り、以前と同じように教えているなら、彼は有責ではない。しかしもし掟として定めてしまうなら、彼は有責である。「あなたの神、主に仕えてそこに立つ祭司あるいは裁判人を無視して、勝手にふるまう者があれば、その者を死刑に処し、イスラエルの中から悪を取り除かねばならない。」(申17:12)。彼は掟として公布しない限りは有責ではない。
これはある者が独自の律法解釈に基づいて行動し、最高法院でも違法判決が出たのだが、その後も実践していた場合の手続きである。
「反逆する長老」としてのペトロとヨハネ
ペトロは使徒言行録4章において、最高法院で尋問を受けている。
ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。
この後弟子たちは脅されて釈放されたが、宣教活動をやめないので、再び最高法院に引き立てられている。そこで大祭司が次のように尋問する。
あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。
【国家の重大事】任意聖戦の決定とウリムの神託
最高法院の残りの専権事項、つまり下記の2つについて解説する。
【その他】
・任意聖戦の決定(民27:21)
・エルサレムや神殿の拡張(出25:9、ネヘ12:31~43)
まず「任意聖戦の決定」である。ここで言う「任意」とは、エジプトを出てカナンの地を征服しなくてはならなかった「義務の戦争」との対比で語られる。
義務の戦争は文字通りイスラエルの民として遂行しなくてはならなかったが、任意の戦争はそれ以外の戦いである。これは最高法院の審議を経なくてはならない。ミシュナ「sanhedrin」1章5節に次のように書かれている。
任意の戦争は71人の法廷の賛同を得なくてはならない。
旧約聖書最高権威のモーセ五書(トーラ)には次のように書かれている。
主はモーセに言われた。「霊に満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選んで、手を彼の上に置き、祭司エルアザルと共同体全体の前に立たせて、彼らの見ている前で職に任じなさい。あなたの権威を彼に分け与え、イスラエルの人々の共同体全体を彼に従わせなさい。彼は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは彼のために、主の御前でウリムによる判断を求めねばならない。ヨシュアとイスラエルのすべての人々、つまり共同体全体は、エルアザルの命令に従って出陣し、また引き揚げねばならない。
この箇所は次のことを示している。
①モーセが神から直接指示を受けていた時代が終わり、ヨシュアに次の指導者としての権威が与えられること。
②ヨシュアによる政治・軍事についての主導権と、大祭司による祭儀・裁判についての主導権による分権体制へと移行すること。
21節には次のように書かれている。「彼(ヨシュア)は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは彼のために、主の御前でウリムによる判断を求めねばならない。」(ibid.)「ウリム」は通常「ウリムとトゥンミム」という言い方で使われる。
ウリムとトゥンミムは旧約聖書において多数登場するが、明確なことは分かっていない。
確かなことは、大祭司の祭服に胸当てがあるが、その胸当てと彼の胸の間に入れられていた事である。神の御旨を問う時には、このウリムとトゥンミムが使用された。
ここで重要なのは「ヨシュアが大祭司の前で神の御旨を求めるべき」とされたことである。「(イスラエルの)共同体全体は、エルアザルの命令に従って出陣し、また引き揚げねばならない」(ibid.)とあり、その決定は全イスラエルを拘束したことが分かる。
任意の戦争についての要件は、この民数記27章21節を根拠に定められたものである。
それは世俗の権力(ヨシュア)だけでなく、最高法院(エルアザル)の認可もなくてはならないことを意味する。
【聖域の拡張】エルサレムを「聖別」する二つのパンの儀式
最後に「エルサレムや神殿の拡張」についてである。まずはトーラを読んで欲しい。
わたしが示す作り方に正しく従って、幕屋とそのすべての祭具を作りなさい。
これは臨在の幕屋(後の神殿)の内部の調度だけでなく、その聖域の仕様も神の命令に拠ることが示されている。
この聖域を拡張する要件については、ミシュナ「Shevuot」2章2節に書かれている。
神殿の敷地やそれに付け加えられたスペースに入る者は、有責である。というのも、彼らは町や神殿の敷地を付け加えることはない、王、預言者、ウリムとトゥンミム、71人のサンヘドリンと共に、2つの感謝の献げ物と賛美をもってしないなら 。法廷が2つの感謝の献げ物をもって歩き、その後ろに全てのイスラエルが続く。内側のものが食べられ、外側のものは焼かれる。如何なるものを付け加えようと、これらを欠いているものについて、-誰がそこに入ろうとも、有責ではない。
本文に沿って解説するのは煩雑であるので、要点を整理する。
神殿の敷地の拡大には、「王、預言者、ウリムとトゥンミム、71人のサンヘドリン」、これらの全ての条件をクリアしなくてはならない。これが最初の条件である。その後、聖別の儀式が続くことになる。
ネヘミヤ記に見る「聖と俗」の境界線
「法廷が2つの感謝の献げ物をもって歩き、その後ろに全てのイスラエルが続く」とある。これはネヘミヤ記12章31〜43節を思い出す方がいるだろう。それは正しい。当該箇所はまさにこの場面を表しているのである。
その儀式については次の通りである。
「2つの感謝の献げ物」は2つのパンを指す。最高法院の議員たちがこのパンを持って歩き、全イスラエルの人々がそれに続く。
2つのパンは下記のように扱われる。
①内側を行くパン: 聖別される区域の内側を通ったパンは、祭司によって食べられる。
②外側を行くパン: 聖別される区域の外側を通ったパンは、焼却処分される。
これによってどこまでが「聖」でどこからが「俗」かが霊的に区分される。ここまで説明すれば、上記「Shevuot」2章2節はほとんど自分で読めるだろう。
これは神殿の敷地だけではない。「町や神殿の敷地」(ibid.)とある通り、エルサレムの町の拡張についても適用される。エルサレムの境界は律法上重要な領域であり、神殿の敷地に次ぐ聖性を持っている。たとえ物理的に町を大きくしても、上記の手続きを経ていないなら、その為の効力は発生していない。
これらの事項の決定にも、最高法院は関わっているのである。
以上でこのシリーズを終えることにする。
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(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるためのご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
【シリーズ目次】ミシュナ『Sanhedrin』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n8cf87c1bb399
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
