OSの女――母に作られ、暗闇を愛し、日常を夫と呼ぶまで|終章
終章 まだ書いている
昼間なのに、布団の中にいる。
夫は仕事に行った。部屋は静かで、
洗濯機だけが回っている。
スマホを持って、布団に潜り込む。
この背徳感が、筆を進める。
誰かに言われたわけじゃない。
締め切りがあるわけでもない。
ただ書きたくなったから書いている。
それだけなのに、
どうしてこんなに夢中になれるのか、
自分でもよくわからない。
時には突然思いついて、
車を停めて書くこともある。
信号待ち。駐車場の隅。
エンジンをかけたまま、
スマホに向かっている。夫は知らない。
たぶん誰も知らない。この衝動の正体を。
私は今、書くことに支配されている。
それと同時に、生かされている。
思えば、ずっと何かに支配されてきた。
母の言葉に。必要とされたい欲求に。
欠落した男たちに。暗闇に。痛みに。
それが愛だと思っていた頃の、あの熱に。
でも今は、書くことに支配されている。
これは今まで支配されてきたものと、
どこか似ている。やめられない。
止められない。夜中に目が覚めて、
言葉が降ってくる。布団の中で、車の中で、
誰にも見せない顔で、スマホに向かっている。
違うのは、これは私を壊さないということだ。
むしろ、少しずつ私を作っている。
母が作ったOSは、完全には消えない。
今でも時々、古いシステムが動き出す。
褒められると怖くなる。
優しくされると罪悪感が来る。
静かな夜に落ち着かなくなる。
壊れそうだった頃を懐かしむ夜がある。
でも今は、その動きに気づける。
静かな夜に落ち着かなくなった時。
優しくされて戸惑った時。
またか、と思いながら布団に潜る
書くことで、自分の前提が見える。
なぜそうなったかが分かる。
過去の私が少しずつ救われていく気がする。
私は読書感想文が苦手だった。
正解が分からなかった。
作者は何を言いたいのか。
何を感じるべきなのか。
考えれば考えるほど分からなくなった。
でも不思議なことに、スマホを持ってnoteを開くと、言葉は勝手に出てくる。
誰かの話を書くわけじゃない。
母のこと。父のこと。
好きだった人たちのこと。夫のこと。
そして、その時々の私のこと。
書いているうちに気づく。
ああ、あの時の私は寂しかったんだなとか。
怒っていたんだなとか。
本当は傷ついていたんだなとか。
その時は分からなかった気持ちが、
何年も経ってからやっと言葉になる。
私はずっと、
気持ちに名前をつけるのが苦手だった。
だから恋愛でも迷った。
だから人間関係でも迷った。
何が嫌なのか。
何が欲しいのか。
自分でも分からなかった。
でも書いていると、少しずつ輪郭が見えてくる。
言葉にならなかった気持ちに、
あとから名前をつけてあげる。
見ないふりをしてきたものを、
ちゃんと見送る。
燃やさなければならない言葉を、
自分の手で燃やす。
そのために書いているのかもしれない。
まだ全部は終わっていない。
今でも名前のない感情は残っている。
急に苦しくなる日もあるし、
理由もなく昔を思い出す夜もある。
それでも書く。
少しずつ折り合いをつけながら。
少しずつ理解しながら。
できることなら、
これから先はもう少しだけ、
生きやすくなりたいと思う。
だから今日も、
布団の中でスマホを握っている。
私はずっと、恋愛をしていたつもりだった。
でも本当は、ずっと自分の前提を確かめていた。必要とされたい。
選ばれたい。理解されたい。
置いていかれたくない。
そういう、ずっと昔に作られた前提を抱えたまま、誰かを好きになっていた。
その前提は、母が作った。
母のOSは、母の母が作ったのかもしれない。私も彼も、誰かに作られたOSを抱えたまま生きてきた。
だから傷つき方も、愛し方も、
少しずつ歪んでいた。
欠陥同士が、並んでいる。
それでいいと、今は思う。
夫は今日も帰ってくる。「今から帰る」
という一言だけで、ちゃんと夜になる。
鶏ハムがある。洗濯機が止まった。
そろそろ布団から出ないといけない。
でももう少しだけ、ここにいる。
まだ慣れない幸せの中で、
まだ書いている。
暗闇を恋しがりながら、
日常の夫の帰りを待ちながら、
布団の中でスマホに向かっている。
名前のなかった気持ちに、
今日も言葉を与えながら。
全部、繋がっている。
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▶︎ この話は、
『OSの女|母に作られ、暗闇を愛し、日常を夫と呼ぶまで』
母との関係、恋愛、婚活、夫婦。
別々の話に見えるけれど、全部ひとつの場所に繋がっています。
⸻
▶︎ 目次
プロローグ|布団の中から始まった
第1章|OSの生成
第2章|間違った前提の恋愛
第3章|婚活という戦場
Interlude|触れていない
第4章|OSの書き換え
第5章|日常という、まだ慣れない場所
終章|まだ書いている
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※本作は創作大賞2026応募作品です。
母に作られたOSを、
私は少しずつ書き換えてきた。
ここまでの話は、こちらに置いています。
全てはここに戻ってくる。
▶︎ 全部、繋がっている。
▶︎ 夫の正体|喧嘩の夜、彼は脱衣所で洗濯物を畳んでいた。
