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口伝律法ミシュナ『Kilayim(キルアイム)』の全法理 第3回:「ぶどう畑の周辺」における12キュビット/16キュビットの距離内訳と「ぶどう畑」を構成する本数・配置の法理的定義(4章1節〜6節)

*本稿では、口伝律法ミシュナ『Kilayim(キルアイム)』第4章1節から6節を精読し、ぶどう畑の周辺(外縁と壁の間)に求められる距離の法理を、Beit Shammai(16キュビット説)とBeit Hillel(12キュビット説)の論争から詳解する。

 さらに、単体のぶどうの木と「ぶどう畑」を区別し、分類する基準として、最低本数(5本/6本)や「2対2+尻尾」の幾何学的配置に関するRoshやRambamの伝統的解釈を交え、律法上の定義を厳密に検証する。


前回の振り返り:ぶどう畑におけるkilayimの基本原則と学派間距離論争


 前回は、口伝律法ミシュナの『Kilayim(キルアイム)』第4章1節に基づき、特にぶどう畑における異種混交禁止(kilayim:キルアイム)の法理について解説した。

 主な内容は以下の通りである。

【1】ぶどう畑における禁止規定(申命記22章9節)

①収穫物禁止の原則

 ぶどう畑でkilayimが発生した場合、そのぶどうも一緒に栽培した作物も、食べたりその他利益を得ることは禁止される。

②隔離距離の必要性

 ただし、ぶどう畑の内部や周囲であっても、一定の距離を確保し、他の作物が「独立した別の畑」として確立されていれば、栽培が許可される。

【2】学派間による距離論争(「Kilayim」4章1節)

 ぶどう畑の中に他の作物を植える際に必要な「空きスペース」の広さについて、Beit Shammai(ベイト・シャマイ:シャマイ学派)とBeit Hillel(ベイト・ヒレル:ヒレル学派)の間で論争がある。

①Beit Shammaiの見解(24キュビット説)

 独立した畑として認められるには8キュビットの広さが必要であると考える。

 左右のぶどう畑の影響圏(各8キュビット)と、独立した畑(8キュビット)を合計し、計24キュビットのスペースを必要とする。

②Beit Hillelの見解(16キュビット説):

 独立した畑として認められるには4キュビットの広さが必要であると考える。

 左右のぶどう畑の影響圏は各4キュビットになる。それなら、その間に設ける他の作物の畑も4キュビットで足り、全体で12キュビットが必要最低限と思われる。

 しかしミシュナ本文では、最低限必要な広さを16キュビットとしている。

 Artscrollの参考書では、「真ん中の他の作物の畑」が8キュビットである点について解説していない。8キュビットはBeit Hillelの見解では、畑2つ分の資格になる。

【3】作業スペースの定義

 両学派に共通する前提として、ぶどう畑の維持・管理のために4キュビットの「作業スペース」を確保しなければならない。

 この作業スペースはぶどう畑の一部と見なされるため、何も植えてはならない。

 このスペースを確保した上で、さらにその間にある空間が「独立した畑」としての規模を満たしていることが、kilayimを避けるための条件となる。

 以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。

◉口伝律法ミシュナ『Kilayim(キルアイム)』の全法理 第2回:ぶどう畑の混交禁止とBeit Shammai/Beit Hillelの距離論争(4章1節)

https://note.com/mishnah/n/nc5dc9799651e


ミシュナ「Kilayim」4章1節・2節:『ぶどう畑の周辺』の定義と12キュビット/16キュビットの内訳論争


 今回は「Kilayim」4章1節で意図的に後回しにした箇所から開始する。以下のように書かれている。

 ぶどう畑の周辺について。-Beit Shammaiは言う、「16キュピッド。」しかしBeit Hillelは言う、「12キュピッド。」

(Kilayim 4:1)

 まず「ぶどう畑の周辺」とは何であろうか?それは次節である「Kilayim」4章2節に書かれている。

 ぶどう畑の周辺とは何であろうか?ぶどう畑の外縁と壁の間のことである。もし12キュビットないならば、他の種を蒔いてはならない。もし12キュビットあるならば、作業スペースを与え、植えてよい。

(Kilayim 4:2)

 キュビットはアンマと同じ長さの単位である。

 本節によると、「ぶどう畑の周辺」とはぶどう畑の端とその周りにある壁の間のスペースである。

 もしそのスペースが12キュビットであるなら、他の種を蒔いてよいが、12キュビットに満たないなら、不可という事である。

 もしも12キュビットに満たない場所に他の作物の種を蒔いたなら、それはぶどう畑の一部に他の作物を栽培していると見なされる。勿論kilayimの掟に抵触する。

 12キュビットという長さは次のように考える。

 ぶどう畑から4キュビットはぶどう畑の為の作業スペースである。そこでは他の作物を育ててはならない。

 壁際から4キュビットは通路である。土地を固め、壁の基礎を確かにする。そこに作物は植えない。

 従って、仮にぶどう畑と壁の間の距離が8キュビットしかないなら、このスペースには何も植えることが出来ない。

 更に4キュビットの広さで独立の畑の要件を満たした上で、他の作物を育てることが出来る。

 以上を踏まえると、12キュビットは以下の内訳に基づいている。

(ぶどう畑の作業スペースとして)4キュビット + (他の作物が独立した畑として見なされる為の)4キュビット + (壁際の通路のスペースとして)4キュビット = 12キュビット

 この全体で12キュビットという見解は、Beit Hillelのものである。

「Kilayim」4章1節では、Beit Shammaiはこの長さを16キュビットとしている。その理由を解説する。

 Beit Shammaiが独立した畑として見なすのは、8キュビット以上である。この定義は前回の記事で確認した。

これに対してBeit Hillelが独立した畑として見なすのは、4キュビット以上であるから、Beit Shammaiの見解はBeit Hillelよりも4キュビット長くなる。

 以上を踏まえると、Beit Shammaiの16キュビットは以下の内訳になる。

(ぶどう畑の作業スペースとして)4キュビット + (他の作物が独立した畑として見なされる為の)8キュビット + (壁際の通路のスペースとして)4キュビット = 16キュビット

 ここまで「ぶどう畑の周辺」についての解説を終えた。

単体の木と「ぶどう畑」の区別と基準:「Kilayim」4章5節における「畑」の成立条件


 ぶどうに関するkilayimを判断する際、ぶどうの木単体に関わるものなのか、ぶどう畑に関わるものなのか、大きな違いになる。

 例えば1本のぶどうの木の近くに他の作物を栽培する場合、6手幅(6 tefachim)あれば足りる。

 1手幅(1 tefach)= 8~10センチ程度であるから、6手幅は約48~60センチとなる。

 他方でぶどう畑の近くに他の作物を栽培する場合、これまで見てきたように4キュビット(約2メートル)の距離を置かなくてはならない。

 そこで、どの程度の規模からが「ぶどう畑」と見なされるか問題になる。次の「Kilayim」4章5節はその条件を論じたものである。

 少なくとも5本のぶどうの木を1列植えた者について、Beit Shammaiは言う、「これでぶどう畑が成立する。」しかし、Beit Hillelは言う、「2列植えなければぶどう畑とはならない。」
 従って、ぶどう畑から4キュビト未満のところに蒔いた者について、Beit Shammaiは言う、「彼はぶどう畑の1列を無効にした。」しかし、Beit Hillelは言う、「彼は2列を無効にした。」

(Kilayim 4:5)

 以下のように整理出来る。

【1】Beit Shammaiの見解

 5本のぶどうの木を1列植えたなら、ぶどう畑と見なされる。

 そこでこの1列(ぶどう畑)から4キュビット以内の所に他の作物を植えるなら、kilayimの掟に抵触する。

【2】Beit Hillelの見解

 5本のぶどうの木を1列植えても、ぶどう畑と見なされない。それどころか、たとえ何本植えたとしても、1列であるならぶどう畑と見なされない。

 Beit Hillelによると、「ぶどう畑」になるには、5本以上のぶどうの木を要する点でBeit Shammaiに一致するが、最低限2列なくてはならない。

 そこで、この2列(ぶどう畑)の4キュビット以内の所に他の作物を植えるなら、kilayimの掟に抵触し、この2列全てが許されないものとなる。

 この「2列によるぶどう畑」の構成の仕方について、Roshは「2本 + 3本」であると主張する。彼によると「1本 + 4本」はぶどう畑の要件を満たさない。

 これに対してRambamは1列の最低限の本数は3本以上でなければならないとする。従って彼によると「ぶどう畑」を構成するには、最低6本のぶどうの木がなくてはならない。

 次節は「5本でぶどう畑を構成する」という前提で、どのような配置にするべきかを更に論じたものである。

 その前に、それぞれの列の間の距離が気になるが、この問題は別の節で詳しく扱われており、後の回で解説する。

 また、Beit Shammaiは1列でぶどう畑を構成すると主張するが、本節の議論に関係ないのではない。なぜならBeit Shammaiは1列でも構成することが出来ると主張しているのであり、勿論2列でもぶどう畑を構成すると考えるからである。

 以上を前提に「Kilayim」4章6節を引用する。

「Kilayim」4章6節に見る「ぶどう畑」の幾何学的配置:『2対2+尻尾』と『サイコロの5の目(無効)』の境界線

 もし誰かが2対2で、また1つを突き出しているように、尻尾のように植えたなら、それはぶどう畑である。
 2対2で、1つが真ん中にあるのなら、それはぶどう畑ではない、2対2で、1つが尻尾のようになるまでは。

(Kilayim 4:6)

 まず「もし誰かが2対2で、また1つを突き出しているように、尻尾のように植えたなら、それはぶどう畑である」についてだが、図にすると下のようになる。

🍇 ── 🍇
🍇 ── 🍇

🍇

(図1:3つのぶどうの木から構成されている列から、余分な1本が尻尾のように突き出している配置)

 「尻尾のように」というのは、3つのぶどうの木から構成されている列の、余分な1つについて言っている。

 「2対2で、1つが真ん中にあるのなら、それはぶどう畑ではない」とは、2本で1列、2本で1列を作り、その中に1本あるような場合である。

 図にすると下のようになる。

🍇 ── 🍇
│ 🍇 │ (←真ん中にある)
🍇 ── 🍇

(図2:2本ずつの平行な2列によって作られた四角形の中心[真ん中]に、5本目のぶどうの木が配置されている、サイコロの5の目の形をした配置)

 これは私たちの感覚ではぶどう畑かもしれないが、律法上は認められない。

 今回の解説は以上である。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Kilayim』法理研究

https://note.com/mishnah/n/nbf78cc478503


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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