安息年の法的構造とミシュナ「Sheviit(シェヴィイート)」による実務的規定 第2回:商行為の禁止原則と収穫・精製における変則的運用の規定
*本稿では、ミシュナ「Sheviit(シェヴィイート)」第8章3節から6節を中心に、安息年産物の法的定義と運用の実務規定を記述する。土地の所有権放棄(hefker)から保持期限(biur)の発生、さらに産物の用途や取引方法における具体的制限を詳述。特に、商業的計量の禁止、聖性が移転した硬貨による債務履行の不可、サービス対価への充当禁止、および通常と異なる収穫・精製方法の適用について、レビ記の記述とRambam・Rash等の伝統的法解釈に基づき提示する。
前回の振り返り
【1】土地の休止と所有権の放棄(hefker:ヘフケル)
安息年には、土地を休ませ、種まきや収穫などの耕作をしてはならない。この期間に生じた産物は、土地の所有者のものではなく、「hefker(ヘフケル)」と呼ばれる所有権放棄の状態にあるからである。
貧しい者や野の獣も含む、すべての動物が等しく享受することが出来るものである。
【2】産物の保持期限と処理規定(biur;ビウール)
安息年の産物を家の中に置いておける期間には制限がある。これを「biur(ビウール)」と呼ぶ。
野の獣が畑で直接その作物を食べられる間だけ保持が許される。
野に作物がなくなれば(biurの到来)、家にあるものは分配・処分しなければならない。ラビ・ユダは、この時与えられるのは「貧しい者のみ」対象とする。ラビ・ヨセは「貧富を問わず全員」が食べてよいと主張した。
【3】労働の外観規制と違反への罰則
単に耕作を控えるだけでなく、「耕作しているように見える」行為(外観)も規制の対象となる。
自分の畑から石や雑草を取り除くことは、当初は許容されていたが、掟にもとる違反者が続出した為、「他人の畑から無報酬で取る場合のみ」に制限された。
安息年に違法に耕された畑については、翌年の耕作が禁止される。また、違法に耕された畑の作物を食べてよいかについては、厳格なBeit Shammaiと、本人以外には許容するBeit Hillelの間で議論があった。
【4】安息年律法の対象となる「聖性」の定義
すべての植物が安息年の掟の対象になるのけではなく、「使用収益(利益を得ること)と消尽(使い尽くすこと)が同時に進行するもの」に安息年の聖性が認められる。
これはミシュナ「Sheviit」において、人間の食物、動物の餌、染料等が対象として指示されていた。
同じ分類にも見えるが、木材は異なる。これは炭になってから焼く為、使用収益と消尽のプロセスが同時ではないと定義されている。
【5】用途と意図に基づく厳格な運用
安息年の産物は、その本来の目的に従って使用されなければならない。
食用作物は膏薬として用いることは禁止され、食べるためだけに用いる。
多目的植物については、人間の食用・動物の餌・木材のどれとして意図するかによって、適用される規定が変わる。
食用にも餌用にも意図した場合は、より厳しい規定に従う必要がある。
以上の内容は、安息年が単なる精神的な教えにとどまらず、所有権の変容や作物の利用方法に至るまで、極めて精緻な法的体系(実務体系)として構築されていたことを示している。
この内容に不安を感じる方は、以下のリンクから確認して欲しい。
◉安息年の法的構造とミシュナ「Sheviit(シェヴィイート)」による実務的規定 第1回:biurとhefkerを巡る律法体系の記述
https://note.com/mishnah/n/n44dea83f9f45
商業的取引単位(長さ・重さ・数)の使用禁止規定:「Sheviit」 8章3節
今回はその続きである。ミシュナ「sheviit」8章3節から引用する。
長さであれ、重さであれ、数であれ、安息年の作物は売ってはならない。いちじくを数によって、野菜を重さによって売ってはならない。
この箇所の核心は、「安息年の作物を、通常の商売のように扱ってはならない」というルールである。
安息年の禁止事項の1つは、商業的に用いることである。それは食べることに類似しない。
しかしこの禁止は絶対的ではなく、少量の取引は許容される。具体的には3回分の食事であるが、ラビたちはこれについても制限をかけている。
上記のミシュナの「長さであれ、重さであれ、数であれ、安息年の作物は売ってはならない」とは、商売上の単位で安息年の作物を売ってはならないことを言っている。
なぜなら、それは商業的に扱っていることを表すから。
「いちじくを数によって(売ってはならない)」とは、いちじくは通常重さで売る。それを数という別の単位を用いてもならないことを言う。
「野菜を重さによって売ってはならない」も同様で、通常野菜は束で売る。重さという単位に変えれば良いのではない。
続きは次のように書かれている。
Beit Shammaiは言う、「束にするのも不可である」。しかしBeit Hillelは言う、「家の中で束にするのが慣例であるものは、市場で束にしてもよい、例えば玉ねぎやmilky blossomである。」
これは以下のようにまとめられる。
【1】Beit Shammai
「sheviit」8章3節前半部の通り、単位によってではなく、おおまかな目分量で少量だけ売るとしても、それは束にして売ってはならない。
それは正確に計った分量で売っている外観を呈する。
【2】Beit Hillel
基本的にBeit Shammaiの見解に一致する。しかし通常、正確に計量しなくても、束にまとめておくような野菜はまとめてよい。
なお、「milky blossom」はパセリの一種または蘭とだけ解説されている。ここで何を指しているのか特定されていない模様である。
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聖性が移転した硬貨による債務支払いの禁止原則:「Sheviit」 8章4節
もし誰かが1プンデヨンの価値のあるパン切れをパン屋から取り、「野菜を取ったら、持って来ます」と言うなら、それは許容される。しかしもし彼が通常通りに取るなら、彼は安息年の硬貨で支払うことは出来ない。というのも、安息年の硬貨で借金を支払うことは出来ないから。
これは分かりにくい文章であるが、次のことを言っている。
【1】前半部
次のことを言っている。
①誰かがパン屋からパン切れを取った。
②彼は「野菜を取ったら、持って来る」と約束する。この約束によって、パン屋はある意味でパンを与えたとされる。
【2】後半部
①前提として、何で支払うか明示しないでパンを持って行くことは、ツケで得た、つまり借金をしたのと同様と見なされる。
彼は借金をしたのである。
②他方で、安息年の作物を売り、得た硬貨には聖性が移っている。
③借金の支払いは、商業的な行為である。従って彼は「安息年の硬貨で借金を支払うことは出来ない」。
これは細かい議論であるが、安息年の聖性に敏感であり、その本質を守る配慮を窺わせる。
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役務(サービス)への支払い禁止と「飲水」の例外規定:「sheviit」 8章5節
井戸掘り、風呂屋、床屋、ボート屋に安息年のもので支払いをしてはならない。しかし彼は飲水の為にはしてよい。また、贈り物として与えてもよい。
冒頭の「井戸掘り、風呂屋、床屋、ボート屋」に安息年の作物を用いないとは、仕事の対価、利用料の対価として、使ってはならないことを言っている。
「飲水の為にはしてよい」も細かい議論になる。本節の始めに「井戸掘り」の為に渡すことは禁止された。それは飲水以外の目的も含んだ、水への対価であるからである。
他方で「飲水の為」という限られた目的であるなら、安息年の作物と交換してよい。互いに完全に消費される建前があるからである。
次に「贈り物として与えてもよい」とある。
対価を求めず与えることは、所有権の放棄と共有という安息年の本質に適合する為、許容される。
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非効率な収穫・精製方法の義務付け:「Sheviit」 8章6節
安息年のいちじくはいちじくの刃で取ってはならない。剣で取る。ぶどうを圧搾機で潰してはならない、こね鉢で潰す。オリーブをオリーブの圧搾機や梁で潰してはならない、小さい圧搾機で潰す。ラビ・シモンは言う、「彼はオリーブの圧搾機で潰してよいし、小さい圧搾機に入れてもよい。」
これは安息年の作物の収穫方法、また精製方法について扱っている。
2つのトーラの箇所を見て欲しい。
休閑中の畑に生じた穀物を収穫したり、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めてはならない。土地に全き安息を与えねばならない。
ここだけ読むと、安息年には全く収穫してはならないかのように思える。しかしすぐ直後には次のように書かれている。
6安息の年に畑に生じたものはあなたたちの食物となる。あなたをはじめ、あなたの男女の奴隷、雇い人やあなたのもとに宿っている滞在者、 7更にはあなたの家畜や野生の動物のために、地の産物はすべて食物となる。
一方では収穫してはならないと言い、他方では「あなたたちの食物」と言う。
これは「通常の仕方での収穫方法の可否」について言っていると解されている。ただし、大きく2つの解釈に分かれている。
レビ記25章の記述整合とRambam・Rashによる収穫規定の相違点
【1】Rambamの見解
通常の方法で収穫することの禁止は、収穫する全ての作物に適用される。
少量を手作業で取らなくてはならない。
【2】Rashの見解
収穫方法が制限されるのは、自分の畑を安息年に開放せず、外からの出入りを妨げる造作をした場合に限るとする。
これは安息年の作物を自分の所有とする行為であり、違法である。たとえそれから畑を開放しても、収穫方法は制限される。
こうした不法行為を行っていない者の畑については、制限されていない。
「sheviit」8章6節ではいちじくの收穫、ぶどう、オリーブの圧搾について扱っている。どれも通常の方法で行っていない。
ただしその適用範囲は、今述べたように、2つの見解がある。全ての場合に適用すると解するのか、安息年規定を犯した場合に限るのかである。
ラビ・シモンの見解、「彼はオリーブの圧搾機で潰してよいし、小さい圧搾機に入れてもよい」についてはコメントが何も付いていないが、圧搾機を用いているので、Rambam、Rashよりは緩やかな立場である。
ただし「小さい圧搾機」とあるので、やはり大量に作ることは認めない趣旨に見える。それは商業的な行為である。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Sheviit』法理研究
https://note.com/mishnah/n/nef4129b1101f
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
