見出し画像

「神殿から商人を追い出す」の誤解(下)――「火の部屋」の構造と大祭司一族による神殿行政の私物化

 聖書学において「宮清め」として知られるイエスの行動は、単なる宗教的情熱の爆発だったのか。本稿では、口伝律法ミシュナ『Middot(ミドット)』が記す神殿構造「火の部屋(Beit HaMoked:ベイト・ハモケド)」を詳細に分析し、当時の神殿行政が敷いていた「支払いと受け取りの分離システム」を浮き彫りにする。

 さらに、タルムード『Pesachim(ペサヒーム)』に記録された大祭司一族による役職独占と、ミシュナ『Bava Metzia(バヴァ・メツィア)』が定める不当価格(ona’ah:オナア)の基準を照らし合わせることで、イエスが対峙した「強盗の巣」の真の実態をロジカルに解明してする。




 本稿は表題の通り、イエスが神殿から商人を追い出されたシリーズの2回目である。場面はマタイによる福音書21章になる。まずはその箇所を再掲しよう。

はじめに:イエスが行動した「異邦人の庭」の役割(再掲)

 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。そして言われた。「こう書いてある。
『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』
 ところが、あなたたちは
それを強盗の巣にしている。」

(マタ21:12~13)

 これに関して、前回は以下の内容を確認した。

①イエスが商人を追い出された場所は、神殿の丘の中かつ神殿の敷地の外である「異邦人の庭」においてである。

②神殿の近くで祭壇へのいけにえとなる家畜を買うことが出来るのは、無傷でなくてはならないいけにえを準備する上で必要不可欠である。

③同様の配慮は穀物の献げ物、油、ぶどう酒の献げ物の総称であるnesachim(ネサヒーム)にも言えた。

 nesachim(ネサヒーム)が神殿における適格性を失わない為の配慮についての説明が、今日の続きになる。

 これに関してはまず、口伝律法ミシュナ「Middot(ミドット)」1章を確認する。全く分からないと思うが、すぐに説明するので、取りあえず読んで欲しい。

神殿内部の会計システム――「火の部屋(Beit HaMoked:ベイト・ハモケド)」と領収証の部屋

 火の部屋には4つの部屋がある。その内2つは聖なる部分にあり、他の2つは聖なる部分にある 。梁が聖なる領域とそうでない領域を間を分けている。
 これらの部屋は何の為に作られているのだろうか?南西の部屋は・・(略)・・。南東の部屋は・・(略)・・である。北東の部屋は、ハスモネア朝の息子たちがシリアの王によって汚された石を隠した場所である。北西の部屋は・・(略)・・である。

(Middot 1:6)

 ここも読んだだけでは何を言っているのか分からないと思うので、必要な限りで順番に説明する。

 まず「火の部屋には4つの部屋がある。その内2つは聖なる部分にあり、他の2つは聖なる部分にある」とある。次の図を見て欲しい。

神殿の平面図と火の部屋

 緑の四角で囲んでいるスペースが火の部屋(Beit HaMoked:ベイト・ハモケド)である。その中の赤丸印で囲んだ場所が「北東の部屋」になる。

 図でも「火の部屋」は神殿の外側と内側の両側にまたがっていることが分かると思う。これに対して「北東の部屋」は神殿の外に位置していることも分かる。

 つまり「火の部屋」の北側(図の右方向)の2つの部屋は神殿の外になり、南側(図の左側)の2つの部屋は神殿の内側になることを言っている。

 2段落目では北東側の部屋について、「ハスモネア朝の息子たちがシリアの王によって汚された石を隠した場所」と言っているが、これは今回のテーマとは関係ないので立ち入らない。問題はこの部屋が何に使われていたかである。

 想像に難くないと思うが、多数の人が押し寄せる神殿において、会計業務と献げ物を受け取る場所が同じであることは著しく非効率である。また担当者の不正を防ぐ為にも、2つの業務を別々の者に担当させる方が相応しい

 また上記のように神殿から離れた場所で取引すると、折角の穀物や油、ぶどう酒が汚れてしまい、祭壇で使えなくなる危険が大きかった。

 そこで神殿の敷地に直結した場所で売り買いし、かつ支払場所と現物の受け取り場所を別に置いたシステムになっていたのである。また、そうすることで事実上会計業務を2つの部署で責任を持つことになり、不正を防止出来る長所もある。

 「ハスモネア朝の息子たちがシリアの王によって汚された石を隠した場所」、この北東の部屋で巡礼者は代金を支払っていたのである。この部屋は「領収証の部屋」と呼ばれている。

 具体的にどのようにこれらの業務を行っていたのか、もう少し詳しく解説する。口伝律法ミシュナ「Shekalim」5章を読んで欲しい。

 誰であれ、nesachimを要する者は、トークン(札)についての役人であるヨハナンの所へ行き、支払いを済ませ、札を受け取る。それからアヒヤの所へ行く。アヒヤはnesachimについての役人であり、彼に札を渡し、nesachimを受け取る。

(Shekalim 5:4)

 つまり、祭司であり役人であるヨハナンは、領収証の部屋にいたのである。他方でアヒヤがどこにいたのかは特定されていない。しかし近くにいたと想定されている。

 以上をまとめると次の通りである。

 「誰であれ、穀物の献げ物、油、ぶどう酒を準備したい者は、神殿の役人であるヨハナンがいる領収証の部屋へ行き、代価を支払う。彼から札(トークン)を受け取ると、近くにあるアヒヤの所へ行き、札(トークン)を渡してnesachimを受け取る。

聖域の内外を貫く売買システムの実態

 以上から明白なのは、イエスは異邦人の庭で騒動を起こしたが、それよりもずっと内側でも、現金の授受は行われており、献げ物の授受も行われていた事である。

 この内側の売買システム(火の部屋)と、外側の家畜についての売買システム(異邦人の庭)は一体で、全体として神殿の機能を支えていた。もし神殿全体を否定するのであれば、より内部での騒動もあり得たように思うが、イエスはそのようにしていない。

 次に神殿運営について責任を担う祭司たちの方に目を向ける。

 その為にタルムードの本文を引用する必要があるが、その前にそもそもタルムードが如何なるものであるのか一言しよう。

 タルムードは聖書には書かれていない律法の集大成であり、中核となる本文は口伝律法ミシュナである。口伝律法ミシュナの本文は簡潔に過ぎ、素人が読んでも何が書いてあるのか分からない。

 タルムードとは、この簡潔かつ尊いミシュナの本文を主題として展開する議論を集め、編纂したものである。ミシュナは63巻から構成されているので、その延長議論であるタルムードも、同数の巻から構成されている。

 そのタルムードの「Pesachim(ペサヒーム)」という名前の巻には、次のように書かれている。読んだだけでは分からないと思うが、すぐに解説するので、とりあえず目を通して欲しい。

タルムードが記録する大祭司四家系の腐敗――『ペサヒーム』57aの告発

 高位の祭司たちや彼らに似た者たちに関して、アバ・シャウル・ベン・バトニットはアバ・ヨセフ・ベン・ハニンの名においてこう言った。「バイトス家の大祭司たちのために、私は災いを受ける。彼らの棍棒のために、私は災いを受ける。ハニン家の大祭司たちのために、私は災いを受ける。彼らのささやきと噂のために、私は災いを受ける。カトロス家の大祭司たちのために、私は災いを受ける。彼らが嘘を書くために使うペンのために、私は災いを受ける。イシュマエル・ベン・ピアキ家の大祭司たちの召使たちのために、私は災いを受ける。彼らの拳のために、私は災いを受ける。」これらの家の権力は、父親が大祭司、息子が神殿の財務官、婿が神殿の監督であったという事実に由来していた。そして、彼らの召使たちは棍棒で民を殴ったり、その他不適切な行為をしたりした。

(Pesachim 57a)

 ここでは4つの家系について挙げられている。いずれも「何々家の大祭司たちのために」という仕方である。すなわちバイトス家、ハニン家、カトロス家、イシュマエル・ベン・ピアキ家の4つであり、それぞれ大祭司を輩出している。

 これらの家系は神殿運営における実権を共同で、あるいは交代で握っていたらしい。

 具体的な不正は「棍棒、ささやき、嘘を書くペン、拳」などと書かれている。以下、次のように説明される。

権力の独占と「棍棒・ささやき・嘘を書くペン・拳」の正体

①棍棒: 物理的な暴力。
 神殿のハヌート(店;祭司一族が経営する市場)などで自分たちのルールに従わない者を力で屈服させていたことを示唆する。

 前回、祭壇に献げるいけにえは、遠方から来る巡礼者には神殿近くで購入する便宜を語った。しかし近隣住民までそれをする必要はない。自ら調達した家畜を神殿に携え、検査係の祭司に傷の判定をして認証を得れば、それを祭壇に献げることは出来たのである。

 しかし検査係によって不当に傷があるとして不合格にされ、結局「ハヌート」の高価な個体を買わされることがあったらしい。

 口伝律法ミシュナ「Bava Metzia(バヴァ・メツィア)」4章では、定価から一定額以上高すぎ、あるいは安すぎる売買は、取り消しの対象になると定めている。

律法が定める不当価格の基準――ミシュナ『Bava Metzia(バヴァ・メツィア)』4章3節

 詐欺を構成する価額は24マアの内、それは1セアに相当するが、4マアであり、―6分の1である。
 いつまでに撤回出来るだろうか ?商品を商人に、または親戚に見せるまでの時間である。

(Bava Metzia 4:3)

 見慣れない単位に戸惑うかもしれないが、要するに「適正価格の6分の1(約16.7%)」を超える価格差が生じた場合、それは不当な価格設定と見なされるという規定である。

 この「不当な価格設定」はona’ah(オナア)と呼ばれる。

 この比率を超えて売買された場合、買い主は取引の取り消しが可能になる。ただし、際限なくキャンセルを認めると商取引が成立しないため、「専門家や身内に相談して相場を確認する程度の時間」という現実的な期限が設けられている。

 大祭司の一家はいけにえとしての認証権限を不当に用い、この比率を越える額で家畜を売っていたともされている。

②ささやき(密告): 政治的な陰謀。ローマ当局への密告や、中傷によって反対派を排除する手法。

 以前、『イエスを裁いた最高法院における裁判について(下)―ミシュナ『Beitzah(ベイツァー)』『Sanhedrin(サンヘドリン)』が暴く「三つの不法」と夜間裁判』という私の記事で述べたが、当時のローマ支配下においては、民事・政治的な代表権を持っていたのは、ローマから任命された大祭司(サドカイ派)であり、最高法院を主導していたのも彼らであった。

 そこで解説した通り、もしも福音書の記述を信用するなら、最高法院の運用も律法から逸脱した仕方で行っていたものである。

 従って、恣意的な統治方法のあり方として、ローマに密着したものもあったであろう。

(記事については、以下から参照して下さい)

◉イエスを裁いた最高法院における裁判について(下)―ミシュナ『Beitzah(ベイツァー)』『Sanhedrin(サンヘドリン)』が暴く「三つの不法」と夜間裁判

③嘘を書くペン: 穀物など献げ物(nesachim)の代価やトークン(札)の運用において、不正な帳簿付けが行われていた可能性を示唆する。

 これは前回の記事において述べた。神殿には多数の巡礼者が詰めかけるので、神殿に直結した場所で穀物などnesachim(ネサヒーム)の代価を受け取る業務と、それを渡す業務を別々にする便宜が必要である。

 それはまた、少し触れたが巡礼者たちを迎える上での必要性だけでなく、帳簿の改竄と不正な会計処理を防ぐ手段でもあった。上記タルムード本文に「これらの家の権力は、父親が大祭司、息子が神殿の財務官、婿が神殿の監督であったという事実に由来していた」とある。

 本来独立して担い、神殿運営の公正を担保するべき役職を、力あるこれらの一族で独占することで、不当な利得を得ていた可能性を示唆している。

④拳: 日常的な手段としての威圧を表す。

結び:福音記者の意図と現実の読み方の狭間で


 イエスは「神殿は祈りの家であるべきだが、あなたたちは強盗の巣にしている」と言った。それはこれらの事情を踏まえたものであるかもしれない。

 しかし福音書の記述を見る限り、神殿で商売をすることへの批判に見える。背景を理解すると一応上のような解釈になるのだが、これが元々の福音書記者の意図であったのかと言うと、それは難しい気がする。少なくとも、私たちはそのような読み方をしていない。


(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

いいなと思ったら応援しよう!