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民数記30章とミシュナ『Nedarim(ネダリーム)』における誓願の法体系:ナジル人の規定から女性の誓いの無効化まで

*本稿では、民数記6章、同30章及び口伝律法ミシュナ『Nedarim(ネダリーム)』に基づき、ユダヤ法における「誓願(ネデル)」の法体系を詳説する。サムソンのナジル人規定から、ミシュナにおける「代用語(konam、konach等)」の有効性、さらに女性の年齢区分(naarah/bogeret)に応じた取消権の法的射程を論じる。自己否定(苦行)の定義を巡るラビ・ヨセの解釈を通じ、単なる道徳的解説を排した、厳密な律法の現場を再現する。


ナジル人の定義とサムソン物語に見る聖別の実体


 今回はnedarim(ネダリーム:誓い)について扱う。単数形はneder(ネデル)である。

 ナジル人については聞いたことがあると思う。士師記13章~16章のサムソンの物語が有名である。この話の冒頭に次のように書かれている。

 1イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行ったので、主は彼らを四十年間、ペリシテ人の手に渡された。
 2その名をマノアという一人の男がいた。彼はダンの氏族に属し、ツォルアの出身であった。彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがなかった。 3主の御使いが彼女に現れて言った。「あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。だが、身ごもって男の子を産むであろう。 4今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないように気をつけよ。 5あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。」

(士13:1~5)

 ダン族のマノアの妻に子供が授からなかったが、ある日天使が彼女に現れた。身ごもることを言われるのだが、その子はナジル人として神に捧げるように命じられる。

 その為に守るべきことは以下の通りである。

①ぶどう酒を飲まないこと。

 その後の「汚れた物も一切食べない」とは、一般のイスラエルの民も食べてはならないものと思われる。

②頭にかみそりを当てないこと。

 この内、①に関しては少し後に次のように書かれている。

 13主の御使いはマノアに答えた。「わたしがこの女に言ったことをすべて守りなさい。 14彼女はぶどう酒を作るぶどうの木からできるものは一切食べてはならず、ぶどう酒や強い飲み物も飲んではならない。

(士13:13~14)

 今度は夫であるマノアに対して天使が命じる。妻は「ぶどうの木からできるものは一切食べてはならない」。

 そこで、上記の①がぶどう酒だけでなく、ぶどうの木からできるもの全てという趣旨であると分かる。

 マノアの妻はサムソンを胎内に宿すので、ナジル人同様にこれらのものを禁止しなくてはならないのである。

 ナジル人の原則については、旧約聖書の最高権威であるトーラに詳しく書かれている。

トーラ(民数記6章)における誓願の原則と「neder(ネデル)」の定義


 1主はモーセに仰せになった。
 2イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。
 男であれ、女であれ、特別の誓願を立て、主に献身してナジル人となるならば、 3ぶどう酒も濃い酒も断ち、ぶどう酒の酢も濃い酒の酢も飲まず、ぶどう液は一切飲んではならない。またぶどうの実は、生であれ、干したものであれ食べてはならない。 4ナジル人である期間中は、ぶどうの木からできるものはすべて、熟さない房も皮も食べてはならない。

(民6:1~4)

 冒頭に「男であれ、女であれ、特別の誓願を立て、主に献身してナジル人となるならば」(民6:2)とある。

 サムソンには生まれる前からナジル人として捧げるように、両親に命じられたが、原則は本人が誓ってなるものである。

 この「誓願」が今回取り上げるnederである。イスラエルの民はnederを立て、ナジル人になる。

 冒頭で述べた通りnederは単数形であり、複数形はnedarim(ネダリーム)である。

ミシュナにおける誓いの形式と言語的有効性:korban(コルバン)と代用表現


 これに関して民数記30章には、次のように書かれている。

 人が主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、その言葉を破ってはならない。すべて、口にしたとおり、実行しなければならない。

(民30:3)

 nedarimは人に対して物を禁止する誓いである。誓う内容については、口伝律法ミシュナ「Nedarim」1章2節に次のように書かれている。

 誰かが誰かに「konam」、「konach」、「konas」と言うなら、これらはkorbanと同じである。

(Nedarim 1:2)

 読者も「コルバン(korban)」という言葉は聞いたことがあるだろう。これは献げ物を意味する。

 献げ物の種類にもよるが、一般的にその肉は祭司以外のイスラエルの民には禁止されたものである。

 そこで、「korban」と言い、禁止される対象をその後に続けるという方式が、nederの内容として定着している。

 例えば「korban、あなたの調理したもの」と誓うなら、誓った本人はあなたの調理したものを食べないことを誓ったことになる。

 上に引用したミシュナは、これに関して、「コルバン(korban)」と言わずに、それを崩した言い方(「konam」、「konach」、「konas」)をした場合の効力を問題にしている。

 「誰かが誰かに「konam」、「konach」、「konas」と言うなら、これらはkorbanと同じである」とは、たとえ正しく「korban」とは言えずに、それと似たような仕方で誓ったとしても、誓いとして成立することを表している。

 トーラは女性が誓った場合の効力について、特別に言及している。

女性の誓願に関する取消権の法理


 4女性がまだ若くて、父の家にいるとき、主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、 5父がその誓願や物断ちの誓いを聞いても、彼女に何も言わなければ、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて有効となる。 6しかし、父がそれを聞いた日に、それを禁じる場合、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて無効となる。父が彼女に禁じたのであるから、主は彼女を赦されるであろう。

(民30:4~6)

naarah(12歳〜12歳半)の定義と父権の及ぶ範囲


 冒頭の「若い女性」はnaarah(ナアラー)である。これは以前の記事で触れたが、12歳~12歳半までの女性を指す。

 詳しくは下のリンクから確認して欲しい。

◉イエスを裁いた『最高法院』への道(2回目):旧約聖書の裏に隠れている3人判事の法廷②

https://note.com/mishnah/n/n3df2dd29045d

 トーラ本文にある通り、naarahはまだ父親の権威のもとにある。従ってもしも父親が知ってそれを取り消したのなら、その誓いは無効になる。

 ただ、その取り消し期間は日没までと限られている。

 それが「父がその誓願や物断ちの誓いを聞いても、彼女に何も言わなければ、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて有効となる。しかし、父がそれを聞いた日に、それを禁じる場合、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて無効となる」(ibid.)である。

 結婚した後は、彼女は夫の権威のもとに入る。そこで上記の父親の家にいるnaarahの場合における、父親の役割をそのまま夫が担うことになる。

 トーラには次のように書かれている。

 11もし、妻が夫の家で誓願をし、あるいは物断ちを誓ってするとき、 12夫がそれを聞いても、彼女に何も言わずそれを禁じない場合、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて有効となる。 13しかし、夫がそれを聞いた日に、それをはっきりと破棄する場合、誓願も物断ちの誓いも、彼女が口にしたことは、すべてが無効となる。夫がそれを破棄したのであるから、主は彼女を赦されるであろう。

(民30:11~13)

 この場合も取り消し期間は聞いた日の日没までである。

kiddushin(キッドゥーシン)における父権と夫権の推移


 次は父親のもとにいる時にnaarahのした誓いは、結婚後にはどうなるかである。

 7彼女が結婚することになったとき、依然として誓願中であるか、あるいは軽はずみに物断ちの誓いをしているならば、 8夫がそれを聞いた日に、彼女に何も言わなければ、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて有効である。 9しかし、夫がそれを聞いた日に、それを禁じる場合、夫は、彼女が立てている誓願や軽はずみな物断ちの誓いを破棄したのであるから、主は彼女を赦されるであろう。 10しかし、寡婦および離婚された女性の誓願、すべての物断ちの誓いは有効である。

(民30:7~10)

 「彼女が結婚することになったとき」とは、kiddushinの状態であると思われる。

 ユダヤ教の結婚制度は2段階であり、1段階目はkiddushinまたはerusinと呼ばれる。

 これは時に「婚約」と翻訳されるが、婚約はまだ結婚前であるものの、kiddushinは既に既婚者である点に注意を要する。

 この期間、女性は父親の家に留まり、結婚の準備をする。その間は父親の権威にも、夫の権威にも従う。

 トーラに戻ると、父親が何も言わなかったnederでも、夫が聞いた日の日没までに取り消すなら、それは無効になる。

 つまり両者の明示、黙示の同意が無いなら、彼女の誓いは有効ではない。

 次は父親または夫の取消権の範囲についてである。

 両者はnaarahに対して権限を持っているが、如何なる誓いも無効に出来るという訳ではない。

取り消し可能な誓願の分類:自己否定(苦行)と代置可能性


 取り消しの対象になる誓いの内容が、以下の2つのどれかに当てはまる場合、取り消し可能な誓いになる。

①自己否定(苦行)の性格のある誓い

②夫婦関係に影響を及ぼす誓い

 これを具体的に解説する。

ミシュナ「Nedarim」 11章:ラビ・ヨセの見解と物理的困窮の判定


 まず「①自己否定(苦行)の性格のある誓い」について、ミシュナ「Nedarim」11章1節に次のように書かれている。

 これらは無効に出来るnedarimである。-自己否定になるもの。「もし私が風呂に入るなら」、「入らないなら」、「もし私が着飾るなら」、「着飾らないなら」。ラビ・ヨセは言った。「これらは自己否定のnedarimではない。」

(Nedarim 11:1)

 ここに触れられている項目は、苦行の性格を持つもので、父親なり夫が取り消すことの出来るnederとされている。

 ラビ・ヨセは1日風呂に入らないこと等は、自己否定的な誓いに当たらないとする。

 次の事例に移る。

 これらは自己否定のnedarimである 。もし彼女が言ったら、「konam、世界の果物」、彼はそれを無効化出来る。「konam、この国の果物」-彼は別の国から持って来ることが出来る 。「konam、店主の果物は私に対して」-彼はそれを無効に出来ない。しかしもし彼が唯一の供給者であるなら、彼は無効に出来る。これらはラビ・ヨセの言葉である。

(Nedarim 11:2)

 最初のnederは「世界のすべての果物が私に禁じられる」と言った場合である。

 妻がこの世の全ての果物を食べないことは、明らかな身体的苦痛(自己否定)を伴う。そこで、父親なり夫はこの誓いを無効に出来る。

 次に「この国の果物が私に禁じられる」と言った場合、夫は別の地域から果物を取り寄せて妻に与えることが出来る。

 この場合、妻は「果物を食べる」という行為自体を完全に奪われている訳ではない。結論として、夫は誓いを無効にする必要はなく、別の場所から調達して対応することになる。

 その次は「特定の店主(八百屋)の果物が私に禁じられる」と言った場合である。

 特定の一軒の店が使えないだけなら、他の店で買えば済む為、これは「自己を苦しめる誓い」には該当しない。そこで夫は取り消すことが出来ない。

 しかしその町に店主が一人しかいない、あるいはその店主からしか生活必需品が手に入らない場合、取り消すことが出来る。

 以上はラビ・ヨセの見解である。

 ここまでnaarahについての場合を解説した。

結論:bogeret(ボゲレット:成人女性)の自律性と律法の適用境界


  成人した女性(bogeret;ボゲレット)の場合、父親の権威からは独立しているので、単独で有効にnederを立てることが出来る。

 彼女は独身である限り、誓いの有効性を奪われることがない。

 しかし結婚している場合、成人していても夫の権威のもとにあるのだから、その有効性は制限を受ける。

 その適用のあり方は上記の場合と同じである。

 以上で今回の解説を終わりにする。

(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)

 シリーズ目次は以下からご覧になれます。

◉【シリーズ目次】ミシュナ『Nazir』法理研究

https://note.com/mishnah/n/ne4720cb1c988


 本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)

https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334


 全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。

◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス

https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c


(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)

◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次

 ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。

https://note.com/mishnah/n/n4ccb130fe6ef

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