ミシュナ『Nazir(ナジル)』におけるナジル人の誓願の法体系 第1回:サムソン的ナジル人と永続的ナジル人のハラハー的定義
*本稿では、口伝律法(ミシュナ)『Nazir(ナジル)』第1章を軸に、ナジル人の誓願における法的有効性と類型を緻密に分析する。民数記6章の記述と士師記のサムソン、サムエル記下のアブサロムの記述間に見られる「不整合」を、シナイ山よりの伝承に基づく3つのナジル人区分によって詳解。不完全な誓い(yad:ヤッド)の有効性や、期間設定における数理的解釈など、日本語圏における従来の聖書解説を一端脇に置いて、律法の現場における実証的な真実を記述する。
今回はナジル人について扱う。それには、前回の記事を基礎にしなくてはならないので、簡単に要約する。
前回の記事の振り返り
【1】neder(ネデル:誓願)の定義とナジル人
nederとは、神への献身や自己への禁止を伴う「誓い」を指し、複数形はnedarim(ネダリーム)と呼ばれる。
その代表例が「ナジル人」である。ナジル人は、ぶどう酒などのぶどう由来の製品を口にせず、頭にかみそりを当てないなどの規定を守る必要がある。
士師記のサムソンのように出生前から定められる例外もあるが、原則としては本人が自発的に誓いを立てることでナジル人となる。
【2】誓いの有効性と代用語
誓願を立てる際は、「korban(コルバン:献げ物)」と言って、禁止する対象を続けて言明する形式が一般的である。
ミシュナでは、正しく「korban」と言えず、「konam」「konach」
「konas」などの代用語を用いた場合でも、誓いとして有効であると規定されている。
【3】女性の誓願と取消権(父権と夫権)
女性の誓いについては、その年齢や社会的立場によって、父親や夫に取消権が認められている。
①naarah(ナアラー):12歳〜12歳半の女性について
独身で父親の権威下にある場合、父親は娘の誓いを聞いたその日の日没までであれば、それを取り消すことが出来る。
結婚(kiddushin:キッドゥーシン)後、父だけでなく夫の権威にも入り、夫も同様の取消権を保持する。
この期間は父と夫の両者の同意が必要となる。
②bogeret(ボゲレット:成人女性)
父親から独立しているので、独身であれば単独で有効な誓いを立てることが出来る。しかし既婚者は夫の権威の下にあり、同様の制限を受ける。
【4】取り消し可能な誓いの条件
父親や夫が取り消せる誓いは、以下のいずれかに該当する場合に限られる。
①自己否定(苦行)を伴うもの
例:入浴や化粧の禁止、全種類の果物の禁止など。
②夫婦関係に影響を及ぼすもの
ラビ・ヨセの見解では、特定の店の果物だけを禁止するなど、代わりの手段がある場合は、自己否定には当たらないため取り消すことは出来ない。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉民数記30章とミシュナ『Nedarim(ネダリーム)』における誓願の法体系:ナジル人の規定から女性の誓いの無効化まで
https://note.com/mishnah/n/nf79c34590b24
誓願の「手(yad:ヤッド)」:断片的な言及と状況的判断
今回はその続きである。まずは口伝律法ミシュナ「nazir」1章から引用する。
ナジル人に関して、等しく使われる用語はナジル人である。誰かが「私はなる」と言うなら、―彼はナジル人である。「私はハンサムになる 」―ナジル人である。「nazik」、「naziach」、「paziach」、彼はナジル人である。
これは自分で読んだだけでは驚きの内容でもあると思われる。
「私はナジル人になります」という丁寧な誓いをしなくても、彼はナジル人になることを言っている。
最初の例は、言葉では「私はなる」と言っただけである。これは説明を要する。
誰かがナジル人を見て、「私もなることを誓う」と言うなら、彼は律法上有効にナジル人になる。
従って、不完全な誓いでも自動的にナジル人の誓いになると言っているのではなく、状況によってそうであると客観的に判断されることが前提になる。
これはyad(ヤッド:手)と呼ばれる。道具には本体を持たなくても、取っ手を持てば全体が持ち上がる。
不完全な誓いはyadである。それは部分的でしかないが、全体として有効なnederになるのである。
「私はハンサムになる」は髪の毛を伸ばすことを暗示している。
「nazik」、「naziach」、「paziach」、とは、ナジル人(nazir)の不完全な言い方とされる例である。
これらはnedarimの「konam」、「konas」等と同様に、有効な誓いのものと見なされる。
次に進む。
「サムソン的なナジル人」の特筆性:民数記の規定との相違点
「私はサムソンのようになる」、「マノアの息子のように」、「デリラの夫のように」、「ガザの門を壊した者のように」、「ペリシテ人が目をくり抜いた者のように」と言うなら、―彼はサムソン的なナジル人である。
ここに列挙されているnederは、いずれも士師記のサムソンを踏まえたものであり、有効である。
「サムソン的なナジル人」については説明を要する。
おそらく聖書を読み込んでいる読者の方々にあっては、民数記6章のナジル人に関する規定と、サムソンの物語の間で整合性が取れない部分があると感じているに違いない。
なぜなら、トーラには次のように書かれている。
5ナジル人の誓願期間中は、頭にかみそりを当ててはならない。主に献身している期間が満ちる日まで、その人は聖なる者であり、髪は長く伸ばしておく。 6主に献身している期間中、死体に近づいてはならない。
5節は問題ない。サムソンも髪の毛を切っておらず、むしろ切られてしまったので、命を落とすことになった。
しかしトーラのナジル人が死体に触れてはならないとしているのに対して、サムソンは明らかに多くの人を殺している。
結論から言うと、ナジル人のあり方は1つではない。それはトーラには記されていないが、シナイ山でモーセが受けたものとされる。
これはサムソンタイプのナジル人と呼ばれる。後述するが、もう1つある。
ともあれサムソン的なナジル人の性格は以下の通りになる。
①誓願期間が無く、生涯に渡るものである。
②髪の毛を切ってはならない。
これは士師記の物語から明白である。
③ぶどうの木からなるものを食べてはならない。
これは父母に対する天使の言葉から明白である。
③死体に触れてもよい。
これはトーラの条件とは異なる。ミシュナ「Nazir」1章2節に次のように書かれている。
サムソン的なナジル人は、―髪の毛が重くなったなら、彼はそれを軽くしてはならない。もし汚れてしまったら、その為の献げ物を献げない。
サムソンタイプのナジル人は、死者に触れて汚れても、献げ物を献げないことを言っている。これは後の回で触れるが、これと死者による汚れからの清めは混同してはならない。
サムソンタイプのナジル人も、死者によって汚れたら、清めの手続きは行う。
「永続的なナジル人」とアブサロムの事例:剃髪規定の例外
もう1つ「永続的なナジル人」というタイプがある。次のように書かれている。
永続的なナジル人とサムソン的なナジル人の違いは何であろうか?永続的なナジル人は―もし髪の毛が伸びたなら、彼はカミソリを当ててよい。それから3つのいけにえを献げる。
永続的なナジル人にも有限の誓願期間は無く、生涯に渡るものと解される。この点はサムソン的なナジル人と変わらない。
しかし決定的に異なるのは、永続的なナジル人は髪の毛を切ってよいという事である。その間隔は12ヶ月とされる。
その具体例は聖書の中でサムエル記下14章に記されている。ダビデの子アブサロムは永続的なナジル人であったと言われている。
25イスラエルの中でアブサロムほど、その美しさをたたえられた男はなかった。足の裏から頭のてっぺんまで、非のうちどころがなかった。 26毎年の終わりに髪を刈ることにしていたが、それは髪が重くなりすぎるからで、刈り落とした毛は王の重りで二百シェケルもあった。
ここではアブサロムが「年の終わりに髪を刈ることにしていた」と書かれている。
1年の間に、この時以外切っていなかったことは「髪が重くなりすぎるからで、刈り落とした毛は王の重りで二百シェケルもあった」という言葉に十分過ぎる程表れている。
標準的なナジル人の期間(30日間)と時間単位の繰り上げ処理
次は標準的なナジル人についてである。
標準的なナジル人は30日間である。
もし彼が「大きな期間ナジル人である 」、「短い期間」、それどころか「世界の終わりまで」と言ったとしても、―彼は30日間ナジル人である。
まず標準的なナジル人の誓願期間は、これまでのサムソンタイプ、永続的タイプと異なり、30日間となっている。
これもトーラには書いていない。これもシナイ山からの伝承である。
さて、もし本人が以下のような誓い方をするなら、30日間の誓願期間とされる。
①大きな期間
②短い期間
③世界の終わりまで
誓願期間については厳格に判断される。具体的な期間が明らかでない期間は、一律に30日間と見なされる。
続きである。
もし「私はナジル人であり、1日である」、「ナジル人であり、1時間である」、「1期間と半分の期間である」と言うなら、彼は2つの期間ナジル人である。
今度は一様に「2つの期間」ナジル人とされる。これは60日間に相当する。
上述の通り、期間が明確でない誓いは30日となる。今回の例ではいずれも「ナジル人になる」という誓いの一部において、1つの期間(30日間)が確定する。
それに加えて「1日」、「1時間」、「半分の期間」と言っているが、ナジル人の誓願期間は、期間単位では30日である。
そこで、ここでは60日間の期間になる。「1期間と半分の期間である」を例に取って図式化すると、以下の通りである。
「1期間(30日)+半分」→「30日 + 30日」= 60日間(2期間)
次である。
もし「私は30日間と1時間ナジル人である」と言うなら、彼は31日間ナジル人である。なぜならナジル人の期間は時間単位で延長出来ないから。
この結論はこれまでの論理に反するようにも見える。
考え方としては、「30日間と1時間」は「1つの期間の延長」と見なす。上記と異なるのは、ここでは「30日間」という数字で期間を明示していることである。
そこで「1時間」はその1期間の延長と見なされるが、誓願期間は時間単位では考えないので、31日となるという理屈である。
以上で今回の解説を終わりにする。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Nazir』法理研究
https://note.com/mishnah/n/ne4720cb1c988
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef
