『Bava Batra(バヴァ・バトラ)』法理研究 第1回:不動産所有権における占有(chazakah)の成立要件、挙証責任の転換、及び地域間タイムラグをめぐるラビたちの論争
*本稿では、旧約聖書(タナハ)およびモーセ五書(トーラ)の根幹をなす口伝律法ミシュナ『Nezikin(ネジキン(損害の部)』の最終篇『Bava Batra(バヴァ・バトラ)』の法理体系を実証的に解読する。
第3章を中心に、日本の民法第188条(占有の権利適法推定)との比較法学的視座を交え、不動産所有権における「chazakah(ハザカー:占有による権利確立)」の法的性質を定義。灌漑畑と雨水畑の収穫サイクルに基づく占有期間の計算(ラビ・イシュマエルとラビ・アキバの論争)、ユダ・ガリラヤ等における地域間の地理的通信制約を網羅。
更には「有効な取引の主張(権原)」を伴う占有の必須要件、職人や家族間におけるchazakahの不成立条項、改宗者の無主地先占(ドアの建て付け、囲いの作成・破壊による即時確立)までを伝統的註釈に基づき網羅的に解説する。
日本の民法188条と律法におけるchazakah(ハザカー)の概念的対比
これまで本稿では「Bava Kamma」、「Bava Metzia」の解説をしてきた。今回からいよいよ最後の「Bava Batra」に進む。
まずは律法とは関係のないところから始める。
日本の民法188条には「占有者が占有物について行使する権利は、適法に有するものと推定する」と書かれている。
正当な所有者であるか、非合法手段で手に入れたかどうかは後にして、取りあえず占有している者は適法な権利者であると推定する。
もし真に正当な権利者がいて、占有者から取り戻したいならば、それを証明しなくてはならない。
これと似たような制度がchazakah(ハザカー)である。chazakahは「力」を意味する単語「chazak(ハザク)」と同じ語根であり、権利上の「力」を表す。
一定の条件が満たされると、占有者にchazakahがあると認められる。
この事情について、もう少し正確に述べよう。
律法においては、裁判上の挙証責任は原告側にある。その訴訟によって利益を得ようとする立場の方が、証拠を提出し、証明しなくてはならない。
動産については、占有の事実は権利の推定が強く働く。
不動産についてはそれ程単純ではなく、占有の事実だけでは権利の推定まで及ばない。むしろそれが推定されるのは、「正当な所有者」と自他共に認めていた最後の人物である。
この人物をAとし、占有者をXとしよう。
AがXにその占有が不法であると告げるなら、挙証責任はAからX(占有者)に移る。
Xは「Aから買った」と主張したい。そこで不動産の売買にあっては、購入証書を保管するべきである。なぜなら買主は売主の不当な訴えを起こされる可能性があるからである。
しかし証書は永遠に保管されるとは期待されない。そこでラビたちはXによる3年間の占有の事実があるならば、正当な所有権の挙証責任は元の所有者に移ると定めた。
この場合、Aが「売っていない」ことを証明しなくてはならない。
逆に言うと、3年が経過しているなら、Xの所有権が正当であると前提される。この前提が「chazakahの確立」である。
以上を前提に、まずは口伝律法ミシュナ「Bava Batra」3章を引用する。
ミシュナ「Bava Batra 」3章1節:継続的に利益をもたらす6つの客体
家屋、穴、溝、地下貯蔵室、鳩小屋、浴場、オリーブ圧搾機、灌漑した畑、奴隷、何であれ継続的に利益をもたらすものの所有は、途切れないで3年間でなくてはならない。
1つずつ確認する。
①家
住むことで継続的な利益を得ることになる。
②穴、溝、地下貯蔵室
水を保管しておくことで、継続的な利益を得る。
③鳩小屋、浴場
利用することで、継続的な利益を得る。
④オリーブ圧搾機
これも1年中用いられる。
⑤灌漑した畑
⑥奴隷
これら6つのものは「継続的に利益をもたらすもの」という括りで挙げられている。
これらに関して、占有者Xは3年間継続して占有するなら、正当な所有者としてchazakahが認められる。
以前の所有者が「Xの占有は不法である」と主張するなら、それを証明しなくてはならない。
しかしもしも3年間の間にXの占有が途切れた期間があるのなら、前の所有者Aはその事実さえ証明すればよく、それ以上の試みを要しない。
続きである。
雨水による畑におけるchazakahの期間論争と収穫サイクル
雨水による畑は3年でなくてはならないが、途切れてもよい。ラビ・イシュマエルは言う、「最初に3ヶ月、最後に3ヶ月、中間に12ヶ月、全部で18ヶ月である。」ラビ・アキバは言う、「最初に1ヶ月、最後に1ヶ月、中間に12ヶ月、全部で14ヶ月である。」
「雨水による畑は3年でなくてはならないが、途切れてもよい」とは、灌漑していない畑について言っている。
この種の畑は雨水だけに頼っているので、chazakahの為に3年間途切れることなく占有している必要はない。
それは雨水による畑においては、1年に1つの収穫物しか取れないと定義されているからである。
そこで、その1つの収穫物の利益を得る為に占有していた事実があるのなら、1年の占有期間として十分とする。なぜなら正当な権利者がそのようにするだろうからである。
また、この3つの收穫の間に異議が出ないのであれば、前の所有者Aの異議申し立て期間としても十分である。
この点、ラビ・イシュマエルとラビ・アキバはより具体的に、またより短い期間での説を唱えている。
【1】ラビ・イシュマエルの見解
雨水に頼る畑でchazakahを確立する為に、丸3年間占有している必要はない。
このタイプの畑では1年に1つの收穫しか出来ない。
そこで、最初の1年は最後の3ヶ月(タンムーズ[第4の月]、アヴ[第5の月]、エルール[第6の月])で占有していればよい。
それは次のように考える。
1年目は最後の3か月の間に種まきから收穫まで行う。
3年目については逆に、最初の3ヶ月(ティシュレ[第7の月]、ヘシュヴァン[第8の月]、キスレヴ[第9の月])の3か月の間に種まきから收穫まで行う。
中間の1年(2年目)については1年間占有する。
以上により、chazakahを確立する為は、下の期間で足りるとする。
3ヶ月(1年目)+12ヶ月(2年目)+3ヶ月(3年目)= 18ヶ月
【2】ラビ・アキバの見解
ラビ・イシュマエルと同様に、雨水に頼る畑でchazakahを確立する為に、丸3年間占有している必要はない。
ラビ・アキバに特徴的であるのは、野菜や成熟していない穀物であっても、それは家畜の餌に使うことが出来るので、chazakahの確立の一部を構成するという事である。
その程度の成長には1ヶ月で足りる。
つまり1年目は最後の1ヶ月、2年目は12ヶ月、3年目は最初の1ヶ月でよいとする。
まとめると以下のようになる。
1ヶ月(1年目)+12ヶ月(2年目)+1ヶ月(3年目)= 14ヶ月
次節に進む。
ミシュナ「Bava Batra」 3章2節:聖地3地域における地理的通信制約とラビ・ユダの遠方タイムラグ論
chazakahに関して、聖地には3つの地がある。ユダ、トランスヨルダン、ガリラヤ。もし彼がユダにいて、誰かがガリラヤで占有するなら、またはガリラヤにいて、誰かがユダで占有するなら、同じ地域に来るまではchazakahはない。ラビ・ユダは言った、「3年と言ったのは、1人がスペインにいて、誰かが1年間畑の占有をした時である。1年間かけて旅をし、彼に知らせ、彼は翌年に帰って来る。」
ミシュナの時代、イスラエルは3つの地域に分けられており、それぞれの地域はchazakahに関しては別扱いとされていた。これらの地域はあたかも敵対している国同士ででもあるかのように、連絡が稀であったのである。
従って問題になる土地と別の地域に住んでいる場合、chazakahの成立の仕方が問題になる。
これは本文の通り、以下のように説明することが出来る。
①例えばガリラヤの地域に土地を持っているAが、ユダヤに住んでいる。
②ガリラヤの土地に占有者Xが現れた。
③ガリラヤとユダヤの間には連絡がほとんど無い。
④占有者Xが3年間占有を継続しても、chazakahは成立しない。
結果的に「同じ地域に来るまではchazakahはない。」つまりAがガリラヤに来るまではchazakahは問題にならない。
ラビ・ユダの見解はchazakahの基準となる3年の根拠である。彼によると「3年」は遠方に所有者がいる場合のタイムラグを元にしている。
次のように考える。
①所有者Aはスペインに住んでいる。
②聖地で占有者XがAの土地の占有を開始した。
③占有者Xは1年間占有する。
④スペインまでは1年の旅路である。
2年目に1年かけて占有の事実がAに届く。
⑤所有者Aは3年目に帰って来る。
次節に進む。
ミシュナ「Bava Batra」 3章3節:主観的要件(権原の主張)と親族・職人の適用除外
如何なる占有であっても、主張の伴わないものはchazakahではない。どのようにであろうか?もし彼が彼に「あなたは私の土地で何をしているのか?」と言い、彼が「なぜならこれまで誰も言ってこないから」と答えるなら、それはchazakahではない。しかし「あなたは私に売却した」、「あなたの父親が私に贈与した」と言うなら、それはchazakahである。相続の為に来る人は主張を要しない。
ここでは占有者にchazakahが確立する為の、より踏み込んだ要件について扱っている。
chazakahが確立するには、有効な取引の主張を要する。
本文の通り、もしも占有者が「『あなたは私に売却した』、『あなたの父親が私に贈与した』と言うなら、それはchazakahである。」
単に「誰も何も言わないから」では無権利者と見なされる。
親から土地を相続したのであれば、親の取得経緯について詳しく知らないのは当然である。そこで相続人は父親の代でchazakahが成立していたことを答弁するだけで十分とされる。
続きである。
職人、共有者、小作人、管理人はchazakahを持たない。夫は妻の所有地においてchazakahを持たず 、妻は夫の所有地においてchazakahを持たず、父は息子の、息子は父の所有地においてchazakahを持たない。
chazakahの成立が問題になるのは、土地の所有権があいまいになっている場合である。ここに列挙されている立場の者たちは、誰か別の人の所有権が前提になっている。
従って彼らにおいてchazakahは問題にならない。
次は3節最後である。
即座に確立するchazakahと所有権の物理的示威行為
何について言っているのだろうか?占有をしている場合である。贈与したものについて、分割した兄弟たちについて、改宗者の土地を占有した者について、もし彼がドアを建て付け、囲いを作り、または破るなら、それはchazakahである。
ここまで一定期間の占有によって確立するchazakahについて述べてきた。
ここでは即座に確立するchazakahを列挙している。その前提として3つの行為を挙げている。
①贈与
②遺産分割
③改宗者の土地の占有
この内、贈与と遺産分割については、イメージ通りを考えればよい。
「③改宗者の土地の占有」とは、ユダヤ教に改宗した者は、それまでの血縁関係などから法的に全て断ち切られる。
そこで、改宗後に子供を得ないで死去すると、その土地は相続人のいない状態、つまり所有者のいない状態になりやすい。
この場合、最初に土地を占有した者が所有者と見なされる。
これらの①~③の立場の者が、不動産に関するchazakahの行為をすると、chazakahが確立する。3つ挙げられている。
それは「ドアを建て付けること」、「囲いを作ること」、「囲いを破ること」である。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】『Bava Kamma』『Bava Metzia』『Bava Batra』の「3つの門」の基本的な法理研究
https://note.com/mishnah/n/n8377d72f85f0
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
