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【連載小説】「みつばち奇想曲(カプリース)」第二十六話

「さあ、あなたが鍵をかけて」
 石碑の下の扉を閉めると、薫は振り返り、鍵を美憂に差し出す。
「……どうしたの、美憂さん? 何も怖れることはないのよ。何十年もの間、この学院を守るためにドロシーが続けてきたことなのだから」
 その時、美憂の視界の中にいつもの微笑みを向ける薫の姿は入っていなかった。
 美憂が凝視して目を逸らせなかったもの。それは頭蓋骨を納めた石碑の隣にある、右側の石碑だ。
 ランタンの淡い黄色の光が映し出す艶やかな黒色石の表面には、三十名分はあろう生徒の名が在籍クラスと共に刻まれていた。連なる少女たちの名の末尾に、よく知っている名前を見つけた。「松永白雪」、そうあった。
「白雪……、白雪が、どうして?」
 突如、足のつま先から頭の先にかけて全身が震え出す。とても寒い。寒くて震えが止まらない。
「薫さん、どうして、どうしてそこに、白雪の名前があるんですか……?」
 震えを堪えて、喉の奥から声を絞り出す。
「美憂さん、心配をしなくても大丈夫よ。そちらの石碑は『悪い魔女』ではないの。皆、この学院に幸せを見いだせなかった可哀そうな子どもたち。魂を解放してあげる必要があった子どもたちなのよ」
 薫は、右側の石碑に刻まれた名前をひとつひとつ愛おしそうに指先で撫でた。
 この人は、何を言っているんだ。未だ絵画のように鮮やかな赤みを帯びた薫の頬を見ていると、ひどく寒さを感じる身体の表面とは裏腹に、身体の内側では何かが激しく燃え上がる。
「魂の解放って……、何ですか、それ。『悪い魔女』退治って言いながら、やっていること、人殺しじゃないですか。おかしい……、おかしいですよ! なんで白雪にこんなこと……。なんで、なんで私を巻き込んだんですか⁉ こんなこと、知りたくなかった‼」
 いつの間にか、両目から涙が川のように流れ、顎から落ちた涙の粒がコンクリートの床を濡らしていた。
「落ち着いて、美憂さん。私たちは、そんな非道なことをしてるわけではないの。私たちは学院を守らなくてはいけない。生徒たちを守るために私たちがいることを、大人たちに忘れられては困るの。私たちの存在がいなければ、大人たちは容赦なく生徒を支配しようとするわ。私たちは、それを許さない。生徒が悲しい思いをしているならば、私たちは彼女たちを救わなければ。私たちは、この学院を、私たちの家を守るために尽くさなければいけない。それが、私たちドロシーに選ばれた女の子の使命なの」
「……そんなこと言われたって、わからない! 人の命を奪っていい理由になんかならない!」
「美憂さん、何か誤解しているわ。私たちは、直接人の命を奪ったことはない。殺意など元々持っていないわ」
「でも……、でも……! 実際に、こうやって人が死んでるじゃないですか! いくら薫さんの言葉でも信じられない!」
「……私は言ったはずよ。『今年のドロシーも無事に悪い魔女の退治を成し遂げた』と。これは、あなたの力なの」
「知らない……! 私は何もしていない! あの時、私はホールの後ろの方にいて、舞台で起きたことをただ見ていただけ……! 見ていただけなの!」
「……私がドロシーを演じた時も、そうだったわ。私は何もしていない。ただ、突然事故が起きて『悪い魔女』が学校から消えた。それだけよ」
「それじゃあ、安見先生が死んだのも、ただの事故だったって言うんですか? 本当に、クララのせいで起きた事故なんですか⁉ 白雪はどこなんですか⁉」
「美憂さん、落ち着いて。色々な問題を一度に考え過ぎよ。檜崎クララさんは残念だけれど、あの子は欲をかきすぎたの。あなたという存在がいながら邪魔をして、あなたを排除しようとしていた。だから、きっと罰がくだったの」
「クララは、確かに許せないこともいっぱいしてるし、友達でも何でもないけど……、でも、それでも、そこまで深い心の傷を負わせる必要はないです! 自分のせいで人が死んだなんて、そんなの一生立ち直れない……!」
「ああ、美憂さん。あなたはやっぱりドロシーにふさわしいわ。自分を傷つけていたかもしれない人のことを案じるなんて。それでもね、私はやっぱりあの子がいなくなって良かったと思っているの。なぜなら、ドロシーはあなたひとり。この学院に女王蜂はふたりもいらないの」
 薫の笑みの下で藍色の瞳が怪しくうごめいたのを、美憂は見逃さなかった。
 この人の同じ目を以前、見たことがある。二年前、ファッションビルで初めて会ったあの日に見た目と同じだ。
「大人に気を遣って、騙されてあげていることって、子どもにはあるでしょう。あなたみたいに」
 あの日、彼女はこう言った。
 中学二年の時、母の機嫌を取り、大好きな絵画の話もできず、大好きな父に会えないことが苦しかった。その先もこれまでと同じように生きていくのだと、好きなものも自分らしい生き方も諦めようとしていた。
 しかし、彼女と会ったことで、今までの煩わしい環境から離れ、来年の夏にはパリのルーヴル美術館に行き、父と会うことができるかもしれないと、そんな夢を見ることができた。母を捨て、愛する父に会いに行く道を自分で選ぶことができたのだ。
「──ああ、あの時、私はこの人と取引をしたんだ」
 そう、美憂は思う。
 薫と出会い、子どもであっても大人の支配や束縛から逃れられることを知った。自分の夢を見ていい、そんな場所があることを知った。けれども、それは永遠に大人からの支配を拒み続けなければならない場所でもあったのだ。夢を叶える代わりに、この学院の生徒たちのために、彼女たちの幸せを守るために、学院の秩序を乱す者がいれば排除しなければならない。誰かの私欲によって、この秩序が乱されぬように見張らなくてはならない。そのために、全く別の世界からこの学院に呼ばれたのだ。
「薫さん……、どうして私なんですか? 私、ただの普通の女の子だったはずなんです……」
 涙を流しながら、すがるように薫を見つめると、薫は優しく美憂の身体を抱きしめた。
「あなたを見つけた瞬間、すぐに分かったの。あなたは私に似ているって。そこから逃げたいって目をしていた。他に愛している人がいると、その人に会うためになら何でもすると、心の底で叫んでいた」
「そんなこと、私思って……」
「私は兄を愛していたの。兄は私たちの母が家に縛られ、自由になれないことを嘆いていた。兄のために、母のような女の子を増やさないように、私はこの学院のドロシーになることを決めたの。私は大人たちの支配から女の子たちを守りたい。けれど、私だけではだめなの。あなたの中には、私や学院の生徒たちにはない『怒り』がある。その怒りは、きっと可哀そうな子どもたちを救ってくれる」
 薫の言うことは、やはりよく分からない。だが、全てを理解することはできなくても、彼女の手が他の誰よりも柔らかく、そして温かかいことだけは分かった。その眼差しは、聖なる光に満ちていた。


(つづく)


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みなとせ はる いつも応援ありがとうございます🌸 いただいたサポートは、今後の活動に役立てていきます。 現在の目標は、「小説を冊子にしてネット上で小説を読む機会の少ない方々に知ってもらう機会を作る!」ということです。 ☆アイコンイラストは、秋月林檎さんの作品です。