子どもたちの安全を守るために大人ができること
それはほんの一瞬の出来事だった。
「あっ!!」と思ったら、スピードを上げて走ってきた白いセダンが、私の横すれすれを通り過ぎ、手に持っていた絵の道具が飛ばされ、そのはずみで転んでしまった。
あれは、小学三年生の秋。朝の空気は少し冷たく、私は学校へ向かう道を一人で歩いていた。転んだけがは大したことはなかったし、絵の具道具も少々傷になった程度だった。
学校に行っても家に帰っても大人たちはみんな忙しそうでその事を言い出せなかった。
その通学路には歩道なんてなく、車道とほぼ一体化した細い道。すぐ横を車が何台もすれすれで走っていく。「こわいな…」そう思っても、通学路を通っていくと教えられていたから、そこを通るしかないと子ども心に思っていた。ただ、早くこの道を通り過ぎたくて、小走りになった。
誰も見ていなかった。誰も守ってくれなかった。
それから私は、なるべく友達と一緒に登校するようになった。ただでさえ狭い通学路を友達とでは歩きにくいけど、何人かで一緒に登校すれば、車も少しは気をつけてくれるかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
あの頃、私たちの通学路には黄色い旗なんてなかった。誰の目も、手も、届かないまま、子どもたちは毎日危険にさらされながら歩いていた。
時が流れ、私は母親になった。
我が子の入学式の翌日。
小さな小さな体で大きなランドセルを背負って通学路に立つその背中を見た瞬間、あのときの記憶が、胸の奥からじわっとあふれてきた。
「無事に帰ってきてね。」
口には出さなかったけれど、心の中では何度も祈っていた。
そんなある日、地域で「旗当番」をすることになった。黄色い横断旗を持ち、交差点で子どもたちを見守る役割。最初は正直、少し気が重かった。家族の朝ごはんやお弁当を用意して、子どもの持ち物の準備も手伝って、自分の身支度もして・・・忙しい朝に時間をつくるのは大変だったからだ。
だけど、初めて旗を持って横断歩道の前に立った日。「おはようございます!」一番最初に来た子が、まっすぐ私の目を見て言った。ふと胸の奥がじんわりと熱くなった。
次々にやってくる子どもたちが、手をあげ、足早に渡っていく。中には、わざわざ立ち止まって「ありがとう」と言ってくれる子もいた。
あの時の私が見てほしかった“大人の目”が、今、私自身の目になっている。「この子たちには、怖い思いをさせたくない」
そう思ったら、黄色い旗を持つ手に、自然と力がこもった。
だけど――。
大人が黄色い旗を持って立っている通学路が「安全」かと言えば、そうとも言いきれない。毎朝立っていると、本当にいろんな場面に出くわす。朝の忙しさに追われてスピードを出しすぎる車。渋滞でイライラしたのか信号が赤に変わりそうなのに突っ込んでくるドライバー。
そのたびに、心臓がギュッと縮まる。一歩間違えば、命を奪ってしまうかもしれない現実が、すぐ目の前にあるのだ。
傘をさしながらスマホを見て、ふらふらと走る高校生の自転車。雨の日には、勢いよく通りすぎる車が大きな水たまりをはねて、歩道の子どもたちに冷たいしぶきを浴びせることもある。子どもたちが一日の始まりに、びしょぬれになって登校する・・・そんな光景を見て気が重くなった。
学校や家庭で子どもたちに、交通ルールなど交通安全指導をするのは大切だ。でも子どもたちを守るのは、家庭や学校だけじゃない。
「旗があるから大丈夫」なんて、とても言えない。むしろ、「旗があってもまだ足りない」。
足りないのは「子どもへの温かいまなざし」だ。
そんな時代になっていると痛感する。
朝車を運転して通勤したり、駅へ自転車で急いでいる大人たち。
その時に子どもたちが登校していたら、細心の注意を払ってゆっくり運転してほしい。そんなゆとりが持てるように少し早めに家を出る習慣をつけてほしい。ほんの少しの注意とゆとりが、小さな命を守る力になる。
これからは自動運転など車の技術も進んでより安全性も高まるだろう。
自転車の罰則強化で危険な思いをすることも減るかもしれない。
でもどんなに技術が進んでも一番の安全はやっぱり「大人たちのまなざし」だと思う。
子どもたちを学校や家庭だけではなく、地域全体で見守っていく。
見守りをしている人だけではなく、地域の人みんなで見守るという意識に変えていく。
あの日、転んでも誰にも気づいてもらえなかった私。そんな私が黄色い旗を持ち、誰かの命を守るために立っている。
それはあのときの小さな私自身への、応援でもあった。
現在は子どもたちも卒業し黄色い旗をもって通学路に立つ「旗当番」をすることもなくなった。それでも通学路の子どもたちが気になっている。
今朝もまた子どもたちが登校時に声をかける。
「おはよう!」と。小さな背中に向かって、私の声が届きますように。
そして無事にただいまが聞けますように。

