人の血を飲み人肉を食し、人の皮を剥ぐ悪魔崇拝者の行いは「スキタイ人」と同じだった!
今回は、カザフスタンから考えていきたいと思います。

カザフスタン共和国(カザフスタンきょうわこく、Kazakhstan、カザフ語: Қазақстан Республикасы, Qazaqstan Respublikasy, قازاقستان رەسپۋبلىيكاسى [4], ロシア語: Республика Казахстан)、通称カザフスタンは、中央アジアに位置する共和制国家。西と北でロシア連邦、東で中華人民共和国(中国)、南でキルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンと国境を接する国家で、南西は世界最大の湖カスピ海に面している。首都はアスタナで、1997年に国内最大の都市アルマトイから遷都した[5]。アスタナはかつて初代大統領のヌルスルタン・ナザルバエフにちなんで2019年に「ヌルスルタン」へ改称されたが、2022年に元の名称に戻され現在に至っている[6]。
カザフスタンは、ロシアや中国、キルギスやウズベキスタンと隣接する、中央アジアの国です。
以前の記事で、カザフステップの古代遊牧民であるイッセドネス人が、ユダヤ教エッセネ派と繋がっているのではないか、と書きました。
「エッセネ派」から導かれる「蘇我氏」がユダヤ人であったという軌跡。
そのイッセドネス人が、現在の「カザフスタン」の国にあたる地域に居住していたというのです。
イッセドネス人、アリマスポイ人
古代ギリシアのヘロドトスやアリステアス(英語版)らによる歴史書では、伝承ではあるものの、カザフ草原にイッセドネス人やアリマスポイ(英語版)人(一眼族)といった諸族がいたことを記録している。イッセドネス人は故人の肉を食す民族であり、アリマスポイ人は一つ目の民族であるという。アリマスポイ人は絶えず近隣の民族を攻撃しており、そのため西隣のイッセドネス人は西へ移動し、その西にいたスキュタイ人は西へ移動し、さらに西(南ロシア草原)にいたキンメリア人を追い出すこととなった[12]。
スキュタイ、マッサゲタイ
ヘロドトスの著書『歴史』によれば、元々はアジアの遊牧民であったスキュタイがマッサゲタイに追われてアラクセス河を渡河し、当時のキンメリア地方(現在の南ウクライナ)に移ったという。
下の地図を見ると、現在のカザフスタンの国の領域と、7世紀から10世紀に存在した「ハザール」の国の領域とが、重なっていることが分かります。

支配者層はテュルク系民族と推測されており、支配者層が9世紀頃にユダヤ教に改宗したことは有名である[1]。交易活動を通じて繁栄した。
このハザールの国では、支配者層が9世紀頃に「ユダヤ教」に改宗し「ユダヤ人」となったことで有名です。
そして、現在のカザフスタンのアスタナという都市が「イルミナティの首都」とされているというのです。参考:アスタナ:カザフスタンのイルミナティの首都
このことから、「カザフスタン」が「イルミナティの故郷」と深い繋がりがあるのだろうと感じました。
そこで、このハザール可汗(カガン)国の母体となった民族の一つである「サヴァール」が、紀元前3千年頃にシュメール人の北、ザグロス地方に住んでいた「スビル族」の一部である、ということに注目しました。
アゼルバイジャンの言語学者ガザンファル・カジモフは、
紀元後にフン族と共にアルバニアに戻った(ハザール可汗国の母体となった民族の一つ)サヴァールsavarların
が
BC3千年紀にシュメール人の 北、ザグロス地方に住んでいたスビル族の一部であることは疑いようがなく、
フン族は 3000 年前にシュメル人の近くにいたスビル族と同じルーツに由来という。
メソポタミア北部の、スバルトゥまたは「スバル」と呼ばれた地域が下記になります。

紀元前3千年頃にシュメール人の北、ザグロス地方に住んでいた「スビル族」とは「スバル人」のことだと思われます。
この「スバル人」とは「フルリ人」であるということです。
紀元前2000年頃のアッカドの粘土板に書かれたスバルトゥに関する記載のなかでフルリ huluri の字義についてはセム語のなかに huluri に音声の近似した pillurtu という「交差」を表す用語があり、シュメル語「十字」のアッカド語読みと考えると、フルリ人がスバル人であることが納得できる。
「フルリ人」の原住地とは、カフカス(コーカサス)山脈の南麓地方であり、聖書に書かれている「アダムとエバ」のいた「エデンの園」の候補地である、トルコ東部の「ワン湖」の周辺であることは、注目に値します。
フルリ人
西南アジアのカフカス山脈の南麓(なんろく)地方を原住地とする山岳民族。紀元前3000年ごろから原住地を離れ、北メソポタミアに移動を始めた。前18世紀ごろになると、インド・ヨーロッパ語族をその支配者とする王国を各地に建設した。アナトリア地方に侵入した一派はヒッタイト帝国、ユーフラテス川中流域ではミタンニ王国、バビロニアにはカッシート王朝が建てられ、各国の王名や神名からもインド・ヨーロッパ語族の影響がわかる。前17世紀ごろ下エジプトのデルタ地帯を支配したヒクソスとよばれる異民族の侵入も、フルリ人の大移動と深い関係があると考えられている。しかし、フルリ人だけの王国は建設されなかった。
[吉村作治]
「エデンの園」の候補地である、トルコ東部の「ヴァン湖(ワン湖)」の写真です。

チグリス,ユーフラテス両河は現在,メソポタミア平野の北の山地に源を発しています。意見の相異はありますが,それでも多数の学者はその地域,つまりトルコ東部のワン湖の数キロ南の地をエデンの園のあった場所としています。
私がなぜ、この「フルリ人=スバル人」に注目するのかと言うと、「スバル人」の末裔が現在の「ゼバリ族」として存在していると考えられ、「謎のシュメール人」と言われてきた人々の軌跡が、現在まで繋がってくるからなのです。
クルド人部族の一つである「ゼバリ」族が現在もこの地域に居住しています。イラクの元外務大臣、ホシヤル・ゼバリ氏族もこの一族の一員です。[ 5 ]
上記によると、「ゼバリ族」とはクルド人部族の一つであるとのことで、「クルド人」の祖とは「スバル人」である可能性も考えられます。

紀元前3千年頃にシュメール人の北、ザグロス地方に住んでいたスビル族、「サヴィル(スバル)」と呼ばれる民族の流れが、以下に書かれています。
Savirs(サヴィル)、Suvars(セイバーズ、スヴァール)と呼ばれる民族は2~6世紀にカスピ海沿岸にいた遊牧民で、サヴィル人の一部はダゲスタンに居住し、「アルメニアのヘロドトス」と呼ばれるモブセス・ホレナツィ(410~490)は、彼らをカスピ海のフン族と呼んでいる。
557年にアヴァールの攻撃を受け、一部はアヴァール人と混ざりながらトランスコーカサスに移住し、アゼルバイジャン人の祖先の一つとなった。
※558年に西進を開始してローマ人に認識されるようになり、568年にはハンガリー平原を制圧し突如として大帝国を築いたアヴァールは、考古学的にも支配層が北東アジア由来である蓋然性が高まっている。
最初にアヴァール=柔然説を唱えたのはフランスの東洋史学者ジョセフ・ド・ギー二ュ(1721~1800、彼はフン=匈奴説の提唱者であり、漢字はエジプトのヒエログリフ起源と唱えた)。
アヴァール=柔然(鳥丸)
フン=匈奴
クマン、カイ(オスマン王家の出身部族)=庫莫奚=韃靼
といった(チンギスハンのみならず)東洋の遊牧民が度々、西洋に侵略したとする説は、遺伝的にアヴァール支配層の東アジア由来が確認された事実に伴い(欧州の歴史学界において)近年急速に支持が高まってきた。
突厥の攻撃による柔然可汗国の崩壊は555年。
アヴァールの侵入を受けたサヴィル人の一部は北に撤退して突厥の支配を受け入れた者もいた。
7世紀には大半のサヴィル人はブルガール、ハザールに吸収され同化していくが、
ダゲスタンに残ったサヴィル人はフン族の王国 (サヴィル)を立て、
ハザール可汗国の影響下にありながらも10世紀まで独立を保ったという。
ビザンツ皇帝コンスタンティヌス7世は“De administrando Imperio “『帝国の統治について』で、
Tourkoi (マジャールのビザンチン呼称) は、以前はSabartoi asphaloi (「信頼できるセイバー」) として知られていたと述べている。
ハンガリーの言語学者ヤノス・ハルマッタは、szabarsはサカ、スキタイ出身だとしている。
また、
サウロマタイSauromataをサヴィルSzabars と関連付け、その隣人であるMateroiをマジャル人と関連する部族とする説もあるが、
サヴィル人の一部がマジャル人(ハンガリー人)になったと考える研究者も多い。
マジャル七部族と
カヴァール(ハザールの分家)三部族によってハンガリーは建国され、
アルパード家はアッティラの子孫であり、阿史那氏と姻戚関係を結んでいたという。
また、現代のロシアのチュバシ族の名は、suvarに由来するとされ、サヴィル人の末裔とされる。
ハンガリーの言語学者ジュラ・メネスはSäbir/Sabïr/Sabar/Säβir/Sävir/Savar/Sävär/Sawār/Säwēr のトルコ語の語源を語根 * sap- 「道に迷う」
=遊牧民だという。
アラブのヘロトドスと呼ばれる歴史家アル・マスディ(896~956)は、
ペルシア語のハザール
テュルク語のサヴィール
は同源だとする。
また、サヴィールSavirsから
シベリアSiberiaの名前が発生した可能性を指摘する研究者もいる。
🤔
スビル、サビル、サウロマタイの名でコーカサス、黒海、ハザール海、草原に現れた民族は共通した集団であり、
現代も中東から東欧にかけて、その後裔が存在する。
19世紀以降、
シュメル、アッシリア、セイバー(サヴィル)、スキタイ、フン(=匈奴)の後裔として
ウラル・アルタイ語を話す遊牧民トゥーラーンの結集が提唱され、
第一次世界大戦、第二次世界大戦をハンガリー、ブルガリアはトゥーラニズムを掲げて戦い二度も敗戦国となった。
上記より「サヴィル人=スバル人」の流れを大まかにまとめると、
シュメール , アッシリア→サヴィル(スバル人)→サウロマタイ , サカ・スキタイ→フン族→ハザール人→<現代>→ロシアのチュバシ族
となります。
さらに、ハザールの国と重なる現在のカザフスタンの地に、「イッセドネス」が住んでいたこと、スバル人が現代のクルド人部族の「ゼバリ族」に繋がっていることを加えてみると、
シュメール , アッシリア→サヴィル(スバル人)→イッセドネス , サウロマタイ , サカ・スキタイ→フン族→ハザール人→ <現代>→クルド人部族のゼバリ族 , ロシアのチュバシ族
となります。
さらに、「スバル人」が古代日本へ渡来し、日本の古代氏族へと繋がっていることが書かれた図が、以下になります。

そして「スバル人」に起源を発する流れが、ウラル・アルタイ語を話す遊牧民トゥーラーンの「トゥーラニズム(ツラニズム)」の考えに繋がっているというのです。
ツラニズム(英語: Turanism), 汎ツラニズム(英: pan-Turanism)、汎ツラン主義とは、中央アジアを起源とするとされる様々な民族の民族的・文化的統一性を主張する動きである。
現在はウラル・アルタイ語族仮説は受け入れられていないが、1920年代-1930年代には、ツラン協会のトルコ支部、ハンガリー支部、日本支部、朝鮮支部を生み出すきっかけとなった[7]。
日本におけるツラン運動
中心的活動家として今岡十一郎[9][13]、角岡知良[16]、野副重遠[23]、北川鹿蔵[24]らがいた。今岡はハンガリーの民俗学者バラートシ・バログ・ベネデク(ハンガリー語版)がアイヌ研究に来日した際に通訳を務め、1920年代にバラートシが再来日した際にツラニズムの日本普及に協力するよう求められた[26]。
「ツラニズム」とは、中央アジアを起源とする「様々な民族の民族的・文化的統一性を主張する動き」であるとのことで、これはイルミナティの目指す「世界統一政府」に繋がる考えであることが分かります。
スバル人の流れで重要な位置を占めている「スキタイ」の版図が以下になります。

このスキタイとは、聖書に書かれている「ノア」の息子「ヤペテ(ヤフェト)」であるとされています。
そして騎馬遊牧民であった「スキタイ」の一派は、黒海から地中海へ抜けて「海のスキタイ」となり、「島ケルト」となったというのです。
スキタイ族の祖は箱舟のノアの息子ヤペテとされます。スキタイ王であったフェニウス・ファルサイドはバベルの塔を建てた72人の王の一人で、孫のゴイーデルグラスを、ゲール語を作った人物としています。つまり、ゲール人の祖はフェニウス・ファルサイドということです。ゴイーデルはエジプトファラオの王女コスタを母に持ちエジプトに住んでいましたが、モーセによる出エジプトの時に同時にエジプトを出てスキティアに帰り定住したということです。その後彼の子孫は440年間地球上を放浪します。
紀元前800年ごろスキタイの覇権争いに勝利したミル一派は、黒海から地中海へ抜けて海路イベリア半島のヒスパニアを征服します。ミル一派は、イベリアケルトの土地から川を使って錫、金、銅をタルッソス港に運び、地中海を駆け巡っていたフェニキア人との貿易で大変繁栄したといいます。聖書にもタルシシの名で登場しますが、フェニキア人はその場所を秘密にしていたようです。
海のスキタイ族であるミル族はその後、アイルランドに入り、そこを治めていたダーナ族を破って島のケルト人となり今に至ります。なので、海のスキタイ族を今後は島ケルト人とします。彼らは当時最大級の商船であるタルシシ船を操り、良い貿易相手であったフェニキア人と協働して世界航海に出ていきます。ソロモンのタルシシ船は、おそらくはタルッソスの船を、フェニキア人を介して購入したのだろうと考えられます。
「海のスキタイ」が「島ケルト」であるならば、「陸のスキタイ」とは「陸ケルト」となり、つまり「スキタイ=ケルト」だということになります。
歴史の中で、「ケルト」のことが今までよく分からなったのですが、「スキタイ」が「ケルト」となったと考えると、理解しやすくなります。
この「スキタイ」の習俗の中で特筆すべきこととは、「人間の血」を飲み、「人間の皮」を剥いで衣服にしたり、矢筒にしたりしたということです。
スキタイは最初に倒した敵の血を飲む。また、戦闘で殺した敵兵の首はことごとく王のもとへ持っていき、[41]その数に応じて褒美がもらえる。首は頭蓋骨から皮をきれいに剥ぎ取って手巾とし、馬勒にかけて勲章とする。またある者は敵兵の皮をつなぎ合わせて衣服にしたり、矢筒にしたりする。頭蓋骨は最も憎い敵に限り、髑髏杯として用いる。年に一度、戦争で手柄のあった者はその地区の長官から一杯から二杯の酒がもらえる。逆に手柄のないものは酒がもらえず、恥辱をしのんで離れた席に座る。 [42]
この「スキタイ人」が、「人間の皮」で矢筒を作っていたことは、2023年の論文で証明されています。参考→古代の騎馬民族スキタイ人、人の皮で矢筒を作っていた、初の証拠
ある家の父親が死亡すると、親戚縁者が次々と家畜を携えて集まり、これを屠って肉を刻み、さらにこれと一緒に死亡した父親の肉も刻んで混ぜ合わせ、料理にして宴会を催す。
スキタイと同種族と考えられるイッセドネス人は、人肉を食していたということです。
このおぞましい「人間の血を飲み、人肉を食す」行為や、「人間の皮を剥ぐ」という「スキタイ人の習俗」が、現代の悪魔崇拝者たちの行いとそっくりなのです。
以下は、「RAPT理論+α」による掲載記事です。
【ヒラリー・クリントン】悪魔崇拝儀式を行い、少女の顔の皮を生きたまま剥ぎ、松果体を食べ、腸を取り出して首輪にしたとの証言がXで拡散 ヒラリーの犯罪を調査した人物40人以上が死亡したとの情報も
人肉を食べすぎてクールー病を発症したドイツ・メルケル首相、今年9月の引退を控えて最後の訪英
これまでに、古代からの悪魔崇拝や、悪魔崇拝の儀式についても「RAPT理論」によって詳しく解明されてきました。
古代ケルトのドルメンも日本の神社も同じドルイド教の生け贄儀式の祭儀場でした。
マヤ・アステカ・インカ文明で行われた残酷な生贄儀式が、すべて日本に起源があるという明確な証拠。
ハロウィンももともと悪魔崇拝者たちの行う生贄儀式でした。ハロウィンとバアルと秦氏と大正天皇との奇妙なつながり。
こちらが悪魔崇拝の行われてきたカーナボン城、バルモラル城、マリー・レーヌ・デュ・モンド大聖堂です。
軽井沢の「ビル・ゲイツの別荘」は悪魔崇拝のための宗教施設である可能性大。
今回は、現代の悪魔崇拝儀式による行いが、「スキタイ人の習俗」とそっくりであることと、現代のイルミナティたちが「スバル人」の末裔である可能性と、スキタイの起源が「シュメール」や「スバル」にあることが見えてきました。
古代から連綿と悪魔崇拝が行われてきたこと、そして今この時代に「エプスタイン文書」が公開されることによって、現代の悪魔崇拝者たちの悪事が次々と暴かれ、「悪魔」や「悪魔崇拝者」の存在が「真実」であることが世界中に知らしめられることとなっているのです。
以下は、「RAPT理論+α」による掲載記事です。
エプスタイン島での少女売春及び人身売買に関与した日本人のリスト流出 明仁上皇の名も
【秋篠宮文仁親王】エプスタイン文書に名前が記載されていることが判明 プチエンジェル事件の余波から、エプスタイン事件への関与を疑う声が高まる
【悪魔崇拝の闇】ジェフリー・エプスタインが、ダライ・ラマやローマ教皇と親交を持っていたことが判明
トランプ大統領が少女に性的虐待した証拠資料、エプスタインファイルから削除されていることが判明「ホワイトハウスによる隠蔽行為の中でも最も重大な犯罪だ」
【英チャールズ国王】エプスタイン島に招待され、悪魔崇拝儀式のために未成年を『生贄』にしていた疑いが浮上 コンピュータセキュリティ企業『マカフィ』創業者が撮影したドローン映像で発覚
【エプスタイン文書】ウクライナ大統領『ゼレンスキー』がエプスタインと共謀し、若い女性の人身売買を行なっていたことを示すメールが見付かる
【ビル・ゲイツ】インドで開催中の『AIサミット』の基調講演を予定の数時間前に辞退したことが判明 エプスタイン問題の影響を疑われるも、ゲイツ財団は「サミットの主要議題に焦点が当たるようにするため」と説明
【ユニセフ】エプスタインとその仲間による児童性的虐待や拷問を黙認していたとして提訴されていたことが判明 アフリカ各国政府やアメリカ政府にも訴状
【ダボス会議】ジェフリー・エプスタインの人脈作りの舞台になっていたことが判明 エプスタインは『ダボスのコンシェルジュ』と自称
悪魔崇拝組織『ボヘミアンクラブ』の極秘名簿が流出、メンバー2202名の氏名を閲覧・検索できる状態になっていることが判明 エプスタイン文書にもその名前が掲載
どうか、この「エプスタイン文書」をきっかけに世界中の人々が、「悪魔」や「悪魔崇拝」について正しく理解することができますように、そして「悪魔」が存在するのであれば「神様」も真に存在していらっしゃるのだということ、そして全人類が、「神様」の「人類への深い愛」を真に悟ることができますように、心からお祈りしています。
永遠に朽ち果てない神様の愛に心の拠り所を置きなさい。そうしてこそ、あなたの心も人生も安定し、幸福を実感して生きられる。
神様の導きを素直に受け入れて、神様の導き通りに生きてこそ、私たちは祝福の尽きない満たされた人生を生きられる。
神様と愛を成してこそ、人は完全に心満たされて生きられる。しかし、神様と愛を成さなければ、何をやっても心満たされず、永遠に愛を求めて彷徨う人生を生きなければならない。
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