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時間差読書会|J.D.サリンジャー 村上春樹 訳『ライ麦畑でつかまえて』



あらすじ

主人公「僕」は成績不振で寄宿学校を退学になってしまう。そのことを親にも妹にも言えず、帰宅するまでの数日間を一人でふらふら過ごすことになる。

ボケたおばあちゃんからもらった金を握りしめ、ダンスホールへ行き、バーへ行き、ホテルを転々とする。ちょっと背伸びした“不良少年の一人旅”みたいな話


※ここからネタバレ含みます。

「何も起きない」文学

まじで何も起きない。

少年は劇的に成長しないし、何か大きな決断をするわけでもない。
時間にしてたった数日間を、延々と独白調で語っていく。

続きが気になるタイプの小説ではない。
かなり「雰囲気文学」寄り。

でも、この退廃的で所在ない空気に浸るのが心地いい人には、たぶんかなり刺さる。

冒頭からしてこれである。

こうして話を始めるとなると、君はまず最初に、僕がどこで生まれたかとか、どんなみっともない子ども時代を送ったかとか、僕が生まれる前に両親が何をしていたかとか、その手のデイッヴィッド・カッパフィールド的なしょうもないあれこれを知りたがるかもしれない。でもはっきり言ってね、その手の話をする気になれないんだよ。そんなこと話したところであくびが出るばっかりだし、それにだいたい僕がもしそういう家庭の内情みたいなのをちらっとでも持ち出したら、うちの両親はきっとそろって二度ずつ脳溢血を起こしちゃうと思う。

これが延々と続く。

「いや別に話したくないんだけどさ」と言いながら、ずっと喋る。


① 演劇みたいな口語体

一方で、文章は異様にスルスル読めてしまう。
これは 訳の力も大きいのだろうか。

「僕」が「君」に向かって話しかける形式なので、読んでいるというより、一人芝居を見ている感覚に近い。

「やれやれ」とか、「まいっちまうな」みたいな口癖も相まって、妙に耳に残る。

しかも「僕」は、何でもないフリをし続ける。

「こういう言い方は意地悪く聞こえるかもしれない。でも僕はべつに意地悪で言っているんじゃないんだ」(p14)

とか、

「けっこう田舎くさいかぶり方だ。それは自分でもわかっていた。でもそういうのって嫌いじゃないんだ」(p54)

みたいな、“先回りして自己弁護する言い回し”がやたら多い。

一人で喋って、一人でツッコミして、一人で予防線を張る。

自虐的な様は太宰とか安吾みたいな自意識過剰な饒舌体の気配も感じる。

実は村上春樹が日本文学に精通していたという論もあるので、影響があるのだろうか?


② ポストモダニズム的な「漂流」

さっき「何も起きない」と書いたけれど、冷静に考えると、実はかなり重大なことは起きている。

兄の死。
退学。
家族との断絶。

でも、何も劇的には描かれない。

なぜか。

たぶん「僕」自身が、それを重要なこととして整理できていないからだと思う。

ただ街を漂流して、喋って、疲れて、また移動する。

この“中心のなさ”や“アイデンティティの曖昧さ”は、かなりポストモダニズム的。

哲学者 は、現代社会を「大きな物語(grand narrative)が信じられなくなった時代」と説明した。


つまり、

  • 人は進歩する

  • 理性は正しい

  • 社会はよくなる

  • 確固たる“自分”が存在する

みたいな価値観が崩れてしまった時代。

『ライ麦畑でつかまえて』の「僕」も、まさにその宙吊り感の中を漂っている。

何者にもなれない。
でも、子どもでもいられない。

この空気感は村上春樹にも通じるというか確実に影響していると思う。

「ああ、原点ってこれか……」という感じ。


③ 「何でもないフリ」の裏側

そしてさらに、「何でもないフリ」をしている「僕」だが、言外(「僕」が自覚できていない部分)に感情がにじみ出ているのではないかと思う。

特に妹フィービーや、恩師の存在。すべてがどうでもいい態度をとりながら、繰り返し言及されている。

「僕」はうまく愛情を表現できない。
でも、譲れないものだけは言外ににじみ出ている。

だから、このはちゃめちゃ悪ガキ少年をなんとなくにくめない。

太宰しかり、あの延々続く饒舌って、実は「本当に傷ついている部分」を隠すためなんじゃないかとも思った。


④ 英米文学らしいユーモア

あと個人的には、「僕」の皮肉っぽさやユーモアがかなり好きだった。

人生を通り過ぎていくだけの脇役たちも妙に印象に残る。

英米文学特有の、

  • ちょっと気の利いた皮肉

  • 会話のテンポ

  • キャラクターの変な癖

みたいなものがすごく楽しい。

mimosa的お気に入りは、語尾に「あーむ」をつけるスペンサー先生。

なんなんだあのクセは。


みなさんに聞きたい

他に似た文体の作家いますか?

他に似たような印象とか文体の作家とかいますか?mimosa的には「①演劇みたいな口語体」で書いた通り、太宰とか安吾を思い浮かべました。思い当たる人がいたら、ぜひコメントで教えてくれると嬉しいです。

文体はサリンジャー? 村上春樹?

文体がすごく特徴的だと思うのだけど、これがサリンジャー特有か、村上春樹のものかわからない。
調べると、サリンジャー原文も結構口語的で、反復表現が多く、かなりくどい文体らしいのだが。英語は得意じゃなく…。


次におすすめの本

  • 村上春樹『風の歌を聴け』
    村上春樹デビュー作。空気感似てる。

  • 太宰治『人間失格』
    自意識と自己嫌悪の文学。

あとがき

ここまで読んでいただきありがとうございました。

『ライ麦畑でつかまえて』、かなり好き嫌い分かれる作品だと思うのですが、mimosaはこの「何でもないフリをしながら延々しゃべる感じ」に妙に引っ張られてしまいました。

記事でも作品でも、感想いただけるととても嬉しいです。
あとから昔の記事を見返すことが結構あるので、コメント欄が時間差読書会みたいになったらいいな~と思っています。

「ここ好きだった」「ここ苦手だった」「この作家っぽい」みたいなのあれば、ぜひ気軽に教えてください。

村上春樹についての記事はこちら

「時間差読書会」を開催しています。


さらに余談

いろいろ書いたけど、巻末にすべて持ってかれる。
何をしたんだ村上春樹…


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