「エッセネ派」から導かれる「蘇我氏」がユダヤ人であったという軌跡。
今回は、ユダヤ教の一派であったとされる「エッセネ派」から考えていきたいと思います。
エッセネ派(ヘブライ語: האיסיים、古希: Ἐσσαῖος/-οι, Ἐσσηνος/-οί、羅: Esseni、英語: Essene(s))は、紀元前2世紀から紀元1世紀にかけて存在したユダヤ教の一グループの呼称。現代では複数の関連のある集団がまとめてエッセネ派という名で言及されていたと考えられている。呼称の語源は不詳。ファリサイ派から発生したと考えられるが、俗世間から離れて自分たちだけの集団を作ることにより自らの宗教的清浄さを徹底しようとした点で、民衆の中で活動したファリサイ派とも一線を画している。
「エッセネ」という名称とそっくりなのが、「イッセドネス」と呼ばれた、中央アジアのカザフステップに居住していた遊牧民です。
イッセドネス人(イッセドネスじん、古代ギリシア語: Εσσηδονες)は、古代ギリシャ時代にもっとも東に住む民族とされた遊牧民。その居住地は中央アジアのカザフステップだと思われる。エッセドネス族とも表記される[1]。

イッセドネス人は「エッセドネス族」とも表記され、ユダヤ教の一派である「エッセネ派」の名称とそっくりであるため、両者には深い繋がりがあるのではないかと考えられるのです。
イッセドネス
アシイとは、ヘロドトスの言うイッセドネスのことであるという説である。
余太山(中国語版)は、アシイをイリ川とチュイ川の間に居住し、後にバクトリアとソグディアナを征服した4部族の支配者と考えている。 また、彼は「イッセドン・スキュティア(Issedon Scythia)」と「イッセドン・セリカ(Issedon Serica)」がイッセドネスと同源であるとし[5]、イッセドネスは遅くとも紀元前7世紀の終わり頃までには、イリ川とチュイ川の間へ移動したと考えている[6][7]。
このイッセドネスとは、スキタイに分類される「アシイ」という遊牧民でもあったようです。
アシイ(Asii)、あるいは、アシアニ(Asiani)、アシオイ(Asioi、ギリシャ語: Ασιοι)とは、古代の遊牧民。ローマ人、ギリシャ人によって、約紀元前140年頃のグレコ・バクトリア王国崩壊を招いたと記録される。しばしば、スキタイに分類される。
エッセネ派の活動時期とは、紀元前2世紀から紀元1世紀であり、スキタイの活動時期は紀元前8世紀から前3世紀ごろとされています。
紀元前8世紀から前3世紀ごろ、カフカス地方の北側、黒海北岸からカスピ海北岸のヴォルガ川までの草原地帯で活動した騎馬遊牧民で、スキタイ文化と言われる高度な金属文化をもっていた。
エッセネ派とイッセドネス人とが繋がっているとすると、時系列的にイッセドネス人が、ユダヤ教のエッセネ派となった可能性が考えられます。
イッセドネス人の移動を地理的に見ると、現在のキルギス共和国の辺りからイスラエル周辺までとなり、彼らがかなりの距離を移動した可能性があることが分かります。
さらにこのアシイ(イッセドネス人)とは、「月氏(げっし)」でもあるというのです。
アシイ(Asii)とは、パイサニ(Paisani)、ガイサニ(Gaisani)に同定される。そして、これらは即ち月氏(Yuezhi)のことである。— ヨーゼフ・マルクワルト(ポーランド語版、ペルシア語版、トルコ語版)[10]
アシイとは、パイサニ、ガイサニと同定されるとのことで、パイサニとはユダヤ教の一派であるパリサイ派の「パリサイ」と音韻が酷似しています。
パリサイ(ファリサイ)派から「エッセネ派」が派生したとも考えられているため、アシイが月氏であることは、真正性が高いと思われます。
月氏は、匈奴に敗れたのち中央アジアに移動し大月氏と呼ばれるようになったということです。
月氏(げっし、拼音:Yuèzhī)は、紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて東アジア・中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。紀元前2世紀に匈奴に敗れてからは中央アジアに移動し、大月氏(だいげっし)と呼ばれるようになる[1]。大月氏時代は東西交易で栄えた。
大月氏のいた場所は、ソグディアナにあったということから、この民族はソグド人でもあったと考えられます。
大月氏のいた場所は、『史記』や『漢書』に「大月氏国の都は嬀水の北に在り、その川の南にある大夏を役属させていた」という記述があることから、嬀水すなわちアム川の北(ソグディアナ)に在ったことが分かる。また、その周辺国として北に康居、東に大宛、南に大夏、西に安息(パルティア)があった。
ここまでで分かったことを簡単にまとめておくと、イッセドネス=アシイ(スキタイ)=月氏→大月氏→ソグド人となります。
イスラエルのカルメル山には、エッセネ派の神殿が存在していたとされています。この神殿は、夜明けの太陽がきれいに差し込む位置にあったというのです。

カルメル山は、聖ミカエル・レイライン上に位置しています。
聖ミカエル・レイラインは、アイルランドのスケリッグ・マイケル修道院からイギリスのセント・マイケルズ・マウント、フランスのモン・サン=ミシェル、さらにイタリアのサン・ミケーレ、ギリシャのシミ島、そしてイスラエルのカルメル山を結ぶ直線とされます。

聖ミカエルラインはアポロンラインとも呼ばれており、アポロンとは「光明神」の性格を持つことから、前5世紀には時としてヘリオスと混同されて太陽神とされた、ということです。
アポローンは主神ゼウスとレートーとの息子で狩猟の女神アルテミスの双子の兄弟。オリュンポス十二神に名を連ねる。古くから牧畜と予言の神、また、竪琴を手に執る音楽と詩歌文芸の神であった。光明神の性格を持つことから前5世紀には時としてヘーリオスと混同されて太陽神とされ、ローマ時代にはすっかり太陽神と化した[9]。
カルメル山には、ステラ・マリス修道院が建てられており、ステラ・マリスとは聖母マリアの古来の呼び名です。
海の星の聖母(うみのほしのせいぼ、ラテン語:Stella Maris)あるいはステラ・マリスの聖母は、聖母マリア、イエス・キリストの母マリアの古来の呼び名である。
ステラ・マリス修道院、カルメル修道会が設立した修道院は13世紀の初期にイスラエルのカルメル山に建てられている。この修道院は何度も、破壊されたが、修道院の指導者たちが再建したものである。
ステラ・マリスの聖母は、海の星の聖母とも呼ばれており、海の星とは「北極星」とも呼ばれているということです。
マリス・ステラ "海の星" とはこぐま座アルファ星 又は北極星、その他様々な名前で呼ばれている。
北極星から思い起こされるのが妙見信仰であり、北極星もしくは北斗七星を神格化したのが「妙見菩薩」であるとされています。
妙見菩薩(みょうけんぼさつ、旧仮名遣:めうけんぼさつ)は、北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部の一つ。尊星王(そんしょうおう)、妙見尊星王(みょうけんそんしょうおう)、北辰菩薩(ほくしんぼさつ)などとも呼ばれる[3]。
このように、北極星と北斗七星はワンセットで語られることが多く、北極星はこぐま座、北斗七星は「おおぐま座」を構成する星々となっています。
おおぐま座で有名なのが、ギリシャ神話に登場する美しいカリストーの物語です。
カリストーは、ゼウスとの関係から悲劇的な運命を辿り、おおぐま座にされてしまいました。
カリストーあるいはカッリストー(古希: Καλλιστώ, Kallistō)は、ギリシア神話に登場するニュンペーである。日本語では長母音を省略しカリスト、カッリストとも呼ぶ。イタリア語ではカッリスト (Callisto) 。「最も美しい」の意で、この名前は女神アルテミスの添名でもあったことから[1]、アルテミス自身の分身的な性格を持っていたと考えられる[2]。
このカリストーとは、女神「アルテミス」の分身的な性格を持っていたとされています。
アルテミスとは「月の神」として有名であり、北極星の名前でも呼ばれるステラ・マリス(海の星の聖母)修道院は、「太陽の神」として有名なアポロンという名のレイライン上に建てられています。
つまり、カルメル山とは「月」と「太陽」とが一体となる場所であると考えられ、この概念はメソポタミア神話の「メー」に起源がある可能性があります。

「メー」という円環は、太陽と月が一つになった「金星神=光明神」のシンボルであるということです。
「金星」とは明けの明星と呼ばれており、「ルシファー」とは明けの明星を指すラテン語であるため、金星神とはルシファー(悪魔・サタン)であるとも言うことができます。
ルシファー(羅: Lucifer)は、キリスト教神学における悪魔・堕天使の名で、「光を掲げる者」という意味がある。キリスト教、特に西方教会(カトリック教会やプロテスタント)において、堕天使の長であるサタンの別名であり[1]、魔王サタンの堕落前の天使としての呼称である[2]。
一般名詞としては、明けの明星を指すラテン語であり、形容詞では「光をもたらす」。
カルメル山は、旧約聖書に登場するエリヤとバアル(悪魔)の預言者が対決し、エリヤが勝利を収めた地であり、当時から悪魔崇拝の聖地であった可能性が考えられます。
ストラボンの『地理誌』によると、サカ(スキタイ)の中にアシイ(イッセドネス)がいたとのことです。
ストラボン『地理誌』によると、サカと呼ばれる遊牧民のうち、特に有名なのがヤクサルテス川(シル川)のかなたからやって来てギリシア人からバクトリアを奪ったアシイ、パシアニ、トカリ、サカラウリであると記す。
さらに、サカ族は蘇我氏に繋がっているとされています。
カシート王朝から月氏王国、クシャン朝からサカ族~蘇我王朝につながる人々は交易においても重要な役割を担いました。
蘇我氏のルーツサカ族は、アケメネス朝ペルシアがパルティア帝国によって滅ぼされた後、ペルシアの一部を引き継ぎ、イラン高原東部からバクトリア、ソクディアナおよび西北インドにかけてサカスタン王国を建てました。
そして、アシイとは烏孫(うそん)でもあるということです。
これは、烏孫(Wusun)の起源を西方の記録に求める手掛かりを示している。「烏孫」の発音「*o-sən」「*uo-suən」は、ポンペイウス・トログス(紀元前1世紀)が報告するスキタイ部族、アシアニ(Asiani)から転化したと考えるに遠くない。— ジェームズ・パトリック・マロリー(英語版)、ヴィクター・メア 『The Tarim Mummies』[11]
ここまでで分かったことは、サカ・スキタイ=イッセドネス=アシイ=月氏(大月氏)=烏孫→蘇我氏です。
ロシアのチュルク系民族「チュヴァシ人」の起源は、ベルベル人である可能性が考えられており、ベルベル人とスキタイ人が同化し、後のハザール王国周辺地域に移住し、騎馬民族サウロマタイとなったということです。
ロシアの歴史家の一部は、チュヴァシ人の起源を北アフリカの広大な地域に、少なくとも旧石器時代から定住し続けているベルベル人に求めているようです。
彼ら自身は「アマズィーク」を自称していますが、これは「高貴な民族」という意味のようです。また、かつては女性上位の社会を築いていたとする説もあるようです。
そしてギリシャとの戦いに敗れ、北アフリカを追われたアマズィークの一部が、黒海を渡って北岸の地サルマチアに定住するようになります。このサルマチアのアマズィークの情報がギリシャに誇大に伝わったのがアマゾネス伝説だったのかも知れません。やがて彼らは現地のスキタイ人と同化し、ドン川からヴォルガ川周辺の地に移住して騎馬民族サウロマタイとなりました。
サウロマタイでは女性が男性と同じように馬に乗って敵と戦い、女戦士は男を一人殺さないかぎり結婚を許されなかったと伝わります。また、発掘された古墳から女性の社会的地位が高かった事が確認されています。
上記で注目すべき点は、スキタイ人+ベルベル人(アマズィーク)=サウロマタイであるという点です。
下記には、スキタイ人+イッセドネス人=アラン人だと書かれているのです。
後二世紀になると、地中海世界をローマ帝国、中東をパルティア王国・サーサーン朝ペルシア帝国、中央アジアをクシャーナ朝、モンゴルを鮮卑、中国を後漢・三国、と、それぞれの地域世界を大帝国が安定して支配するようになる。逆に言うと、これまでの諸部族は、これらのいずれかに吸収された、ということであり、また、大帝国と大帝国が接するところでは激しい紛争がつねに続いていた、ということでもある。
これらの大帝国の外に残されていたのが、ユーラシアハイウェイの北側。西から、黒海北岸のアラン人(スキティア人+イッセドネス人)と、カザフステップ東半の康居人(印欧語族旧マッサゲティア人)天山山脈北側西部の烏孫人(復興イッセドネス人)。これらは、半農外牧で、夏営地と冬営地を往復移動する、いわゆる遊牧民的な生活を営み、落ち着いていた。
アラン人とは、サルマタイを構成する部族の一つだとされています。
アラン人(アラン族、Alans)は、紀元後に北カフカスから黒海北岸地方を支配した遊牧騎馬民族。イラン系遊牧民族であるサルマタイを構成する部族のひとつ、ないしいくつかの総称[1]。
アラン人とはサルマタイでるため、スキタイ人+イッセドネス人=サルマタイと書き換えることができます。
サウロマタイとは、サルマタイの祖先ですから、
● スキタイ人+イッセドネス人=サウロマタイ
● スキタイ人+ベルベル人=サウロマタイ
という式が出来上がり、「イッセドネス人=ベルベル人」である可能性が見えてきました。
ベルベル人の一部には、フェニキア人の子孫がいると言われています。
・「ユダヤ教の北アフリカへの拡大が成功を博したこと、また生命力もあふれていたことは、明らかにフェニキア起源の住民がこの地一帯に定着していたことが出発点」※ユダヤ人が追放されて流れたのではなく、フェニキア人が移住して現地にユダヤ教を布教→「沿岸地帯に数多く居住していたポエニ人、つまりアフリカのフェニキア人は、一体どこに消えてしまったのだろうか。」→ユダヤ教に改宗(してユダヤ人を名乗っただけ、消えていない)。
◎ポエニ人=改宗ユダヤ人の証左
・言語の親近性
・ポエニ人の一部は割礼を受けている
・ポエニ人:元々フェニキア(レバノン)出身、反ローマ→親ユダヤ
・セウェルス朝が北アフリカ出身でユダヤ人に好意的
・「おそらくイブン・シルドゥーンは、北アフリカの古くからの住民であるベルベル人の少なくとも一部は、古代のフェニキア人の子孫であるか、またはシリア地方からやってきた別なカナン系住民で、ユダヤ教改宗者の子孫である、と主張しているのだ(別のところで彼は、ベルベル人の一部のヒムヤル起源説も報告している)。」
上記のように「フェニキア人」はユダヤ教に改宗し、北アフリカでユダヤ教を布教し、ベルベル人の一部となったという説があるのです。
となると、イッセドネス人=ベルベル人とは、「イッセドネス人=フェニキア人」だったとも考えられます。
フェニキア(古代ギリシャ語: Φοινίκη、Phoiníkē、ポイニーケー、羅: Phoenices、Poeni、ポエニ、英: Phoenicia)は、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。
カルメル山は、フェニキア人の土地の範囲の南端にあることから、カルメル山にフェニキア人が居住していたことは間違いありません。
フェニキア人は「ユダヤ教」に改宗していた、と言われていることから、カルメル山にいたフェニキア人とは「ユダヤ人」だったとも言えます。
カルメル山にいたエッセネ派の始祖とは、ユダヤ教に改宗したフェニキア人であった可能性が高いのではないでしょうか。
ここまでで、イッセドネス人=ベルベル人=フェニキア人=ユダヤ人であることが導かれ、「イッセドネス人」と「エッセネ派」とは「ユダヤ人」というキーワードで繋がると考えられるのです。
このことと先に分かった、サカ・スキタイ=イッセドネス=アシイ=月氏(大月氏)=烏孫→蘇我氏という流れとを組み合わせてみます。
サカ・スキタイ=イッセドネス=ベルベル人=フェニキア人→ユダヤ人(エッセネ派)=アシイ=月氏=烏孫→蘇我氏
このように蘇我氏の祖とは、ユダヤ人(エッセネ派)である可能性が見えてきました。
日ユ同祖論的観点では、ユダヤ人の移動は西から東への流れと考えられますが、イッセドネス人は中央アジアからイスラエルへと移動したのではないか、と考えられるのです。
紀元前に東から西のイスラエルへと移動し、紀元後にまた東へ東へと移動を続けたユダヤ人の足跡には、深い意味を感じずにはいられません。
どうかこの世界から、すべての悪と非真理が完全に取り除かれ、滅び去りますように、全人類が真理を悟り、神様のもとに立ち返り、義に立ち返り、神様から豊かに祝福を受けることができますように、心からお祈りしています。
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