すきが取られる
本や雑誌で紹介されている曲を検索するのがすきだ。
紹介文の軽妙さと、実際に聴いたときの印象がまるで違うことがあって、それが面白い。饒舌な言葉が、音楽を過剰に着飾る。
身近な人のプレイリストを教えてもらうのもすきだ。
音楽は本や映画と違って、数分で世界に入り込める。他人の生活の隙間にじわっと溶け込めるのがいい。
本や映画は、紹介している人自身をある程度、信用していなければならない。その人とデートできるかどうかくらい重要だ。時間を長く拘束する分、無防備には受け入れられない。けれど音楽は、合コンのような「出会い」に対する気軽さがある。その場限りの刹那的出会い。「あ、そういう感じね」からの離脱も、容易い。
すきは、揺蕩う。
あっという間に揮発してしまうものもあれば、重たく沈澱していくこともある。
「誰かのすきなもの」は、いつの間にか自分のなかに残っている。ぼおっと眺める車窓の景色のように、いろんなものが通り過ぎて、どこで見聞きしたのか、教えてくれた人は誰なのか忘れてしまっても、そのモノだけが我が物顔で居座る。最初から、自分の細胞の一部だったのかのように。
すすめた側は覚えている。どこで、誰に教えたか。
すきは、自分のかけらなのだから。
だから慎重になる。とくに映画を薦めるときは、告白くらい慎重になる。
昔、おすすめの映画を聞かれて、「セレンディピティ ~恋人たちのニューヨーク~」を紹介したことがある。クリスマス前だったことと、普段そんなに映画を観ないと聞いていたから、ロマンチックなラブコメがいいだろうと思ったのだ。
後日、その子のSNSのプロフィールには「好きな映画はセレンディピティ」とあった。メールアドレスの変更を告げる一斉送信メールを開けば、"serendipity"に変わっていた。恋人と思わしき男の名前と彼女の名前で、ソレを挟んでいる。もちろん、「観たよ」の一言はなかった。
セレンディピティ。
しあわせな偶然、なんて言葉を、いたいけなわたしは信じていた。
劇中で、ヒロインが自分の名前と連絡先を書いた本のタイトルまで覚えている。ガブリエル・ガルシア=マルケスの「コレラの時代の愛」だ。映画が公開してしばらく経ったあと、日本でも出版されることが決まった。買った記憶はあるが、行方は知れない。あのころは、そういう細部まで、自分のためにお膳立てされた偶然のように思えた。
だが、わたしのセレンディピティは、呆気なく彼女のセレンディピティになってしまった。わたしが、喜んで差し出してしまったのだ。
今思えば、あの子はクリスマスに恋人とお家デートで、イチャイチャするのにちょうどいい映画を探していただけだった。はなから、彼女の人生にわたしはいなかった。まさか、王子様と結ばれたらお役御免のフェアリーゴッドマザーだったなんて。
わたしのなかにあったすきが、移動していた。奪われた。
真緑のスライムのような、液体とも固体ともつかない感情が、どろりと隣の容器に落ちていく。ベタついたそれが、ほこりやら髪の毛やらを抱き込んで、少しずつ濁っていく。
いいものは誰かに共有したい。知ってもらいたい。
そのきもちのすぐ裏側に、ちんけな独占欲がある。やり場はないのに、ぶくぶくと膨れ上がっていくこの感情をどう扱えばいいのかわからない。恥ずかしくて、誰にも打ち明けられやしない。
それもそのはず、「セレンディピティ」という映画は、平たく言えば、お互いにフィアンセがいる男女が、紆余曲折の末に「偶然のときめき」という名のもとに、それぞれのパートナーを裏切り、めでたくしあわせになってしまうご都合主義のロマンティックコメディだ。
そんな作品を「わたしがすきだったのに、取られた」なんて言えば、「そんなチープな映画を独り占めしていたつもりだったのか」と思われても仕方がない。
わたしがすきなのは、デパートで同じ手袋を偶然掴み合う場面とか、「セレンディピティ3」という実在のカフェで偶然再会する場面とか、5ドル札や本にそれぞれ名前と連絡先を書いて、いつか相手のもとに届くかもしれないという、あの、ドラマチックな偶然の演出なのだ。
洒落た演出の映画は、きっと他にもいくらでもある。
それなのに、わたしがあの子のクリスマスデートという凡庸なしあわせのど真ん中に、安っぽい駄菓子のような映画を差し出したのは、なぜか。それは、彼女の人生にやすやすと入り込むためだ。
彼女は手頃なロマンチックを消費したつもりだろう。わたしのかけらが、無邪気に自分たちの愛の象徴になるとも思わずに。
わたしのかけらが、あの子のなかで増殖していると気づいたとき、わたしのドロドロの執着心は、生温く心地よい征服欲へと変わった。
すきを人に渡すたびに、自分のかけらが散り散りになっていく気がしていた。でも違う。世界がわたしのかけらで満たされていくのだ。
すきは取られて終わらない。感染していく。
みんなわたしから、すきを奪っていけ。しあわせな偶然に溺れるがいい。
世界中にわたしのすきを張り巡らせて、いつしか、あなたはわたしの最終宿主になる。
わたしは強欲だから、あなたのすきも奪いたい。すべてをすきにはならないだろうけれど、余さず舐め尽くして、わたしの養分にしてやる。
ばら撒き、吸い上げ、また誰かに植えつける。
あなたのすきを聞かせて。
でも、すきにならなくても恨まないでね。
そして、わたしはまた、すきを教えてくれた誰かを忘れる。
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