人間とはゲームキャラのようなもの、ならばゲームプレイヤーは何者なのか【ゲームキャラとゲームプレイヤー:第2回】
前回のつづきです。
最初に、引き寄せの法則の使い方を振り返りながら、ゲームキャラとゲームプレイヤーの違いについて考えてみたい。
『お金を思考すれば』
『お金がやってくる』
という“粗雑な”説明では欠け落ちている重要な要素は、
①出来事が発生することと
②それに対して思考と感情が湧くこと
は、それぞれ別の事象であり
①発生してしまった出来事を変える(or無かったことにする)ことは不可能だが
②出来事に反応して発生した思考と感情は、事後的に少しずつ変えてゆくことができる
ということ。
引き寄せの法則を使いこなすためには、
最低でも、
①出来事が発生する
②それに対して思考と感情が湧く
このふたつを区別できることが絶対に必要であり。
言い換えれば、
①と②が完全に同化していて
『区別が付けられない』人には
引き寄せの法則は使えないし、
だからもちろん、
その人にとってそれは
『ウソ』か『ニセモノ』のままでしょう。
基本的なことを、
だからここで改めて述べるとすると、
①出来事が発生する、ことと
②それに対して思考と感情が湧く、ことを
はっきり区別して把握できるようにして、
そのうえで、
出来事そのものではなく
③出来事に対する思考と感情を、自分のなかで少しずつ変えてゆく
“極意”は、じつはこれだけです。
引き寄せの法則を教える高額セミナーとかもあって、そーゆーのにハマって多額の借金を背負わされてしまった人もいるわけだから、
引き寄せ界隈には、ニセモノの教えもたくさん転がっていてですね、だからこそ、奥義とか極意とか言われてもなかなか信じ難いかもしれない。
けれど、
ほんとうのほんとうは
『自分自身の思考と感情を』
『自分自身の手で少しずつ変えてゆく』
という、
たったのそれだけのことが
奥義であり極意であり、
イロハであり一丁目一番地であり、
最終地点なのです。
え?
わかりますか??
『引き寄せの法則』って
ほんとうにそれだけなんですよ??!?
『引き寄せの法則』とは
自分で自分の思考と感情を把握して、
その中身を少しずつ変えてゆくだけ!!!
ほんとうにそれだけ!!!
ほんとうのほんとうに、
ただのそれだけ💥💥💥💥💥💥
そういうわけなので。
引き寄せの法則こそ、
徹頭徹尾、
『自分ひとりで取り組むことができるもの』
なのであり、
だからまぁ、
有料(高額)の『引き寄せセミナー』というのは、どこからどぅみてもカンペキなニセモノです💥💥💥
『引き寄せ』は
徹頭徹尾、
『自分自身の内面に関すること』
だというのに
『外界(=現実世界)での有料セミナーに出かける』ことで、引き寄せの法則を使いこなせるようになる、は ず だ 、という見方じたいが完全にまちがいですからね!!!
そんなわけで、
引き寄せの法則に興味はあるが、
うまく使いこなせていない、
というあなた。
『起こった出来事ではなく』
『それに対する思考と感情』
を扱うのだ、ということだけでも
きょうは憶えて帰ってくださいね💕
それに、
あくまで『思考と感情』というのは
あなた自身の内面の問題なので、
基本的に『他人は一切関係ないのだ』
ということも、知っておいてください💖
この記事を読んでいる方のなかには、
法則を使いこなしている『上級者』も
かなり多く含まれているはずですが。
その人たちは、
たったのひとりの例外も無く、
『出来事ではなく』
『それに対する思考と感情』
を変えてゆくことで、
『理想どおりの現実を創造してきた』
のです。
そこに例外はありません。
♡♡
♡♡
さて。
ここまでの説明を読んできたなら、
『出来事そのもの』と
『それに対する思考と感情』を
はっきり区別すること
(=区別できるようになること)
が、とても大切なのだ、
ということは理解できますね?
そうして、
そんなニーズに応えて、
ゲームキャラとゲームプレイヤー、
という見方が誕生したわけです。
出来事を体験しているのは
『ゲームキャラ』の自分。
それに対して、
『何らかの思考と感情が湧いてきた』
ちょうどその場所が
“境界線”ですね。
『湧いてきた思考と感情を事後的に変えてゆくことで、その後のストーリーを変えてしまう』
ということができるのが
『ゲームプレイヤー』の自分。
もぅ少し付け加えると、
『ゲームキャラの自分』は、
身体、肉体としての自分だと考えると良いでしょう。
『肉体としての』自分が、
この世=三次元の現実を生きていると、
次々といろいろな出来事に遭遇し、
その都度、何らかの気分になる。
良い出来後に遭遇すれば、気分が良いし、
悪い出来事に遭遇したら、気分が悪い。
でね?
それじたいを“変える”ことは
じつは『できない』んですよ??
(※ココ重要)
『肉体としての自分』にとっては、
『ちっぽけな自分自身』と
『あまりにも広大なこの世』という
かなり無謀な対比が存在する世界に生きていて、
人間関係ひとつとってみても、
『自分はひとりきりだが』
『他人は数え切れないほど、文字どおり無限に存在している』
という世界に生きているわけですよ??
なのでね、
『根本的に言って』
ゲームキャラの自分は無力です。
この事実を、
はっきり理解して受け容れてください。
ゲームキャラとゲームプレイヤー、
という区分を使って
『引き寄せの法則を誤解している人達』
に説明するとですね、
『引き寄せの法則をマスターすれば』
『理想どおりの現実を自由に創造できる』
とは言っても、
それをするのは
あくまで
『ゲームプレイヤー』のほうであり、
『ゲームキャラ』は
そんなことは一切できない、
無力な存在だ、ということです。
いまの世の中では、
(文字どおりの「ゲーム」に関して)
ゲームのプレイを動画で配信するのが
ある種のブームになっている感じですけど。
ここでも、
文字どおりの意味で
ゲームキャラとゲームプレイヤーに分けて考えてみた場合、
プレイ内容がものすごく上手くて、たくさんの視聴者に絶賛されている人というのは、
当たり前ですが、
『ゲームプレイヤー』
なのですよね?
作品内で扱われている
『ゲームキャラ』というのは、
シロウトが操作しても、
トッププロが操作しても、
常に『同じ入力に対して同じ反応をする』というだけの、
ただの『動く人形』のような存在であり、
それにもかかわらず、
シロウトが操作するとすぐに失敗してゲームオーバーになるのに、上手い人の手にかかると、同じキャラとは思えないくらいに鮮やかな動きで、敵を倒し、ゲームをクリアしてしまう。
この『差』を見て、
視聴者は驚嘆し感動するわけです。
『ゲームキャラ』は
均一の、同一の、
単に“設計どおりの”存在であり
それを操る
『ゲームプレイヤー』の腕しだいで、
ゲーム内容に差が出てくるのです。
人間界も同じだと思ってください!
あなたが能力を発揮できるのは
『ゲームプレイヤーとして』なのであり
『ゲームキャラとして』ではありません。
『ゲームキャラ』は
与えられた現実にそのまま直面する以外にはどぅすることもできず、それに対して完全に無力です。
理想どおりの現実を創造して、それを体験できるようにしてあげられるのは、あくまで『ゲームプレイヤー』としてのあなたであり、理想の人生を創造する、ということに関して、そこが“腕の見せどころ”。
ですから、
正確に言うと、
①現実を創造する人、と
②創造された現実を実際に生きる人、とでは
じつは“別の存在”なのですね。
『ゲームプレイヤー』が
思考と感情を操作して
“新しい現実を創造”し、
『ゲームキャラ』が
実際にそれを生きる。
そのような“二重構造”が、
れっきとして存在しているのです。
『引き寄せの法則なんて知らない』
(あるいは信じる気にはなれない)
世の中の大多数の人々は、
ようするに
『ゲームキャラ』として生きていて、
すなわち
『ゲームプレイヤー』の視点が存在することなど知る術もない。
それに対して、
『引き寄せの法則』を理解して使いこなし始めた者は、
日ごろは
『ゲームキャラ』として生きているものの、
何らかの出来事に直面させられ、
あ!やべ!どぅしよう??
ってなったときに
『そうだ!思考と感情!!!』
って思い出して、
つまり
『出来事への対応策として』
思考と感情を扱うことを思い出し、
一時的に
『ゲームプレイヤーの視点』に戻ります。
そうして、
みごとに『望みどおりの現実を創造する』ことに成功したなら、ふたたびゲームキャラの視点に戻り、新たな現実を存分に堪能する。
人間として生まれてきたのは
人間の人生を堪能するためであり、
『ゲームキャラ』は
人間としての現実にどっぷり埋没している状態、
『ゲームプレイヤー』とは、
それを少し引いた目線から見ている“もうひとりの自分”のことですから、
『引き寄せの法則』を理解して使いこなせるようになったとしても、実生活の大部分を『ゲームキャラ』の状態で過ごすことは、
べつに間違ってはいません。
というよりも、
この世の現実に“臨場感を感じる”
(=この世は現実であると思える)
ためには、
ゲームキャラの視点でいることは、
むしろ絶対に必要なことだ、
とも言えます。
そういうわけなので、
引き寄せの法則を使いこなすためには
『ゲームプレイヤーの視点』は
ぜひとも必要であるものの、
だからといって
『ゲームキャラ』は劣っていて
『ゲームプレイヤー』は進化している、
という考え方をする必要は無いわけであり。
『引き寄せマスター』を名乗れるレベルに到達していても、ゲームキャラとしての自分をこよなく愛し、ゲームキャラとしての自分自身を存分に堪能しているのは、むしろ健全な、正しい生き方であると言えます。
そういうわけなので、
ゲームキャラとして生きていて、
必要なときにだけ、
ゲームプレイヤーの視点に戻る。
これが、
もっとも適切な
『引き寄せの法則の活かし方』
であると思います。
♡♡
♡♡
とまぁ。
こんなふうに、はっきりと“釘を刺した”うえでですね。
人としてあまり“標準的”ではないものの、
『ゲームキャラ視点』をどんどん薄くしていって、
最終的にゲームキャラ視点をゼロにしてしまって、
『ゲームプレイヤー』に完全になり切ってしまう、
という“生き方”も、
あるにはあるので。
『ゲームプレイヤー』の視点を、
どんどん濃くしてゆく方法と、
それをやった場合に、
じっさいに“どんな人間になるのか”
ということについて、
今回は、
ちょっと解説してみたいと思います。
繰り返しにはなりますが、
人間の人生、人間としての喜怒哀楽を体験しているのは『ゲームキャラ』のほうであり、
そんな『ゲームキャラ』としてのあなたの人生が、より良い方向に向かうようにと、部分的に『ゲームプレイヤーの視点』を取り入れる(=思考と感情を改善する)。
そんな生き方のほうが、
健全であり、
人生を楽しめることは、
わたしが保証します。
なので、
これは人生がつまらなくてつまらなくてどぅしようもない、あるいは生きているのが苦痛なのではやく死にたいけれど自殺はしたくない。そんな人向けの方法論です。
わたしはわたしなりに、自分自身の全力を尽くして実体験に基づく知識を披露しますが、これはあくまであなた自身の自己責任においてご利用ください。
♡♡
♡♡
♡♡
♡♡
では説明しますね。
肉体として生きている自分自身を
『ゲームキャラ』
思考と感情を扱う部分を
『ゲームプレイヤー』
というふうに、名付けてみました。
肉体として生きている自分自身=ゲームキャラは、この世の現実を生きている以上は、さまざまな出来事に遭遇させられるし、それを避けることはできない。
それに対して、
思考と感情を扱うほうの自分=ゲームプレイヤーは、出来事に遭遇したことで生じた思考と感情を『すこしずつ変えてゆく』ことで、その後(ゲームキャラの身の上に)起こる出来事を変えてゆける。
それが『引き寄せの法則』として説明されている“人生攻略”の根幹部分です。
でね?
『ゲームプレイヤー』は
思考と感情を扱うことができるわけですが。
『ゲームキャラ』にとっては
『出来事に遭遇すると否応なく、何らかの思考と感情が湧いてくる』
(※それを変えること、あるいは思考や感情が湧かないようにすることは、不可能である)
というのが“現実”です。
『ゲームキャラ』にとっては
出来事と思考感情はひとつのセットであり、
自分で切り離すことはできません!!!
それに対して、
『すこしずつでも』
思考と感情を“変えてゆく”力を持っているゲームプレイヤーというのは、
言い換えれば、
つまり、
『出来事とは関係なく』思考と感情を発生させる能力を持っている、ということになりますね??
これが、じつに重要な“鍵”です。
じっさいの出来事とは関係なく
『思考と感情を放つ』能力を持っているからこそ、
たとえば
『アファメーション』などの手法が存在しており。
『わたしはお金持ち』
『わたしはお金持ち』
『わたしはお金持ち』
『ありがとうございます』
『ありがとうございます』
『ありがとうございます』
と、唱えつづけることで、
じっさいにお金持ちになれる、は ず だ 、
という“攻略法”が存在するわけですよね?
この方法論について、
わたしは成果をかなり疑問視していますが、
それでも、
『思考と感情を放つことで』
『それが現実になる』
という意味では、間違ってはいません。
でね?
ここで考えてみてほしいのですが、
『お金持ち』は、
この世に存在しています。
いまのあなたは貧乏で、
でもできればお金持ちになりたくて
だからこそ
『わたしはお金持ち』
『ありがとうございます』
と、唱えたりもするのかもしれませんが。
そうだとしても、
この世にすでにお金持ちは存在しており、
あるいは、あなた自身も、将来お金持ちになる可能性が実際にある。
でね?
『思考と感情を扱うことができる』
ゲームプレイヤーのほんとうのすごさはですね、
『出来事とは関係なく思考と感情を発生させることができる』
というときの、
『出来事』とは何か、
(どこからどこまでが出来事なのか)
ということの
“制限”がまったく無い、
ということなのです。
すなわち、
それが自分自身の身の上に起こった出来事なのか、それとも、だれか他人の出来事なのか、はたまたニュースで報道された異国の出来事なのか、ということは一切問われていなくてですね。
すなわち、
この世でいまだ起こったことがなく、
これからも出来事として起こる可能性がまったくないようなことについても、
本人(プレイヤー)がそれを思いつくことができさえすれば、
『思考する』
ことができます。
あるいは、
この世の現実に対する反応としてでは
絶対に発生するはずのない
“純度の高い”感情を、
出来事とは関係なく
発生させてしまうこともできます。
思考と感情が創造する、のでしたね?
『ゲームプレイヤー』が
思考と感情を変えることで
『ゲームキャラ』を取り巻く
“現実”も変わる。
でもね?
ゲームプレイヤーが扱うことのできる
『思考と感情』というのは、
ゲームキャラの身の上に反映する、
『この世の現実に関すること』だけに
制限されているわけではないのです。
ですから、、、
『この世のものとは思えない』ことを考え
『この世の現実とは無関係な』感情を発し
それをずっとずっと繰り返していても
それは
『この世の現実』のキャパシティを
大幅に超えているので
それが『この世の現実』つまり
『ゲームキャラを取り巻く現実』として
反映(=現実化)されることはありません。
つまりね、
あたしは日ごろから、
『この世のものとは思えない』思考を放ち
『この世には反映できない』感情を放つので
その部分に関しては
『思考と感情がこの世の現実になる』
ということができなくて、
どこか“別の場所”に
“留保”されることになるわけです。
それをずっとずっと繰り返していると────────??!?
思考と感情が溜め込まれている
“別の場所”にこそ、
わたし(ゲームプレイヤー)は
住んでいる感じになってきて──────、
つまり、
ゲームプレイヤーとしてのわたしは
『ゲームキャラのゲーム進行』とは
まったく関係のないことを考え、
まったく関係のない感情を放っていたら、
いわば
『ゲーム画面を見ている時間が』
『大幅に減ってしまった』
その結果として、
ゲームプレイヤーのわたしは、
ゲーム画面(とその向こうにいるゲームキャラの自分)のほかにも、いろいろなものを認識できるようになった、ということです。
♡♡
♡♡
これは比喩表現ということにはなりますが。
この世の現実を生きている自分は
『ゲームキャラ』。
それを外から見守っていて、
必要に応じて思考と感情に手を加えるのが
『ゲームプレイヤー』。
しかるに、
ゲームキャラが発した思考と感情を修正する以外にも、ゲームプレイヤー自身が望めば、自由に思考と感情を生成させることができ、
しかもそれは、この世の現実=ゲーム内容とはまったく関係のないことであっても、まったく問題はない。
『ゲームプレイヤー』のわたしは
『ゲーム画面』に集中するのをやめて、
『ゲーム』とは無関係なことを
ずっとずっと考えていた。
(※それに伴う感情も放った)
するとね、
『この世の現実』はゲーム世界で、
ゲームは『画面のなかで行われている』
とするでしょう??
ゲーム画面が置いてある“この部屋”は
どこにあるのですか??
そうして、そこには、
わたしのほかに誰がいますか??
その人たちと、
ゲームにおいて“共闘”することは
もちろん可能ですが、
ゲームとはまったく無関係な会話を
愉しむこともできるのではないですか??
ゲーム画面が置いてあるこの部屋で
『ゲーム画面を覗き込んでいる』のは
そもそも誰なのでしょう??
『ゲームキャラ』の自分(=肉体)を
外から見守る、
『ゲームプレイヤー』の自分(=思考感情)は
ゲームキャラの上位存在であり。
それは、
いわゆるひとつの
守護天使とかハイヤーセルフとかって
まさしくこの位置にいるこの存在のことなのではないでしょうか??
ガイドとか指導霊とかって
だれにでもかならず付いているという
話ではなかったですか??
ゲームキャラ兼ゲームプレイヤーだったときには分からなかった視点。
ゲームプレイヤーになり切ってしまって、
なおかつ
ゲーム画面から目を離して
『ゲーム画面が置いてあるこの部屋にいる別の住人』とも交流できるようになり、
それでも、
ゲームキャラを見守る、
という役割は決して放棄しない。
その状態にずっといると、
自分とはゲームプレイヤーである、
という見方が定着します。
つまり、
肉体=ゲームキャラとしての自分を
自分自身であるとは思えなくなってきて、
しかし、
この子を保護するのは
あたしの仕事ですからね!
そんなわけで、いまのあたしは、
ゲーム世界=この世の現実には存在しておらず、その代わりに、
『この世というゲームを映し出しているゲーム画面、が、置いてある場所』にいます。
そうして、
『ゲーム画面を覗き込んでいる』のは
肉体=ゲームキャラにとっての
直属のハイヤーセルフと言ってもいい
『ゲームプレイヤー』のあたしだけではなく、
じつは、
守護天使やらガイドやら指導霊やら
ほんとうにほんとうにたくさんの存在が
このゲーム画面をとおして
ゲーム世界(にいるあなた)を
見守っているのです。
おどろきましたか??
生きることに絶望して
とにかくこの世から立ち去りたくて
『ゲームキャラ』であることをやめて
『ゲームプレイヤー』になり切ってしまったあたしは、
ようするに天界にいて、
ようするに守護天使として
『この子』
(=この世にいる肉体のあたし)
をきょうも見守っているのです。
だから、
あたし自身には(=ゲームプレイヤー)
死は無いから死を恐れるのは不可能だし、
生老病死ぜんぶが無いから、
この世の現実に対してリアリティを感じるのはもはや不可能なのだけれど。
『この子』(=ゲームキャラ)にとっては、死も病気も現実であるので、この子が病気になると、あたし(=ゲームプレイヤー)は、激しく怒ります。この子の身の上に理不尽な死がやってこないようにするのも、あたしの仕事のひとつです。
そういうわけなので。
ゲームキャラとしての自分を完全にやめてしまって、
ゲームプレイヤーとしての自分になり切ってしまうと、
いったいどぅなるのか??
答えは、
天界に移転して守護天使になる、
なのでした💖💖💖
それに、
この子(=ゲームキャラ)の視点から見たら、
この文章ぜんぶが、
『高次元存在(=ゲームプレイヤー)によるチャネリング(自動書記)』
ということに、
なりますね💕💕💕💕💕
(※次回:ゲームプレイヤーから見たゲームキャラ、すなわち守護天使のあたしにとっての肉体人間のこの子、というテーマでもぅ1話書いてシリーズ完結とします)
【つづく】
🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤
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お金あげるの大好きー✨✨✨
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