【連載小説】「みつばち奇想曲(カプリース)」第三十一話
白雪は時々、ひとりで行動することがあった。
五月のあの日、移動教室の前に姿が見当たらなくなった白雪は、なぜか人気のない下駄箱の隅にいて、クララたちにいじめられて泣いていた。そして、その後も時々、「美化委員」の仕事だと言って昼休みにひとりで出掛けることが増えた。
「白雪にもひとりになりたい時もあるのだろう」とあえて理由を聞くことはしなかったが、「彼女がひとりで出掛けていく理由」、それは「赤い意見箱」を探すことにあったのだ。
中等部で大出蘭と同じクラスだったのであれば、「赤い意見箱を見つけた」という蘭の言葉を信じていても不思議はない。白雪は、クララにいじめられていることを誰にも言えずにいた。この学院で大きな力を持つクララから逃れるために、伝説にさえすがりたいと思ったに違いない。
一年前、「赤い意見箱」見つけた大出蘭は、今は「笠間瑠音」と名を変えて、別の人物として学生生活をやり直している。もしも白雪が「赤い意見箱」を見つけていたならば、同じように何かしらの方法で人生をやり直そうとしているのではないだろうか。
「赤い意見箱」が、もし願いを何でも叶えてくれるようなものだとしたら、「クララたちに決して見つからない外の世界に行きたい」と白雪は切願するはずだ。
けれど、この学院の中の世界しか知らない白雪が、外の世界で生きることはそう簡単ではない。今までに学院を辞めて実家に戻るという選択をしなかったということは、白雪は実家に帰りたくない、または、帰れない事情があるということだ。衣食住に恵まれ、同世代の生徒たちだけと関わる生活に慣れた大人しい少女が、学院には皆無の異性や同年代以外の年代の人々が溢れる外界で、ひとり生活を成り立たせなければならないというのは無理がある。
「まだ、白雪は学院の近くで再起を狙っている」
そんな気がする。
とはいえ、どこから探したら良いだろう。クレール女学院に近く、関係があるところと言えば、この「クレール女学院大学付属病院」と、病院に隣接する「クレール女学院大学」だろうか。
「まずは、明日、クレール女子大のキャンパスに潜り込んでみるか! 自転車で片道二時間はちょっと辛いけど……。ああ、美憂がいてくれたらなぁ」
グラスに入ったコーラを飲み干して空を仰ぐと、太陽の東側にうっすらと爪先ほどの細さの三日月が浮かんでいた。
もうすぐ新月。停学処分を受けた七月の新月の日から、ふた月が経とうとしている。
美憂はどうしているだろう。「今日も変わらず学院は平和」という瑠音(蘭)の手紙の言葉を信じてはいるが、入学してから毎晩おしゃべりしていた美憂とひと月以上話すことができないと、その声を忘れてしまいそうで寂しくなる。
早く白雪を見つけて、白雪と瑠音には洗いざらい話を聞かねば。警察に行こうにも、これまでの奈那の証言だけでは弱すぎる。これまで学院で何人もの生徒や教員が消えているなんて訴えても、叔母の時と同様にうやむやにされてしまうだけだ。
「よーし! 時間だけはたくさんあるし、頑張るぞ!」
そう言って、腕をめいっぱい伸ばして拳を突き上げた、その時。突然、誰かに右手首を力強く掴まれた。
*
九月の新月の夜は長い。
美憂は自分の使命を受け入れ始め、頭蓋骨をしまった扉に静かに鍵をかける。すると、薫は「もうひとつプレゼントがあるのよ」と言って、呆然と鍵を握ったままでいる美憂の手をひいた。
「もうこれ以上、何も知りたくない。だけど……、ドロシーだから知らなきゃいけないんだ」
薫に反抗する気力も起こらず、ただ導かれるまま付いていく。
白雪の名が刻まれた右側の石碑の裏に回ると、蔦の装飾がされた備え付けの木製棚があった。薫はそこから青色のケースを取り出すと、美憂によく見えるようランタンの光で照らす。
「薫さん、それは……」
それは、ちょうどひと月前の新月の日、ランテルヌ塔で儀式を行った際に使われたナイフを収めたベルベッド生地の青いケースだった。薫がケースの蓋を開けると、血液が何重にも塗り重ねられ、赤黒く染まったナイフが姿を現す。
「これは、初代ドロシーの時代から受け継がれる聖なるナイフよ。ドロシーは正義を貫くために仲間を集め、そして、そのメンバーで『生徒会』を作った。いつの時代も、大人たちの犠牲になってきた女の子たちを守るために、そして、自由に生きる場所のない女の子たちの魂を解放するために、ドロシーたちは奔走してきたの。このナイフは私たちの歴史そのもの。このナイフで悪を清め、そして、新たな時代を切り開いてきた。あなたも、このナイフを持つ資格がある。胸につけた星のバッジがその証よ。さあ、手に取って」
薫にナイフを差し出されると、治ったはずの右手のひらに再び燃えるような熱さを感じた。あの日、ランテルヌ塔の最上階で手のひらを傷つけられ、流れ落ちる血液を頭蓋骨の上に落とした場面がフラッシュバックする。恐怖で身体がぶるぶると震え、汗が噴き出してきた。
「待って、待ってください。私、まだ……」
口に手を当てて後ずさりすると、美憂の右手首を薫が掴む。
「だめよ、美憂さん。あなたは、次のドロシーだもの。逃げてはだめ。生徒たちを守るためにナイフを握るのよ。あなたには、『悪い魔女』を退治する力がある。これからは、あなたが害悪を排除して新しい時代を作っていくの」
「私……、私にそんな力なんてありません。私は普通で平凡で、薫さんみたいに美人でも立派でもないんです……!」
「そんなことないわ。私が選んだあなただもの。必ずできる」
薫は力づくで、ナイフの束を美憂に握らせようとする。
「薫さん、お願いだからやめてください! やっぱり無理! 私には無理です!」
「そんなことを言うのは許さないわ。もう次の『悪』を断ち切らなければ。あなたがやらないなら、私がやるしかない」
(つづく)
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