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【連載小説】「みつばち奇想曲(カプリース)」第二十一話

 廊下に置かれている大理石の柱時計は、カチカチと秒針を震わせながら零時五分前を指そうとしている。
 部屋から出た後、足音を立てぬよう細心の注意を払いながら階段を下りていくが、聞こえるのは時計の秒針の音だけで人の気配は感じられない。寮の出入口である蔦模様の木製扉も鍵が開いていて、いとも簡単に寮の外へ出ることができた。あまりにも簡単に寮からの脱出が叶い、少し拍子抜けしてしまう。
 新月の今宵は、ぽつぽつと点在する外灯が心細く灯るだけだ。闇に紛れやすいよう制服を着てきたが、「これでは誰が歩いていても、簡単には分からないはず」と教師に見つかる心配がないことに安堵した。
 寮から出ると、ホール「シーニュ」の渡り廊下を横切り、中庭の方へと歩いていく。その先を少し行くと、教員棟の隣に世界遺産のピサの斜塔の形にも似た古い塔がある。赤茶色の煉瓦でできたその建物が、生徒会メンバーが暮らす「ランテルヌ塔」だ。近年改装されたホールや他の校舎に比べ、「ランテルヌ塔」は周囲に馴染まぬ年代物であり、その姿はすっかり夜の闇に溶け込んでいた。
 塔に近づくと、入口付近で黄色い灯りがひとつ揺れている。
 それがランタンの灯りだと気づき駆け寄ると、そこには制服を身に着けた薫がいた。
「あ! 薫さん! やっぱり薫さんだったんですね!」
「美憂さん、こんばんは。来てくれてありがとう。待っていたわ」
「もう、急に手紙なんて、びっくりしましたよ。でも、何の催しなんですか? 他には誰が来ているんです?」
「今夜は、あなただけよ。さあ、入って」
「私だけ……?」
 薫が美憂の背に手を添えて、塔の中に入るよう促す。しかし、中は真っ暗で、真夏だというのに冷たい風が肌を掠めていく。美憂は、足を踏み入れるのに躊躇した。
「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。今日は特別な日なの。楽しく過ごしましょう」
 薫の意図は全く分からないが、その声には妙に艶がある。塔の中に一歩入ると、背後で鉄扉が重々しい音を立てて閉まった。


 ラプンツェルの物語に出てくるような細長い塔の中を、螺旋階段がどこまでも続いていく。ガラス製のランタンの中に灯る蝋燭の光だけを頼りに薫の背中を追っていると、自分が今、何階にいるのか分からなくなり、この階段に果てがないような気さえしてきた。
 暫く階段を上り続け、眩暈を感じ始めた頃、ようやく薫が足を止めた。
「最上階に着いたわ。さあ、美憂さんもこのローブを羽織ってね」
 そう言って薫が美憂の肩に掛けたのは、足元まで長さのあるビロードでできたマントだった。肌触りは滑らかでこの上ないが、誰かに伸し掛かられたような重さがある。薫の持つランタンに照らされたマントの朱殷しゅあん(時間が経った血液のような赤黒色)からは、先日の事故で目にした安見の流れ出る血を連想した。
「薫さん、私……」
「安心して。皆がいるから大丈夫よ」
 美憂の言葉を遮った薫が扉を開けると、部屋の中には同じローブに身を包んだ少女たちが集っていた。どの顔も見覚えがある。五人の少女全員が生徒会メンバーだ。その中には、夏休み前、「ドロシー役」を薫と共に美憂に告げに来た「北の良い魔女役」の荒井沙希穂もいた。
「ようこそ、今年のドロシー」
 五人の視線が一斉に集まり、美憂は一瞬たじろいだ。
今まで薫のことしか目に入っていなかったが、ここにいるどの少女も息を飲むほど美しい顔をしていた。部屋に灯されたランプの僅かな光の中でも、彼女らの白く柔らかい肌はうっすらと光を放ち、赤黒い怪しげなローブとは対照的にピンク色の頬と唇が清い乙女を思わせる。「まるで、ルノワールの『大水浴図』に描かれた娘たちみたいだ」と思わず心の中で呟いた。
「あ、あの、私、なんで呼ばれたんですか? 何だか、皆さん、すごい人ばっかりなのに……」
「今日はね、あなたを私たちの仲間に迎える大切な日なのよ」
「そう。私たちは、あなたをずっと待っていたわ」
「ドロシーは特別なの。ずっと前から特別なの」
 沙希穂と他のメンバーたちが口々に話す。
「ドロシーって、ただの演劇の役ですよね。私、皆さんのようなお嬢様でも何でもない、ただの普通の高校生なんですけど……」
「そんなことないわ。私も二年前、あなたと同じ『ドロシー』だった。あなたは、私と同じ選ばれた女の子。そして、今夜、『特別』になるの」
 薫はランタンの火を消して棚の上に置くと、美憂の背を押して少女たちのつくる輪に加えた。
「今宵は八月の新月。今年のドロシーも、無事に悪い魔女の退治を成し遂げました。彼女を私たちの新たな仲間に加えましょう」
「「「ようこそ、ドロシー! あなたを歓迎します!」」」
 薫の口上をきっかけに、他の少女たちが歓迎の言葉と拍手を美憂に送る。美憂はわけが分からないまま、微笑みかける彼女らの美しい顔を見回していた。
「あの、えっと、あの……」
「美憂さん。今夜があなたの初めての儀式よ。沙希穂さん、『あれ』を用意して」
 頷いた沙希穂が、戸棚の引出しから青いベルベッドの横長のケースを取り出す。沙希穂が丁重にケースの蓋を開くと、そこには刃渡り十五センチほどの細いナイフが横たわっていた。随分と古いものなのか、柄の部分の金色の装飾は剥がれかけており、刃には黒い染みがべったりと張り付いている。
 薫は片手で慎重にそれを持ち上げると、突然、隣にいる美憂の手首を掴んだ。美憂の右手にナイフの刃を握らせると、自身の手を上から重ね、だんだんと力を込めていく。


(つづく)


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みなとせ はる いつも応援ありがとうございます🌸 いただいたサポートは、今後の活動に役立てていきます。 現在の目標は、「小説を冊子にしてネット上で小説を読む機会の少ない方々に知ってもらう機会を作る!」ということです。 ☆アイコンイラストは、秋月林檎さんの作品です。