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ミシュナ『Sanhedrin』法理研究 第12回:馬と金銀の所有制限、二重のトーラ写本義務、散髪・脱衣・浴場における畏敬の規定(2章4節後半〜5節)

【学術的免責事項】本稿は、古代ユダヤ法(口伝律法ミシュナおよびタルムード・ゲマラ)の文献記述に基づく、純粋な法制史および比較法学の研究を目的としている。

 本稿は口伝律法ミシュナ第4部『Nezikin(ネジキン)』に属する『Sanhedrin(サンヘドリン)』の第12回目の解説である。

 今回は『Sanhedrin』2章4節後半から5節を対象に、王権に対する律法の絶対的優位性と、民衆が王に対して抱くべき「畏敬の念」をめぐるハラハーを詳解する。

 具体的には、申命記17章に記された「馬・金銀の所有制限」が公的必要性と私的過剰にいかに法理区分されるか、また、全てのユダヤ人のトーラ所有義務に対する、王だけに課された「二重のトーラ写本所有義務」を網羅。

 さらに、王の死後における所有物焼却の法理や、散髪・脱衣・浴場における視覚的・空間的な尊厳管理のメカニズムについて解説する。


前回の振り返り:『Sanhedrin』2章4節(前半)における王権と大サンヘドリンの法理

 前回は『Sanhedrin』2章4節に関する法理学的な解説である。主に「王」に認められた特権(戦争、土地通行権、戦利品分配)とその制限、および后妃の最大数について、聖書的根拠とラビたちの論争を詳解した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】戦争の開始と大サンヘドリンの同意

 王が「任意の戦争(律法で義務付けられていない戦争)」を仕掛けるには、71人で構成される最高法院(大サンヘドリン)の同意が必須とされている。一方、カナンの征服やアマレクとの戦いのような「義務の戦争」については、この承認手続きは不要である。

【2】王の通行権と土地接収権

 王は、自らの畑やぶどう畑への道を作るために、他人の所有地の柵を壊して突き進む権利を有しており、誰もこれを妨げることは出来ない。この権利の適用範囲については中世の注釈書、または学者の間で解釈が分かれている。

 Yad Ramah:永続的な接収ではなく、必要な際の通行のみを認める。

 Maimonides:この通行権の行使は「戦争の時」に限定される。

【3】戦利品分配の法理

 戦争で得た戦利品のうち、半分は王のものとなり、王は自分の取り分を最初に選ぶ権利がある。

①根拠

 歴代誌上29章22節において王(ソロモン)と大祭司(ツァドク)が並んで記されていることから、大祭司が神殿の供え物(lechem hapanim)の半分を受け取るのと同様に、王も戦利品の半分を得るという法理が導き出されている。

②兵士間の分配

 残りの半分は、前線で戦った兵士と後方の守備隊の間で平等に分けられる。これはダビデ王の裁定に基づいている。

【4】后妃の最大数制限(18人)

 王が娶ることができる妻の上限は18人までとされている。

①算定の根拠

 ダビデ王が6人の妻を持っていた際、預言者ナタンが「(不足なら)これらのように、またこれらのように加えたであろう」と述べた記述から、「6人+6人+6人=18人」と解釈された。

②内訳の論争

 Maimonidesは「正妻と側女を合わせた数」としたが、Ravadは「正妻は18人だが、側女には制限がない」と主張している。

【5】「心を迷わせる」ことへの警戒

 王が多くの妻を娶ることを禁じる申命記17章17節の解釈を巡り、ラビたちの間で論争がある。

①ラビ・ユダ

 「心を迷わせない」徳高い妻であれば、18人を超えてもよいと考える。

②ラビ・シモン

 たとえ1人であっても心を迷わせるなら結婚すべきではなく、逆にアビガイルのような徳高い妻であっても、人数制限(18人)は厳格に適用されると主張した。

③結論(ハラハー)

 妻の性質に関わらず、18人という上限を超えることは出来ないとする見解が支持されている。

 このように、王の強力な権限(開戦や土地徴収)を認めつつも、最高法院によるチェックや、私生活における厳格な人数制限を設けることで、王の権力と道徳的純潔を維持しようとする律法の構造が浮き彫りにされている。

 以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉ミシュナ『Sanhedrin』法理研究 第11回:大サンヘドリンの戦争承認権と王の土地通行権・戦利品分配法理、および后妃の上限数(18人)を巡る論争

https://note.com/mishnah/n/ne8ce38502990


申命記17章16~17節に基づく王の「馬」および「金銀」の所有・蓄財制限


 今回は口伝律法ミシュナ「Sanhedrin」2章4節の続きからである。まずは本文を引用する。

 「王は多くの馬を持ってはならない。」(申17:16)自分の戦車に必要なだけである。「王は金銀を多く蓄えてはならない。」(申17:17)兵士に払うべき給与だけ持つべきである。

(Sanhedrin 2:4)

 まず馬の所有制限についてであるが、申命記17章16節に基づき、王は「自分のために」多くの馬を所有することは禁じられている。これは自分の楽しみや名誉(誇示)のための馬は制限されるが、軍隊や戦車に用いるのであれば、必要なだけ所有することが許される。

 次に金銀の蓄財制限についてである。申命記17章17節に基づき、王は過度に金銀を蓄えてはならない。

 この規定も王の個人的な財産に適用される。兵士への給与や王宮のスタッフを維持するために必要な分だけは蓄えることが出来る。

 ダビデ王などの歴代の王たちが国家のために多額の蓄えをしていていた事からも、公的な事柄の為の蓄えが許容されていたことは明らかである。

王権に対する律法の絶対的優位:二重のトーラの写本所有義務


 続きには次のように書かれている。

 彼は自分の為にトーラの巻物を所有する。― 戦争に出る際、それを持って行く。帰還する時、それを戻す。裁きの座につく時、それを持って行く。横になる時、それは彼の目の前にある。このように書かれている。「それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返す。」(申17:18)

(Sanhedrin 2:4)

 王が律法の写本を所有しなくてはならないことは、トーラの中に書かれている。

 18彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを作り、 19それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない。

(申17:18~19)

 王は自らトーラの写本を作成することが出来るし、他の者に作成させることも出来る。

 実際のところ、全てのユダヤ人はトーラの写本を所有するべきであるとされている。その根拠はトーラに示されている。

 あなたたちは今、次の歌を書き留め、イスラエルの人々に教え、それを彼らの口に置き、この歌をイスラエルの人々に対するわたしの証言としなさい。

(申31:19)

 文脈に従い、文字通りに読むならば、この「歌」は申命記32章のモーセの歌を指していると思われる。しかしトーラをそのように細かい断片で作成することは禁止されている。

 そこでこの箇所は全てのユダヤ人に対して、トーラの写本を所有しなくてはならないという促しであると解釈されている。

 王については、2つの写本を所有することが求められている。なぜなら宮廷で所有するものの他に、どこへ行く時にも1つ写本を持っていくべきであるからである。

 戦争に出かける時も、帰還する時も、ダビデ王朝の王ならば、裁きの座につく時も、トーラを携えて行く。また「横になる時」も、トーラを携える。古代では横になって食事をすることが習慣であったからである。

 「Sanhedrin」2章4節の最後に「それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返す」(申17:19)という箇所が引用されている。この箇所から、王は浴場にトーラを持ち込まないことが分かる。なぜならトーラを持って行く所で、王は「生きている限り読み返す」からである。読むことが出来ない場所へはトーラを持ち込まない。

王権の不可侵性と民衆の畏敬をめぐる法理


 続きには次のように書かれている。

 誰も王の馬に乗ってはならない。その玉座に座ってもならないし、王笏を持ってもならない。

(Sanhedrin 2:5)

 ここでは王への畏敬の為に、その他のイスラエルの民が慎むべき行為が列挙される。

 王が個人的に使用していた物を用いることは、民が王に対して持つべき畏敬の念を損なうものである。そこで王の馬に乗ることは禁止される。唯一それが許されるのは、王自身を危険から救う為に、必要な限りの使用である。

 ミシュナ本文には馬の他、玉座や王笏が挙げられているが、使用が禁止されるのは、これらのものに限定されない。その他の物も、王の所有物は使用してはならず、王の死後に焼却される。

 しかし別の王であればこれらを引き継ぐことが許される。側室についても同様に、別の王には許可される。

 続きには次のように書かれている。

 髪を切る時、服を脱ぐ時、風呂に入る時、誰も見てはならない。次のように書かれている。「あなたの上に王を立てなくてはならない」(申17:15)。彼を畏れなくてはならない。

(Sanhedrin 2:5)

 ここでは王の威厳を損なわないよう、他人が目にすることは禁じられていることが挙げられている。すなわち王が散髪している姿、王が服を脱いでいる時、また浴場にいる時である。

 たとえ浴場内で服を着ていたとしても、そのような場所に王がいる姿は見られてはならないという見解もある。これらはすべて、民衆が王に対して抱くべき「畏敬の念」を損なわないための配慮である。

申命記17章15節「あなたの上に王を立てる」の直訳的・ハラハー的解釈


 ミシュナ本文には、その根拠としてトーラを挙げている。

 同胞の中からあなたを治める王を立て、同胞でない外国人をあなたの上に立てることはできない。

(申17:15)

 「あなたを治める王を立て」の原文を直訳すると、「あなたの上に王を置く」である。王は畏敬するべき存在である。

 以上で「Sanhedrin」2章を終えた。

 今回の内容は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を進めるためのご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Sanhedrin』法理研究

https://note.com/mishnah/n/n8cf87c1bb399

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.2】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.201〜No.300)

https://note.com/mishnah/n/na80e65fb273e

 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c

(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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