クックパッドは「名もなき料理」の赦しの場
私がいつもそのご慧眼にひれ伏している、料理人・文筆家イナダシュンスケ氏のポストをぜひご紹介したい。クックパッドは「名も無き家庭料理生成サポートシステム」であると指摘するものだ。
実態が見えにくい家庭料理のリアルを少しでも知りたく、ついにクックパッドの有料会員になったんですが、「人気レシピ」上位に自分の全く知らない世界が広がっていて、改めて自分は何もわかっていなかったのだと頭をぶん殴られる気持ちです。
— イナダシュンスケ (@inadashunsuke) April 18, 2026
特に印象的だったのは「サラダ」。人気上位には、僕がサラダと思っている料理や、外食でサラダとして提供されているような料理はほとんどなくて、例えば「キャベツとカニカマときゅうりとワカメを麺つゆとマヨネーズで和えたやつ」みたいな、名も無き和え物的な料理がズラリと並んでいるのです。
— イナダシュンスケ (@inadashunsuke) April 18, 2026
どこでも見たことがないけど、強いていうならば「昔のアールエフワン」っぽいと言えなくもない感じ?
— イナダシュンスケ (@inadashunsuke) April 18, 2026
こういう文化がどう生まれてどう発展したかはわからないけど、「ポトフ」なんかと同じで純粋な家庭料理として育ってきたんだろうなあと思うと、なんとも感慨深いものがあります。
僕は子どもの頃、食卓に頻繁に上がる(そして当時の料理本にも頻繁に登場する)レタスきゅうりトマトにヴィネグレットがかかったようなサラダが苦手だったんですが、当時の僕でもこういう「カニカママヨネーズ和え」的なサラダなら喜んで食べただろうなあ、と。そういう方向の進化なんでしょうねえ。
— イナダシュンスケ (@inadashunsuke) April 18, 2026
イナダシュンスケ氏のクックパッド論は下のページにまとめられているので、詳しくはこちらを見ていただきたい。
「信頼度の高い無料レシピは他にいくらでもある。」私もそう思ってクックパッドから離れた1人だった。氏の立場によれば、そこに囚われてはクックパッドの真価を見誤る。
クックパッドは「名も無き家庭料理」の膨大なデータベースであると氏は指摘する。サラダであれば、サラダと呼んでいいのかどうかも微妙な、名も無き料理が怒涛のように検索結果に現れてくる。そして、そこにあるのは、料理歴が浅い人々への「赦し」だという。「サラダにちくわともやしを入れてもええんやで。」「マヨネーズさえ入れときゃサラダなんやで。」
そうであった。冷蔵庫の在庫をどう処分するか、今あるものでどう家族の食事をまかなうか。料理を趣味ではなく家事ととらえた瞬間、おいしさばかりを追求してはいられなくなる。私は趣味としてバズレシピの完コピを楽しんでいるが、最終の目標は、自分の祖母や母のような、家事スキルとしての料理スキルを身につけることだ。「あるものだけでこんな料理ができる。」「レタスとちくわで立派な一品にできる。」膨大な“おばあちゃんの知恵袋”のようなビッグデータを誇るクックパッドは、生成AI前の世界において、私が勝手にイメージするその「おばあちゃんスキル」取得を手助けする、唯一の手段だったのかもしれない。
(なお、バズレシピアプリにも食材検索機能はあるが、当然のことながらデータ量は桁違いだ。)
イナダシュンスケ氏のmondの文章から、特に印象的だった段落を引用させていただく。
例えば白ごはんドットコムは、奇跡的なまでに優れたサイトだと思いますが、赦しを与える機能はあまりありません。わかりやすく合理的でありつつ海原先生も納得のレシピばかりですが、子どもが野菜をバクバク食べてくれるなら手段を選ばない、腹が決まった人々が求めるものが見つかるとは限りません。なぜならそこにあるのは「名前のある料理」だからです。
「赦しを与える機能」だなんてさすがの言い回しだ。確かに、海原雄山は子どもウケ良くないだろうなあと、想像してクスリとしてしまう。きちんとした料理の体を取ろうとしたがために、却って子どもが食べてくれなくなったことなんて、山ほど経験がある。
イナダシュンスケ氏は、リュウジのバズレシピをどう位置づけるのだろうか。
言うまでもなく、最近のバズレシピの強みは「まかない画角」の動画だ。リュウジ氏の、生活感のある即興料理が見られるこのシリーズは、「名も無き料理」を求める層に視聴者の裾野を広げたのではないかと想像する。リュウジ氏はいつも、一つ一つの選択の意味をちゃんと語ってくれる。それは「赦し」でもあるが、私たちに実践力を授けるための「理論」でもある。その言葉を咀嚼し、自分のものにしていきたいなと思う。
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