『Bava Batra(バヴァ・バトラ)』法理研究 第2回:相続順位の法理とツェロフハドの娘たちにおける土地分配の数理的検証
*口伝律法ミシュナ「Bava Batra」 8章の伝統的註釈に基づき、トーラ(民数記27章・申命記21章)が規定する相続順位と長子権の法理を厳密に解説。エジプト脱出世代とカナン進入世代の2つの土地分配の基準の数理的ロジックを検証し、ツェロフハドの娘たちが相続した「3つの地」の内訳を実証的に解明する。
前回の振り返り
前回はchazakahの確立と挙証責任の転換について扱った。以下、5つの要点に分けて復習する。
【1】chazakah(ハザカー)の概念と挙証責任
ユダヤ法における「chazakah」は、一定期間の占有という事実に基づいて正当な権利者であることを推定する制度であり、日本の民法188条(占有の権利適法推定)と似た性質を持っている。
ユダヤ法廷での裁判では、判決によって利益を得る側に挙証責任がある。
不動産の所有権に関する審理においては、占有者が3年間継続して占有している事実があれば、所有権が正当であると前提される。
この場合、原告である元の所有者側が挙証責任を負うことになる。
元の所有者である原告側が「彼には売っていない」、「彼には贈与していない」等、有効な律法上の行為をしていないことを証明しなければならない。
【2】対象物と占有期間の計算
「継続的に利益をもたらすもの」がchazakahの対象となる。
①対象例
家屋、穴、鳩小屋、浴場、オリーブ圧搾機、灌漑した畑、奴隷など、3年間の継続した占有が要件となる。
②雨水による畑
雨水に頼る畑は、収穫が年1回であるため、必ずしも3年間ずっと占有し続ける必要はない。3回の收穫に関わっていればよい。
より具体的には、ラビ・イシュマエルとラビ・アキバの見解が示されている
ラビ・イシュマエルの説
種まきと収穫の時期を考慮し、合計18ヶ月(1年目の最後の3ヶ月、2年目の12ヶ月、3年目の最初の3ヶ月)の占有で足りる。
ラビ・アキバの説
家畜の餌にする程度の成長(1ヶ月)でも占有と見なすことが出来ると解して、合計14ヶ月で足りる。
【3】地域間の通信制約とタイムラグ
ミシュナの時代、聖地(ユダ、トランスヨルダン、ガリラヤ)の地域間では連絡が稀であったので、特殊な規定があった。
所有者が別の地域にいる場合、その地域に所有者が戻ってくるまではchazakahは成立しない。
ラビ・ユダによれば、3年という期間は「1年間の占有、1年間の旅(知らせが届く)、1年間の帰還(異議申し立て)」という遠方(スペインなど)にいる所有者とのタイムラグに基づいている。
【4】成立要件と適用除外
chazakahの主張にあたっては、単に「誰も文句を言わなかったから」という理由では不十分であり、「買った」や「贈与された」といった有効な取引の主張が必要とされる。
職人、共有者、小作人、管理人のほか、夫、妻、父、息子の間では、元々互いの土地を利用する権利があるので、chazakahによる権利確立は認められない。
【5】即座に確立するchazakah
一定期間の経過を待たずに、物理的な行為によって即座に所有権が確立する場合もある。
対象になるのは、贈与、遺産分割、改宗者の土地(無主地)の占有の場合である。
ドアを建て付ける、囲いを作る、または囲いを破る、といった行為をすることで、その土地のchazakahが確立する。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉『Bava Batra(バヴァ・バトラ)』法理研究 第1回:不動産所有権における占有(chazakah)の成立要件、挙証責任の転換、及び地域間タイムラグをめぐるラビたちの論争
https://note.com/mishnah/n/n7920fdfa78fd
トーラ及びミシュナに基づく相続順位の法理
今回はその続きで、相続について扱う。まずは旧約聖書の最高権威であるトーラから引用する。
8あなたはイスラエルの人々にこう告げなさい。ある人が死に、男の子がないならば、その嗣業の土地を娘に渡しなさい。 9もし、娘もいない場合には、嗣業の土地をその人の兄弟に与えなさい。 10もし、兄弟もない場合には、嗣業の土地をその人の父の兄弟に与えなさい。 11父の兄弟もない場合には、嗣業の土地を氏族の中で最も近い親族に与えて、それを継がせなさい。主がモーセに命じられたとおり、イスラエルの人々はこれを法の定めとしなさい。」
ここでは相続の順位が示されている。以下の通りになる。
息子 > 娘 > 父親 > 兄弟 > 叔父 > その次に近い親族
詳しくは口伝律法ミシュナ「Bava Batra」8章に記されている。
相続の順位は次の通りである。「ある人が死に、男の子がないならば、その嗣業の土地を娘に渡しなさい。」(民27:8)ーー息子は娘に優先し、息子の子孫は娘よりも優先する。娘は兄弟たちに優先し、娘の子孫は兄弟たちよりも優先する。兄弟たちは父方の叔父たちに優先し、兄弟たちの子孫は父方の叔父たちよりも優先する。これがルールである。誰であれ相続について優先する者は、その子孫も優先する。しかし父親は全て彼の子孫よりも優先する。
1つずつ確認する。父親Xが死んだ場合である。
「息子は娘に優先し、息子の子孫は娘よりも優先する。」これは息子が死んでいたとしても、彼の子供たちが娘よりも優先することを言っている。
「娘は兄弟たちに優先し、娘の子孫は兄弟たちよりも優先する。」これは息子とその子孫がいない場合、次順位は娘になることを言っている。
もし娘が死んでいたら、彼女の子供がX(父親;故人)の兄弟たちよりも優先する。
「兄弟たちは父親の兄弟たちに優先し、兄弟たちの子孫は父親の兄弟たちよりも優先する」。Xの息子、娘及びその子孫もいない場合、Xの兄弟が優先する。
もしXの兄弟が死んでいたら、その子供たちがXの父方の叔父たちよりも優先する。
以上により「誰であれ相続について優先する者は、その子孫も優先する」は明らかである。
「父親は全て彼の子孫よりも優先する」は全く別の話である。子供に先立たれた父親について言っている。父親は子供の財産の相続について、全ての親族に優先する。
次である。
カナン土地分配をめぐる二大別説と数理的ロジック
ツェロフハドの娘たちは3つの地を相続した 。彼女たちの父親はエジプトを出た者たちの1人であり、その相続分である。それはまた、ヘフェルの息子たちの中における相続分でもある。彼は長子であったので、2つの分を受けるのである。
約束の地に入ってからの土地の分配については、2つの説がある。
(1)エジプトを出た者に従って分配されたとする見解
エジプトを出た世代は約束の地に入る時には、ヨシュアとカレブ以外は死に絶えてしまったが、彼らに従って分配され、その手続の後に相続人が相続の掟によって得たとする。
その根拠として、トーラには次のように書かれている。
ただし、土地はくじによって分配され、父祖以来の諸部族の名に従って継がれねばならない。
具体的には次のように分配する。
①ルベンとシモンは兄弟であり、エジプトを出た。
②ルベンもシモンも、荒野で死んだ。
③ルベンには10人の息子、シモンには1人の息子がいる。
④カナンの地に入った後、ルベンの息子という括りで1つの嗣業の地、シモンの息子という括りで1つの嗣業の地を分配する。
⑤ルベンの息子たちは10人いるからそれぞれ10分の1の嗣業の地を相続し、シモンの息子は1つの嗣業の地を得ることになる。
(2)カナンの地に入った者に従って分配されたとする見解
トーラには次のように書かれている。
(人口調査で登録した)これらの人々にその名の数に従って、嗣業の土地を分配しなさい。
その後、上記引用の民数記26章55節を適用する。これは少し複雑である。具体的には次のようにまとめられる。
①ルベンとシモンは兄弟であり、エジプトを出た。
②ルベンもシモンも、荒野で死んだ。
③ルベンには10人の息子、シモンには1人の息子がいる。
④合計11人の息子たちで、それぞれ1つの土地の分配を受ける。
⑤これらを父親たち(ルベンとシモン)に戻すと、ルベンは5.5、シモンは5.5の割り当てを持つことになる。
⑥これらを相続の掟に従って分配する。
⑦ルベンの息子たちはそれぞれ20分の11の嗣業の地、シモンの息子は5.5の嗣業の地を受けることになる。
以上を前提に「Bava Batra」8章3節を再掲する。
ツェロフハドの娘たちにおける「3つの地」と長子権規定の解明
ツェロフハドの娘たちは3つの地を相続した。彼女たちの父親はエジプトを出た者たちの1人であり、その相続分である。それはまた、ヘフェルの息子たちの中における相続分でもある。彼は長子であったので、2つの分を受けるのである。
ツェロフハドの娘たちの話は民数記27章に出てくる。娘たちの父親であるツェロフハドは息子をもうけないまま死んでしまった。
そこで、自分たちが女であるという理由で嗣業の地が無いということになると、家系が消えてしまう。娘たちは、それは良くないのではないかと主張した。
神はこの訴えを正当なものと認め、モーセに対してツェロフハドの娘たちにも嗣業の地を与えるように指示する。
ミシュナでは彼女たちが「3つの地を相続した」とある。
1つ目は父親の分である。
上記2つのいずれの見解でも、エジプトを出た世代に対する、嗣業の地の分配が考慮される。
2つ目は父親の父親、ヘフェルからツェロフハドが受ける相続分である。
ツェロフハドの父親であるヘフェルもエジプトを出た世代であった。従ってツェロフハドは息子として、父からの相続を受ける立場でもある。
ツェロフハドの娘たちはその分も受けることになる。
ところでツェロフハドはヘフェルの子どもたちの中で、長男であった。長男は2倍の相続を受ける。そこで「彼は長子であったので、2つの分を受けるのである」とある。
長男が2倍受けることは、トーラにも明記されている。
15ある人に二人の妻があり、一方は愛され、他方は疎んじられた。愛された妻も疎んじられた妻も彼の子を産み、疎んじられた妻の子が長子であるならば、 16その人が息子たちに財産を継がせるとき、その長子である疎んじられた妻の子を差し置いて、愛している妻の子を長子として扱うことはできない。 17疎んじられた妻の子を長子として認め、自分の全財産の中から二倍の分け前を与えねばならない。この子が父の力の初穂であり、長子権はこの子のものだからである。
以上により、ツェロフハドの娘たちは3つの分を受けるとされている。
今回の内容は以上である。次回は相続に関してもう少し細かい部分を扱うところから始める。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】『Bava Kamma』『Bava Metzia』『Bava Batra』の「3つの門」の基本的な法理研究
https://note.com/mishnah/n/n8377d72f85f0
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
