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止まった時計【風まかせ文芸部 / ほどける】

五月の連休の初日だった。持たされていたスマホに母から連絡が入った。自宅に電話があったらしい。その日、会う約束をしていた吉村くんは、都合が悪くなったそうだ。

まあ、遊べないのは仕方ない。ただ、今日借りる話になっていたファンタジー小説が借りられなくなってしまった。長編のシリーズで、新作が出るたびに吉村くんが貸してくれるので、僕はすっかり彼と一緒になって、続編を待ちわびるようになった。

今日借りて、休み中に繰り返し読もうと楽しみにしていたのに。

電車に乗る前でよかったが、僕の家は、最寄駅から少し遠い。

ちらっと駅前の街頭時計を見上げる。時計は、見当違いの時間を差していた。

そういえば、ここの時計は、数年前からずっと止まったままだ。そばには古い寄贈プレートが寂しげに置かれていた。

ずっと不思議だった。平日は朝の利用者が多く、いつも混みあうこの最寄り駅。この駅には、快速も準急も止まらず、普通だけが止まる。

たくさんの人が利用しているのだから、もっと便利な駅に作りかえた方がいいんじゃないか。時計も動いていた方が便利だし、電車の本数も多い方がいいに決まっているのに。

帰る道すがら、駐輪場代をケチって歩かなければよかった、と思った。陽の光は明るく差しており、汗ばむほど暖かい。道沿いの桜は、もう花を落として、やわらかい緑の葉を広げていた。

* * *

僕は家で、吉村くんのことをぼやいていた。それほどまでに、あのファンタジー小説は面白いのだ。

「守れない約束なら、最初からしなければいいのに。」

そう言うと、お母さんがそっぽを向きながら言った。

「吉村くんにも事情があるんでしょ。」

納得はできなかった。事情なんて、知ったことじゃないと思った。約束は約束だ。守るためにあるんだから。

「あんたそれより、宿題やったの。」

連休の宿題は、小説を読んでから、一気にやろうと思っていた。でも、先に言われると、やる気がなくなってしまう。その日は結局、なにもすることがなくて、だらだらと時間をつぶした。

* * *

出ていたのは、「町のことを調べる」という課題だった。図書館で借りてきた薄い資料には、このあたりの昔の様子が載っている。

やる気が起きなかった僕は、寝床で横になったまま資料を広げていた。

江戸のころ、この土地はまだ人の住める場所ではなかったらしい。水はけが悪く、作物も育ちにくい。そこで、用水路を引き、米作りができるように整備をした。まさにあの駅のあたりは、その大開発の現場のひとつだったようだ。

「米作りの拠点として、人が住める土地にすることを目的に開発された。」

文字を眺めても頭に入らず、書かれた文字をそのまま口に出して読んだ。気持ちは入っていなかった。

僕は、遅れて頭に入ってきたその情報に、少しだけ首をかしげた。

たしかに人は住んでいる。そう言われると、少し歩いたところに田んぼもぽつぽつとある。出身の県だけを聞けば都会だと思われるだろうが、市内はにぎやかだとは言いがたい。駅前だって、どこか中途半端で、シャッターも閉まっていて。特別なものは、何もない。

もっと便利にすればいいのに、とまた思った。

もっと大勢の人がいて、移動にも不便がなくて、盛り上がった町になっていることを、昔の人も望んでいたんじゃないんだろうか。

あの駅は、まさにあの止まった時計みたいに……どこか、途中で止まってしまっているんじゃないか。

そう思っていた。

* * *

翌日の夕方、家のポストに小さな荷物が入っていた。差出人は、吉村くんだった。茶色い紙に包まれていて、簡単に紐で結ばれている。

部屋に戻って、机の上に置いた。少しだけ迷ってから、その紐に指をかける。

軽く引くと、結び目はするりとほどけた。きつく結ばれていたわけではなかったらしい。

中から出てきたのは、あのファンタジー小説の新作だった。あっと声が出そうになって、あわててその本を丁寧に、両手で持ち直した。

一緒に挟まれていた小さなメモに、遅れて気づく。

「ごめん。一昨日は行けなかった。でも、これ。約束してたやつ。」

その下に、もう一行だけ、引用された一節が書いてあった。

「誓いは、ほどけても終わりじゃない」

意味が分からず眉をひそめたが、少しして思い出した。この小説の、前のシリーズで登場したセリフだったと思う。小説の中の世界観が頭をよぎって、ちょっと変な感じがした。

会えなかった日のことも、思い出した。僕は彼に、約束を破られたと感じていた。守るべきものが守られなくて、裏切られたと思った。

でも、本はちゃんとここにある。僕はしばらく、その本を手に持ったまま考えていた。

* * *

僕は、部屋に広げたままの資料の一文を、もう一度読み返した。

「人が住める土地にすることを目的に──。」

ここは、にぎやかじゃないだけで、誰もいないわけじゃない。朝になれば駅には人が集まって、電車に乗っていく。帰りにはまた戻ってくる。

僕も、そのひとりだ。

ふと、さっきの結び目のことを思い出した。簡単にほどけてしまったけれど、中身はちゃんと届いていた。

約束も、あんなふうに。守られたとか、破られたとか、そういうことじゃなくて。結ばれたかたちのままじゃなくても、続いていくことがあるのかもしれない。

駅であの日、思ったこと。止まったまま、進んでいかないような感覚。

でも、この町は止まっていない。少しだけ、不便で、物足りない部分もあるけれど、それでも人はここに住んでいる。江戸から数えてみると、もう三百年以上も。最初に願われたことは、もうとっくにかたちを変えて、残っているのかもしれない。

窓の外を見ると、夕方の光の中で、住宅街の屋根が静かに並んでいた。

ふと、駅前のあの時計のことを思い出した。

止まったままの、あの時計を。



※以下の企画に参加させていただきました。


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財布野紐ゆるみ 書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。