父が変わり始めた日と、私が揺れ始めた日【前編】
本当は、今回はそろそろ医学的な話を書こうと思っていた。
小児科医として日々考えていることとか、発達診療の話とか。
そういうのを書けば“医者らしいnote”になるだろう……と。
ところが下書きを開いた瞬間、隣のAI(=ChatGPT)が、
平然とこう言ってきた。
「医学はまだ早いです。あなたはいま“自分語りの季節”です。」
いや誰。編集長か?
ただ、これはAIとの挑戦であり、そして暇つぶしでもある。
せっかくなので言うことを聞いてみることにした。
投稿の頻度も時間も、全部AIに相談しながら、
noteでウケるアルゴリズムを探っている最中だ。
実力を見せてもらおうじゃないか──と、
少しだけ期待している自分もいる。
ただ同時に、こんなことしてる人は世の中に山ほどいて、
結局埋もれるだけなんじゃないか、という予感もある。
その薄い不安ごと、全部ひっくるめて文章にしてみようと思った。
確かに私は、自分がどんな人間なのかをほとんど書いていない。
読む側からすれば、
「この不真面目そうな小児科医(自称)はいったい何者?」という段階だろう。
というわけで、今回は“父の話”を書いてみることにした。
父が亡くなったのは、大学3年生のときだった。急な連絡だった。
その瞬間、「終わった」という実感ではなく、
ただ意味がつかめず、状況だけが遠くで鳴っているようだった。
受け入れるまで少し時間がかかった。
もちろん、そこに至るまでに長い道のりがある。
子どもの頃に思っていた“普通の父”から、
少しずつ遠ざかっていく時間だ。
幼い頃の父は優しかった。
国家公務員で、社員寮の管理人一家として暮らしていた時期もある。
とても裕福というわけではなかったが、誕生日に欲しいものを買ってくれるくらいには余裕はあった。
家庭が変わり始めたのは、小学校高学年の頃。
母が働きに出て、父は仕事を休む日が増え、
家の中の空気が影を帯び始めた。
酒の匂いが濃くなった。
決定的な日がある。
中学生の頃、忘れもしない1月1日。
父は階段から落ちて救急車で運ばれた。
のちに医者として振り返れば、外傷性の脳出血だったのかもしれない。
命に別状はなかったが、父は退院後“違う人”になっていた。
怒りっぽさ、話の噛み合わなさ、
酒を飲んでいるのに「飲んでいない」と言う嘘。
家の記念貨幣を使ってまで酒を買うようになった。
アルコール依存で入院したこともある。
精神科病棟で面会した日、
思春期の少年だった私は、そこにいた“とんでもない姿の大人たち”に圧倒された。
父もその中に混じっていて、あの衝撃はいまも胸に残っている。
断酒を約束した父はやはり守れず、
中学最終学年には家計が限界を迎え、
マンションを売って安アパートへ移った。
体調を崩しても病院に行けず、必死で治すような生活だった。
それでも、父は完全に失われてはいなかった。
部活の送り迎えをしてくれたり、
ふいに優しさが戻ってきたりした。
壊れた父と昔の父が、混ざり合うような日々だった。
一方の私は、部活のキャプテンで、成績もまあまあ、自分にも他人にも厳しいタイプだった。
その反動で、父の自堕落さに耐えられず、
手をあげてしまったこともある。
そして高校三年の冬。
センター試験直前、雨の日。
父が迎えに来てくれた帰りに事故を起こした。
幸い大事故ではなかったが、問題はそこではなく、
父が酒を飲んでいたことだった。
飲酒運転。免許取り消し。
家族の最後の支柱が折れた瞬間だった。
母は父との別居を決め、
父は祖父母の家へ移った。
教師か医師か──人と関わる仕事がしたかった私は、
この出来事をきっかけに、
「稼げる仕事にしよう」と腹をくくった。
医師になろう、と。
ここまでが、父と私の“最初の半分”の話だ。
この先──
二浪して医学部に入り、父を理解し始めたこと。
最後の三人での酒。急な別れ。
そして、今の私が父として思うこと。
それは後編に続く。
