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Economic : Oil Shocks 1973-1979 / オイルショック - 中東で起きた変化がなぜ東京へ

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オイルショック - 中東で起きた変化がなぜ東京へ

1973年、世界経済 は 石油価格 の急激な上昇に直面した。
原油価格 の上昇は、ガソリンや燃料だけの問題では終わらなかった。
電力、輸送、化学製品、製造業、農業、物流など、石油を直接・間接に利用する広い産業へコスト上昇が伝わり、物価と景気、企業活動、家計、国家のエネルギー政策にまで影響が広がった。

さらに1979年にはイラン革命を背景として再び 石油市場 が混乱し、第二次オイルショック が発生する。
二度の Oil Shock が示したのは、石油という一つの資源の重要性だけではなく、世界が一つの市場として深く接続されるほど、一地域で発生した変化も市場を通じて世界へ伝播する。

オイルショック は、現代の国際市場が持つ効率性と脆弱性を同時に表面化させた出来事だった。

石油によって動く戦後社会

第二次世界大戦 後、世界の石油消費は急速に拡大した。
自動車、航空機、船舶、火力発電、石油化学、プラスチック、肥料、工場設備、石油は単なる自動車燃料ではなく、工業化された社会を動かす広範な産業へ組み込まれていった。

特に西ヨーロッパや日本では、戦後の経済成長とともに石油への依存が強まり、安価で大量に供給される石油を前提として、輸送網、都市、工場、物流、大量生産・大量消費社会が拡大する。

つまり1970年代初頭には、石油価格の変化が社会全体へ伝わる構造がすでに形成されていた。

OPECと産油国

石油市場では長く、欧米の大手石油会社が生産・流通に大きな影響力を持っていた。
これに対して1960年、Iran、Iraq、Kuwait、Saudi Arabia、Venezuelaによって OPEC( Organization of the Petroleum Exporting Countries )が設立され、その後加盟国は増加する。

産油国は、自国の地下資源から得られる利益や生産政策について、より大きな決定権を求めるようになった。

1970年代には産油国による資源管理の強化が進み、石油をめぐる国家と企業の力関係も変化し、そこへ中東の政治情勢が接続する。

第一次オイルショック

1973年10月、Egypt と Syria が Israel を攻撃し、第四次中東戦争( Yom Kippur War )が始まった。
戦争そのものは中東で発生したものだが、影響は中東だけには留まらず、アラブ産油国 を中心とする OAPEC諸国 は生産削減を進め、アメリカなど Israel を支持する一部の国に対して 石油禁輸措置 を実施した。

第一次オイルショック 1973

同時期には産油国側による原油価格の大幅な引き上げも進み、原油価格は短期間で大きく上昇する。
ここで、国際市場の接続性が一気に表面化し、地理的には遠く離れた出来事が、市場を通じて各国の日常生活まで伝わった。

OPEC アラブ石油輸出国機構 OAPEC アラブ産油国

石油だけでは終わらない

原油価格が上昇すれば、まずガソリンや燃料価格に影響する。
しかし石油は経済のさまざまな場所で使用されており、船やトラックで商品の燃料、工場を動かすにもエネルギーが必要になる。
石油化学製品は包装材、合成繊維、プラスチックなどにも使用される。
農業にも燃料や化学製品が関係する。

そのため石油価格の上昇は、経済全体へ伝播する。
一つの原材料価格の変化が、複数の産業を経由して最終的な商品価格へ。
オイルショック は、現代経済が独立した産業の集合ではなく、相互に接続されたシステムであることを鮮明に示した。

インフレと景気停滞

通常、景気が悪化すれば需要が減少し、物価上昇も弱くなると考えやすい。
しかし1970年代には違う現象が問題となった。

石油価格の上昇によって企業の生産コストが増え、企業活動や消費には下押し圧力が加わる、それでも物価は上昇する。
Inflation( インフレーション )Stagnation( 景気停滞 )が同時に発生するのが、Stagflation( スタグフレーション )である。

Stagflation( スタグフレーション )

戦後先進国の経済政策は、この現象への対応を迫られた。
オイルショック はエネルギー政策だけでなく、金融政策や経済政策の考え方にも大きな影響を与えることになる。

日本とオイルショック

日本への影響は特に大きかった。
高度経済成長期 の日本は、輸入石油を大量に利用する産業構造を形成し、石油価格の急上昇は、企業の生産コストや輸送費を押し上げ、物価上昇を加速させた。

1973年から1974年にかけて、日本では「 狂乱物価 」と呼ばれるほど急激な物価上昇が発生、社会には商品不足への不安も広がった。
象徴的なのがトイレットペーパー騒動である。

石油価格上昇から紙製品が不足するという情報や不安が広まり、消費者が店頭へ集中、買いだめが発生すると、実際に商品が棚から消える。
市場では、実際の供給量だけでなく、人々が将来をどう予想するかも現実の需給へ影響する。

日本経済の転換

第一次オイルショック は、日本の 高度経済成長 が終わる大きな転換点の一つとなり、企業はエネルギー使用量の削減を進め、省エネルギー技術への投資を拡大し、産業構造も、石油や大量の原材料を使用する重厚長大型産業だけでなく、よりエネルギー効率の高い産業へ変化していく。

自動車でも燃費性能が重要になる。
国家レベルでも、原子力、天然ガスなどを含むエネルギー源の多様化や石油備蓄が進められ、エネルギーを大量に使用して成長する構造そのものを見直す圧力にもなった。

第二次オイルショック

1979年、再び石油市場が大きく揺れる。
背景にあったのが Iranian Revolution( イラン革命 )だった。
Iran の政治体制が大きく変化する過程で石油生産が減少し、国際市場では供給への不安が拡大、さらに1980年には Iran–Iraq War が始まり、中東からの石油供給に対する懸念が強まった。

原油価格は再び大きく上昇、第一次オイルショック が Fourth Arab–Israeli War と産油国の政策に強く接続していたのに対し、第二次 では革命と地域情勢の不安定化が大きな要因となった。

第二次オイルショック 1979

しかし二つの危機は共通して、世界経済が特定地域の資源供給へ強く依存することのリスクを示した。

市場は「現在」だけを見ない

第二次オイルショック は、もう一つ重要な市場の性質を見せた。
価格は現在存在する商品の量だけによって決まるわけではない。
将来供給が減る可能性があれば、企業や国家は在庫を確保しようとする。
買い手が増えれば価格には上昇圧力が加わる。
価格が上がれば、「 さらに不足するのではないか 」という予想が強くなることもある。

市場は現実を反映するだけではなく、市場参加者の行動によって次の現実そのものを変化させる。

効率性と脆弱性

国際分業には大きな利点がある。
石油を効率よく生産できる地域から輸入し、工業製品を効率よく生産できる国が製造し、それぞれの地域が得意なものを交換することで、世界全体の経済効率は高くなる。

しかし接続が深くなるほど、一つの場所で起きた変化も広範囲へ伝わる。
オイルショック は、国際市場の効率性と脆弱性が、同じ接続構造から生まれることを示した。

この構造は石油だけではなく、天然ガス、食料、半導体、レアアース、海運など、現代社会を支える多くの国際市場にも存在する。

エネルギー安全保障へ

二度のオイルショック 以降、各国は石油を単なる市場商品としてだけではなく、国家の安全と経済活動を左右する戦略資源として強く意識するようになった。

石油備蓄、供給国の分散、天然ガスや原子力などへのエネルギー多様化、省エネルギー、外交関係、輸送ルートの確保。

これらが Energy Security( エネルギー安全保障 )として接続していく。
「 市場で買えるから問題ない 」だけではなく、市場そのものが機能しなくなった場合にどうするのかという視点が国家政策へ組み込まれたのである。

Archive Point

Oil Shocks( オイルショック )は、1973年と1979年を中心として発生した石油供給・価格をめぐる世界的な経済危機である。

第一次オイルショック では 中東戦争 と 産油国の政策、第二次 ではイラン革命などによる供給不安が 国際石油市場 へ大きな影響を与えた。
しかし、その 歴史的重要性 は 原油価格 が上昇したことだけではない。
石油価格の変化は、輸送、製造、化学、電力、物価、企業活動、家計へと伝播、一地域の政治的変化が、国際市場を通じて遠く離れた国の生活まで変化させた。

そして市場では、現実の供給だけでなく、将来への予想や人々の行動も次の価格と需給を動かした。

オイルショック が示したのは、世界が一つの市場として接続されるということは、利益だけでなくリスクも共有するということだった。
その経験は、省エネルギー、資源の多様化、石油備蓄、Energy Security へつながり、現在のエネルギー政策にも残っている。

国際市場の接続は、世界を効率的にすると同時に、その接続そのものが、遠くの変化を自分たちの問題へ変える経路にもなる。


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