Yom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)の法理と構造 5回目:ミシュナ「Yoma(ヨマ)」篇第3〜4章に基づく大祭司の清め、および雄牛への二重の按手とアザゼルの雄山羊における祭儀構造の規定
*本稿は「ヨム・キップール(Yom Kippur:贖罪日)」の祭儀構造を、旧約聖書(トーラ)レビ記16章と、その実効的解釈を規定する口伝律法ミシュナ「Yoma(ヨマ)」篇の原典に基づき解明するシリーズ5回目。
本稿では、大祭司が「金の祭服」から「白の祭服」へと着替える際の手順、神殿内における雄牛と2匹の雄山羊の法理的配置、そして「二重の按手」が持つ贖いの構造を詳述。一次資料が規定する「主の名(神聖四文字)」の唱導と会衆の応唱の真実を、伝統的解釈から再構築する。
序論:本稿の目的と前回までの総括
前回は以下の内容を扱った。
【1】身体の清めと順序
ヨム・キップール当日、大祭司は計5回の浸礼(mikveh;ミクヴェ)と10回の手足の洗いを行う。
祭儀の進行に合わせて「金の祭服(通常の祭服)」と「白い祭服(当日の至聖所奉仕用)」を交互に着替えるが、その着替えの度に1回のmikvehと、着替え前後の2回の手足の洗いが行わる。
最初の1回目の浸礼は「水の門」の上で行い、残りの4回は神殿南側にある「パルヴァの部屋」の屋上で行われる。
【2】日毎の奉仕(tamid:タミッド)の特異性と合理化
ヨム・キップールの当日は、通常の日とは異なり、大祭司がほぼ全ての奉仕を一人で務めるため、動線が法理的に合理化されている。
いけにえを屠る際、大祭司はわずかに刃を入れるだけで、残りの作業は他の祭司が行う。大祭司は噴き出した血を祭器具で受け、祭壇に振りかける。
menorah(メノラー)の準備と献香の順序が、一人で行う際の効率を考慮して「5つの燭台の確認 → 献香 → 残り2つの燭台の確認」という特有の流れになっている。
通常は複数の祭司で分担する「いけにえの部位を祭壇へ運ぶ作業」も、この日は大祭司が自ら運び、火に投げ入れる。
【3】祭儀の動線:金の祭服から白の祭服へ
当日朝の最初の流れは以下のようになる。
①灰の奉仕(terumat hadeshen:テルマット・ハデシェン)
夜中から開始する。
②第1回目のmikvehと金の祭服の着用
これにより、日毎の奉仕(tamid)を開始する。
③tamid奉仕の完遂
焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、ぶどう酒、および大祭司自身の穀物の献げ物(chavitin:ハヴィティン)を献げる。
④第2回目のmikvehと白の祭服への着替え
これを終えると、いよいよヨム・キップール特有の至聖所奉仕へと移行する。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉Yom Kippur(ヨム・キップール:贖罪日)の法理と構造 4回目:ミシュナ「Yoma(ヨマ)」篇に基づく大祭司の清めと、日毎の奉仕(tamid:タミッド)における法理的動線の合理化
https://note.com/mishnah/n/n5d5f825bca4d
パルヴァの部屋における第2回目のmikvehと白の祭服
今回は大祭司の2回目の清めの具体的な場面から始める。「yoma」3章6節から引用する。
彼らは大祭司を神殿の敷地内にあるパルヴァの部屋に案内する。彼らは亜麻布を大祭司と他の者たちの間に広げる。大祭司は手足を洗い、祭服を脱ぐ。ラビ・メイルは言う。最初に脱いで、その後手足を洗う。
大祭司は下りていき、身を清める。上っていき、身体を乾かす。彼らは大祭司に白い祭服を持って来る。彼はその祭服を着て、手足を洗う。
読んで分かる通り、「手足の洗い、mikveh、手足の洗い」の順序が守られている。
白の祭服については、完全に亜麻で作られており、品質が最高級のものらしい。トーラには亜麻であることが強調されている。
彼は聖別した亜麻布の長い服を着け、その下に亜麻布のズボンをはいて肌を隠し、亜麻布の飾り帯を締め、頭に亜麻布のターバンを巻く。

いよいよヨム・キップール特有の祭儀に進む。次のように書かれている。
贖罪の雄牛の配置と方位:至聖所を向く「顔」の法理的意味
それから大祭司は雄牛の所へ行く。雄牛は祭壇と神殿の入口の間に立っている。その頭は南に向いており、顔は西を向いている。
大祭司は雄牛の東側に立ち、両手でその上に按手し、告白する。
まず「それから大祭司は雄牛の所へ行く」とある。この雄牛は大祭司とその一族、つまりアロンの一族の為に献げる、贖罪の献げ物である。1年に1回、この日のみ献げられる。
白の祭服に着替えた後、大祭司はこの雄牛の所へ向かう。
祭壇と神殿の入口の間とは、大体この辺りになる。

頭は南に向いていて、顔は西に向いているとあるので、雄牛の頭はスロープの方角にあるが、首を曲げて「顔は至聖所の方角に」向いていることになる。
「大祭司は雄牛の東側に立ち」とあるので、彼は雄牛と祭壇の間に立つことになる。
「両手でその上に按手し、告白する」とは、按手は雄牛の角の間に両手を置いて、力いっぱい押さなくてはならない。
それから大祭司は告白する。
第1の告白:大祭司とアロンの家(一族)を対象とする罪の贖罪
彼は次のように言う。「主よ、あなたに求めます。私は邪に振る舞い、反抗し、あなたの前で罪を犯しました。私と私の一族は。主よ、あなたに求めます。今邪な行い、反抗、罪をお赦し下さい。なぜなら私は邪に振る舞い、反抗し、あなたの前で罪を犯しました。あなたのしもべモーセのトーラに書かれているように。『なぜなら、この日にあなたたちを清めるために贖いの儀式が行われ、あなたたちのすべての罪責が主の御前に清められるからである。』(レビ16:30)
彼らは大祭司の後に続いて答える。「御名は祝福されている。その栄光は世々に及ぶ。」
「彼ら」が気になるが、神殿の敷地にいる祭司たちやイスラエルの庭、女性の庭にいたその他のイスラエルの人々を指すようである。
告白の中の「主」の箇所においては、神聖四文字を唱えるらしい。この時人々は地にひれ伏す。
従って、最後の段落「彼らは大祭司の後に続いて答える。『御名は祝福されている。その栄光は世々に及ぶ』」については、大祭司が主の名を唱えた時の応唱とひれ伏しについて言っていると理解出来るだろう。
次節に進む。
二匹の雄山羊の選別と「くじ」の材質に関する変遷
大祭司はそれから敷地の東側へ来る。祭壇の北側に。大祭司の総代理を右に、一族の長を左にして。
2匹の雄山羊がそこにいる。くじの箱もそこにある。箱の中には2つのくじが入れられている。
大祭司は神殿の入口と祭壇の間で按手した。そこから祭壇の北側に移る。写真の辺りである。

そこに2匹の雄山羊が連れて来られる。
「大祭司の総代理を右に、一族の長を左にして」について、大祭司の総代理については、肩書以上の詳しい解説は見当たらない。
「一族の長」は少し説明を要する。以前の記事で祭司、レビ人のmishmarotについて扱った。
祭司、レビ人は24の組に分けられていて、この組みのことをmishmar、複数形はmishmarotと呼ぶのである。
各mishmarは1週間奉仕を担当するが、家系ごとに1日担当する。ヨム・キップールの当日の祭司の家系の長が「一族の長」として「大祭司の左側」を歩くようである。
「2匹の雄山羊がそこにいる」、「くじの箱もそこにある。箱の中には2つのくじが入れられている」。これらについては、レビ記に次のように書かれている。
アロンは二匹の雄山羊についてくじを引き、一匹を主のもの、他の一匹をアザゼルのものと決める。アロンはくじで主のものに決まった雄山羊を贖罪の献げ物に用いる。くじでアザゼルのものに決まった雄山羊は、生きたまま主の御前に留めておき、贖いの儀式を行い、荒れ野のアザゼルのもとへ追いやるためのものとする。
なお、このくじは元々木製のものであったが、後になって金で作られた。
この後の展開は次の通りである。
赤い羊毛の結着箇所とアザゼルの雄山羊を東方へ向ける方位規定
大祭司はアザゼルの雄山羊の頭に赤い羊毛を結び付け、追いやられる方向に向ける。屠られるべき雄山羊には首に結び付ける。
それから大祭司は雄牛の所へ再び来て按手し、罪を告白する。
アザゼルの雄山羊には赤い羊毛が頭に結び付けられる。この赤は崖から落とされ、罪が赦された時には白く変色するとされている。
「追いやられる方向に向ける」。この「方向」は東である。そこで、ここではアザゼルの雄山羊は東門の方向に向けられる。
もう1匹については、紐を首に巻かれる。ミシュナでは色について触れていないが、これも赤であるらしい。
「首に巻く」とは、屠られる時に、刃を入れる辺りである。
この後、大祭司はやや不可思議な動きをする。
それから大祭司は雄牛の所へ再び来て按手し、罪を告白する。
大祭司は再び神殿と祭壇の間の場所に戻り、雄牛に按手して罪を告白する。この雄牛には先ほども按手して、罪を告白した(Yoma 3:8)。なぜ、ここで再び按手して罪を告白するのだろうか?
二重の按手の論理:自己の周辺から全祭司共同体へと及ぶ贖いの順序性
1回目には自分と自分の家族について告白し、2回目には他のアロンの子孫の為に告白するとされている。
罪の赦しを願うのは、まず自分について済ませてから、他の人の為にするという事である。
どのように告白するのかは、3章8節のところで掲載した。内容はほぼ同じであるが、以上を前提に両者を各自で比較して欲しい。
主よ、あなたに求めます。私は邪に振る舞い、反抗し、あなたの前で罪を犯しました。私と私の一族は。アロンの子孫たち、あなたの聖なる民は。主よ、あなたに求めます。今邪な行い、反抗、罪をお赦し下さい。なぜなら私は邪に振る舞い、反抗し、あなたの前で罪を犯しました。私と私の一族は。アロンの子孫たち、あなたの聖なる民は。
あなたのしもべモーセのトーラに書かれているように:『なぜなら、この日にあなたたちを清めるために贖いの儀式が行われ、あなたたちのすべての罪責が主の御前に清められるからである。』(レビ16:30) 彼らは大祭司の後に続いて答える。「御名は祝福されている。その栄光は世々に及ぶ。」
今回の解説は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Yoma』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n7222129b891f
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
