ミシュナ『Makkot(マッコート)』の法理 第6回――医学的査定に基づく鞭打ち刑の回数と、執行時の姿勢・鞭の構造・朗読聖句の法理
*申命記25章の鞭打ち刑に関する口伝律法ミシュナ『Makkot(マッコート)』3章11節〜14節の記述を、伝統的な諸註釈に基づき徹底的に解説する。
受刑者の肉体的耐性を「3の倍数」で評価する医学的査定の原則、執行時の前かがみの姿勢と背中越しに「へそ」まで届く鞭の構造、そして執行中に朗読される聖書箇所に関する2つの見解の混交を網羅。
2,000年前の律法の現場を手加減抜きの専門性で再現する。
前回の振り返り:ミシュナ『Makkot』における刑事的有責性と「警告」の原則
前回はミシュナ『Makkot(マッコート)』3章7節から10節に基づき、「事前の警告」と罪の累積の関係、および鞭打ち刑の具体的な回数(39回)の解釈について解説した。
主な内容は以下の通りである。
【1】刑事的有責性の要件と「警告」の原則
ユダヤ律法において鞭打ち刑が科されるためには、単に禁止行為を行うだけでなく、以下の条件を満たす必要がある。
①事前の警告
行為の直前に「それをしてはならない」という警告を受けていること。
②警告の無視
警告を受けた者が、それを承知の上で罪を犯したこと。
この原則に基づき、罪の回数は以下のように数えられる。
・1回の警告の場合
禁止行為(ナジル人の飲酒、死者による汚れ、kilayimの衣類の着用など)を一日中続けても、警告が1回であれば鞭打ち刑は1セット(39回)のみとなる。
・複数回の警告の場合
途中で繰り返し警告を受け、その度に行為を継続した場合は、警告の回数分だけ鞭打ち刑が累積される。
【2】禁止規定の具体例
以下の3つの事例が挙げられている。
①ナジル人の禁忌
ぶどうの木に由来するものの摂取(ぶどう酒など)や、人の遺体に触れて汚れること。
②kilayim(混紡)の禁止
毛糸と亜麻糸を織り合わせた衣類の着用が禁止される。
前号では立ち入らなかったが、kilayimには他にぶどう畑に異なる種類の種を蒔くことや、牛とろばを組にして耕すことなどが含まれる。
【3】鞭打ち刑の回数「39回」の法理(3章10節)
トーラ(申命記25章3節)には「40回まで」と記されているが、口伝律法では「40マイナス1回」、すなわち39回と規定されている。その理由は以下の2点に集約される。
①言語的解釈
聖句の語順が、通常の「forty in number(arba'im b'mispar)」ではなく、「in number forty(b'mispar arba'im)」となっていることから、ラビたちは「40に隣接する数である39」と解釈している。
②過失の防止と配慮
執行官が誤って数え間違えても、聖書が定める上限(40回)を超えないようにするための安全策として39回としている。
また、受刑者の体力に応じて、39回より少ない回数で打ち切る権限も認められている。
なお、ラビ・ユダはこの通説に異を唱え、文字通り「40回」打つべきであると主張している。彼によれば、40回目は「肩の間」に打つとする。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Makkot(マッコート)』の法理 第5回――ナジル人の禁止規定・衣類のkilayim(キルアイム)の禁止規定における罪の個数、及び申命記25章「b'mispar arba'im(ベミスパル・アルバイーム)」における39回の鞭打ち刑の解釈
https://note.com/mishnah/n/ne16c90a44343
ミシュナ『Makkot』3章11節:医学的査定(身体的耐性評価)における「3の倍数」ルールと複数刑の執行法理
今回はこの続きである。口伝律法ミシュナ「Makkot」3章11節から引用する。
彼らは3で割り切れる数以外で彼を評価しない。もし40回受けられると判断するなら、そして彼が何回か受けた後、40回に耐えることが出来ないと判断するなら、彼は免責される。もし彼らが18回しか耐えられないと判断し、打った後、40回耐えられると判断しても、免責される。
上の振り返りで確認した通り、鞭打ち刑の1セットの上限は39回であり、法廷には受刑者の状態を判断してその数を減らす権限が与えられている。
法廷による判断は刑の執行前に、医学的に判断される。その回数は「3で割り切れる数以外で彼を評価しない」、つまりは3の倍数でなくてはならない。
仮に受刑者が「20回までは耐えられる」と判断されるなら、鞭打ち刑の数は18回とされる。
3の倍数が厳格に規定される理由は、鞭打ちの3分の1は体の前面、残りの3分の2は背中に打たれるからである。
前回、ラビ・ユダは40回を主張したが、端数の1回を「肩の間」と特定していたのは、この「前面に3分の1、背面に3分の2」という打撃配分の法理に依拠している。
次の「彼が何回か受けた後、40回に耐えることが出来ないと判断するなら、彼は免責される」は、文字通り刑の執行途中における受刑者の身体的限界による刑の免除を意味している。
仮に受刑者が「21回までは耐えられる」と評価されたが、10回で「これ以上は耐えられない」と判断されるなら、それ以上の刑は免除される。
それに続く「もし彼らが18回しか耐えられないと判断し、打った後、40回耐えられると判断しても、免責される」という箇所については、一端執行を開始したなら、当初決定された刑罰回数の事後的な追加の禁止を明文化したものである。
当初受刑者が「18回しか耐えられない」と評価したが、実際に打ってみたところ、「40回耐えられる」と判断しても、その分の追加はされない。当初の18回のみである。
ただし刑の執行前には、法廷の判断で変更することが出来る。
本文の「18回」は例であり、他の3の倍数でも変わらない。
続きである。
誰かが2つの禁止命令を犯したなら、もし彼らが1度の査定で彼を評価するなら、彼は打たれ、免責される。そうでないなら、彼は打たれ、回復まで待たれて、再び打たれる。
前半部分は例えば次のことを言っている。
①法廷が受刑者の状態を確認する。
②「彼は42回の鞭打ちに耐えられる」と評価される。
③1度で42回鞭打つ。
原則通りなら、「39回+3回」と分けて執行されるが、1度で耐えられると判断出来るなら、1度で執行してよい。
後半部分では、1度で2回分の刑罰が執行不能であると判断された場合、1度目の執行の後、受刑者を休ませる。
その後状態を確認し、2度目の執行をすることを言っている。
次節に進む。
ミシュナ『Makkot』3章12節:法廷の役人による鞭打ち刑の具体的執行手順と衣服の剥ぎ取り・石の配置
彼らはどのように彼を鞭打つのだろうか?彼は2本の腕を柱の両側に結び付け、法廷の役人が彼の衣服を掴む。-もしそれらが裂けてしまったら、それらは裂ける、もし切れてしまったら、それらは切れる-彼の胸が露わになるまで。そして石が彼の後ろに置かれる。会衆の役人がその上に立ち、牛の皮の紐をその手に持って、2重、4重にし、他の2つの紐は上下に通している。
この節は刑執行時における、以下の具体的な空間配置と手順を規定していたものである。
受刑者が抱きつくように寄りかかることの出来る柱が立てられている。高さは1.5~2キュビットである。
柱の両側に受刑者の手を縛る。ポイントはイメージにあるような、後ろ手で縛られるのではなく、柱を抱えるようにして縛られることである。
法廷の役人は受刑者の服のネックラインを掴み、下に引っ張る。この時に服が破れないように配慮する必要はない。
「もしそれらが裂けてしまったら、それらは裂ける、もし切れてしまったら、それらは切れる」とは、そのことを言っている。
「石が彼の後ろに置かれる」は文字通りである。受刑者の後ろに石が置かれ、執行官はその上に立つ。
「牛の皮の紐をその手に持って、2重、4重にし、他の2つの紐は上下に通している」については、鞭の仕様について触れたものだが、RivanやMeiriなど専門家の間でも解釈が一致してしない。
註釈家たちの間で共通して確定している法理は「他の2つの紐」はろばの皮の紐であり、鞭は牛の皮とろばの皮を組み合わせて作っているという事である。
次節に進む。
ミシュナ『Makkot』3章13節:鞭の寸法規定(1手幅 / tefach)と申命記25章2節に基づく受刑者の姿勢
ハンドルは1手幅の長さで、紐の幅も1手幅であるべきである。その先は「へそ」に届くべきである。彼は3分の1を前に打ち、3分の2を背中に打つ。彼を立たせたり、座らせたりするのではなく、前かがみにして打つ。次のように書かれている。「裁判人は彼をうつ伏せにする。」(申25:2)役人は片手で力いっぱい打つ。
まず鞭の仕様について、今度は幅が規定されている。それによるとハンドル部分も鞭の部分も1手幅(1 tefach)になる。
1手幅(1 tefach)= 8~10センチ
である。
「その先は『へそ』に届くべきである」の前に、「彼は3分の1を前に打ち、3分の2を背中に打つ」について触れるのが良いだろう。
上で見た通り、これは鞭打ちの3分の1は体の前面、残りの3分の2は背中に打つことを言っている。
執行官は前面、背中どちらを打つ時にも、同じ場所(石の上)に立って執行する。これは受刑者の後ろから打つことを意味する。
つまり受刑者の前面を打つ時にも、後ろから打つことになり、鞭の長さが問題になる。
「その先は『へそ』に届くべきである」とは、後ろから受刑者の背中越しに前面を打つ時に、その先が「へそ」まで届かなくてはならないことを言っている。
「彼を立たせたり、座らせたりするのではなく、前かがみにして打つ」については、上に述べた通りである。
受刑者は柱を抱えるようにして立つ。
「前かがみ」はミシュナ本文の引用の通り、トーラの規定に基づいている。
もし有罪の者が鞭打ちの刑に定められる場合、裁判人は彼をうつ伏せにし、自分の前で罪状に応じた数だけ打たせねばならない。
ここまで鞭の仕様や鞭の打ち方についての解説を終えた。
次は執行中の流れである。次のように書かれている。
ミシュナ『Makkot』3章14節:刑執行中におけるトーラ(申命記)および詩編の朗読法理と2つの伝統的見解の混交
朗読者が読む、「もし、この書に記されているこの律法の言葉をすべて忠実に守らず、この尊く畏るべき御名、あなたの神、主を畏れないならば、主はあなたとあなたの子孫に激しい災害をくだされる・・」(申28:58ff )。そして彼はこの節の最初に戻る。「あなたたちはそれゆえ、この契約の言葉を忠実に守りなさい」(申29:8)。彼は最後に朗読する、「しかし、神は憐れみ深く、罪を贖われる」(詩78:38)。そして彼はこの節の最初に戻る。
鞭打ち刑を執行中、トーラの節が朗読される。しかしこれはやや複雑であり、本文には2つの見解が入り混じって書かれている。
1つずつ解説する。
(1)申命記28章58〜59節を反復朗読する見解
これは刑の執行中、申命記28章58~59節を繰り返し朗読するというものである。
ミシュナ本文では一部しか引用していないので、ここで全て掲載する。
58もし、この書に記されているこの律法の言葉をすべて忠実に守らず、この尊く畏るべき御名、あなたの神、主を畏れないならば、 59主はあなたとあなたの子孫に激しい災害をくだされる。災害は大きく、久しく続き、病気も重く、久しく続く。
朗読する法廷の役人はゆっくりと注意深く朗読する。全て読んだ後も執行が終わっていないなら、繰り返す。
(2)申命記28章58~59節、申命記29章8節、詩編78:38の複合朗読と「節の最初に戻る」見解
2番目の見解では、(1)の箇所に加え、次の2箇所を朗読する。
あなたたちはそれゆえ、この契約の言葉を忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちのすることはすべて成功する。
しかし、神は憐れみ深く、罪を贖われる。彼らを滅ぼすことなく、繰り返し怒りを静め、憤りを尽くされることはなかった。
最後に「彼はこの節の最初に戻る」とあるが、これは(2)の見解について記したものである。
1番目の「彼はこの節の最初に戻る」は(1)の見解について記したものである。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Makkot』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n66ed90d1aaf4
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
