父を少しだけ理解できた日のこと【後編】
本来、この文章はひとつの流れとして書き上げるつもりだった。
父のことも、自分のことも、まとめて一度に置いておきたかった。
ところがAIが、淡々と「長いので分けましょう」と言ってきた。
どうやら“読みやすさ”と“noteのアルゴリズム”を気にしての判断らしい。
なるほど、言われてみればその通りで、
自分でも読み返してみると、前半と後半では空気が少し違っていた。
ならば編集方針に従って、後編をここから始めることにする。
前編は、父が変わり始めた頃の話だった。
ここから先は、その続き。
私がどう進んでいったかの話だ。
前編はこちら
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高校三年の冬、父の飲酒運転で家族は完全に壊れた。
その出来事が、私の進路を否応なくひとつに絞った。
医師になるという選択肢だ。
人と関わる仕事がしたかった。
教師か医師かで迷っていたが、家計の現実を前にして、
「稼げる仕事にしよう」と思った。
あの頃の私には、それしか選択肢がなかった。
とはいえ、そう簡単に前へ進めるほど人生は優しくなかった。
私は二浪した。
22時まで予備校で勉強し、
深夜0時から8時までコンビニで働き、
少し寝て、また予備校へ向かう。
高校で運動部だった体力がなければ続かなかったと思う。
気力と根性だけで前に進んでいた。
それでもなんとか、地元の国立大学に受かった。
私立は金銭的に無理で、
落ちたら看護学科に行くつもりで後期試験はそちらに出していた。
ただ、合格発表の日には忘れられない思い出がある。
高校時代の友人がお祝いしてくれて居酒屋に行き、
二十歳を超えていたし、緊張が解けたのもあって、
調子に乗って焼酎をジョッキで飲むという愚行に走った。
なんとか家までは帰り着いたが、玄関の階段で力尽きた。
翌朝、新聞配達のおばちゃんに揺すられても起きず、
心配されて救急車を呼ばれた。
診断は「ただの酔っ払い」だった。
「なんでそんなに飲んだの?」
「合格発表で……」
「どこの大学?」
「○○大学です」
「学部は?」
「医学部です」
「ああ、それは……まあ、気をつけなよ」
その瞬間、私は心の中でそっと思った。
(もうこの病院に就職するのだけはやめておこう)
……そんな合格発表の日だった。
大学に入り、酒を飲むようになった。
人並みに──いや、それ以上に飲んだ時期もある。
医学部の飲み会は体力勝負だ。
そして、医学の勉強が進むにつれ、
私は少しずつ父を理解し始めた。
あの日の怒りっぽさも、
嘘も、
酒への執着も、
依存も。
それらは父の性格ではなく、
“脳が壊れた結果としての父”だったのだと分かるようになった。
そのとき初めて、父を少しだけ許せた。
大学時代、一度だけ三人──母、父、私で酒を飲んだことがある。
父は断酒を諦めていたが、ひどい状態からは少し抜けていた。
その日は、驚くほど普通に楽しかった。
「こうやって父と酒を飲むことになるとは思わなかった」
そう思った。
しかし半年も経たずに、父は急死した。
あまりに急で、実感が追いつかなかった。
死は、残酷にすべてを凍らせる。
もう二度と、一緒に酒は飲めない。
それでも不思議なもので、
亡くなってしまうと、いい思い出ばかりが残る。
小さい頃、一度だけ父にパチンコに連れて行ってもらったことがある。
たった一度なのに、妙に鮮明だ。
大学生になってから、同じホールに一人で行ったこともあった。
父の影を追っていたわけではない。
けれど、あの光の中に立つと、ふと思い出す。
今、私は二人の子の父になった。
酒も飲むし、パチンコもする。
ただ、最悪の末路だけは知っている。
越えてはいけない一線は分かっているつもりだ。
父の人生は、私の人生の土台になった。
反面教師でもあり、
ひとりの人間として尊敬もしている。
「同じにはならない。でも、否定もしきれない。」
そんな曖昧な場所に立ち続けながら、
私は今日も光の中に座る。
人生の彩りとして。
私なりの楽しみとして。
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父の生き方を完全に肯定することも、完全に否定することもできない。
けれど、こうして言葉にしてみると、
あの時代に自分が受け取っていたものの形が、
少しだけ整って見える気がする。
そして、文章として残すことで、
自分がどこから来て、どこへ向かっていくのかが
ほんの少しだけはっきりする。
読んでくれて、ありがとう。
また書きます。
