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衆院定数45削減で「居眠り議員」が反比例的に増殖する‼️『身を切る改革』が招く「緩やかな独裁」への道筋

「政治家も身を切れ」
「無駄をなくせ」
 選挙のたびに繰り返されるこの勇ましいスローガン。
 最近、自民党や維新の会が主張している「衆議院議員の定数削減(45議席減)」は、一見すると私たちの税金を節約し、政治家の怠慢を正す「正義の改革」のように聞こえてしまいます。
 しかし、その耳触りの良い言葉の裏側には、日本の民主主義を根底から腐らせ、取り返しのつかない「特権階級支配」へと導く恐ろしい罠が仕掛けられています。
 今回は、この「定数削減」がもたらす致命的な副作用と、30年かけてゆっくりと進行している日本の「静かなる全体主義化」について、警鐘を鳴らしたいと思います。

1. 「居眠り議員」は減らない、むしろ増殖するパラドックス

 よく「議員を減らせば、緊張感が生まれて居眠り議員がいなくなる」と言われます。
 しかし、これは全くの幻想です。
 定数を減らして選挙がより厳しくなった時、生き残るのは誰でしょうか?
「政策通の優秀な新人」ではありません。
「地盤(組織)・看板(知名度)・カバン(資金)」を持つ、既得権益どっぷりの世襲議員や組織内議員です。
 定数が減れば減るほど新規参入のハードルは上がり、強固な後援会組織を持つベテラン議員の優位性は揺るぎないものになります。
 結果、議席にしがみつく力だけが強い「古参の居眠り議員」だけが当選し続け、本来国会に必要な「多様な専門性を持つ国民・市民の代表者」が排除されることになります。
 定数削減は、「質の悪い議員」を淘汰するのではなく、「真の意味で国民・市民の側に立つ議員」を淘汰する装置として機能するのです。

2. 「比例復活ゾンビ」批判の大きな間違い

 メディアや一部の政党は、小選挙区で負けて比例で復活当選した議員を「ゾンビ」と呼んで揶揄することがあります。
 しかし、この認識は日本国憲法の精神から見ると完全に間違っています。
 小選挙区制は「勝者総取り」のシステムです。
 例えばA候補が10万票、B候補が9万9千票を取った場合、たった1千票の差でB候補に投じられた10万人近くの民意は「ゼロ(死票)」として扱われます。
 この膨大な死票を救済し、国民の多様な声を国会に届けるのが比例代表制の役割です。
 比例区の当選者数を減らすということは、「勝てば官軍、負ければゴミ」という乱暴な論理を肯定し、大量の有権者の声を切り捨てる行為です。
 それは「国民の代表」としての国会の機能を著しく低下させる行為に他なりません。

3. 「カネと世襲」による特権階級化の加速

 定数削減、特に比例定数の削減が進めばどうなるか。
選挙は小選挙区中心となり、そこでは「カネの力」と「家系の力」がすべてを支配します。
 今の日本を見てください。主要なポストについているのは二世、三世議員ばかりではないでしょうか?
 定数を減らすことで、議席はさらに「希少な特権」となり、一般市民が政治家になる道は閉ざされます。
 国会議員は国民の代表ではなく、「政治家という家業を継ぐ特権階級」へと変質します。
 これはもはや民主主義ではありません。形式上は選挙があっても、選ばれるのは特定の一族や既得権益層のみ。
 この構造がゆっくりとしかし確実にこの国で進んだ、その先の何十年か後にあるのは、
「憲法がありながらその上に特定の政党が存在し国を支配する中国」や、
「憲法が存在しながらその上の存在として特定家系の世襲制独裁者王朝が存在し国を支配する北朝鮮」
と何ら変わらないであろう、実質的な独裁体制です。

4. 30年かけた「茹でガエル」作戦と消費税の教訓

 私が最も恐れているのは、こうした変化がクーデターのように一夜にして起こるのではなく、30年以上の時間をかけてゆっくりと行われていることです。
 これは消費税の歴史と酷似しています。
 導入当時は「わずか3%」と小さく始まりましたが、長い時間をかけて徐々に引き上げられ、今や国民生活の活力を奪う巨大な足かせとなりました。
 その間、法人税は減税され、大企業と富裕層が優遇される構造へと徐々にしかし確実にすり替えられました。

「定数削減」も同じです。
 まずは「身を切る…」という小さな入り口から始まり、気づかないうちに選挙制度が変にイジられ、数十年後には「一般国民の声など全く届かない、まるで中国を通り越して北朝鮮になったかのような特権階級による支配システム」が、この日本で完成している。
 敵は即効性を狙わず、何十年もかけてじっくりと国のかたちを変質させて行きます。
 表向きは民主主義国家の看板を掲げながら、中身は空洞化していく。この「緩やかな死」こそが、最も警戒すべきシナリオなのです。

5. 小選挙区議員より比例議員の方が「格上」である理由

 最後に、ひとつの視点を提示しておきます。
「小選挙区で勝った議員が偉く、比例復活議員は格下」という風潮が作られていますが、本来、実質的には全く『逆』なのです。
 小選挙区議員は、往々にして地域の利益誘導や、一部の強力な支援団体のために働きます。
 一方で、比例代表で選ばれた議員は、政党への支持、つまり「政策や理念に対する、全国や一定の広い地域の有権者の支持」を背景に当選しています。
 特定の地元の有力者や業界団体の顔色をうかがうローカルな小選挙区の国会議員よりも、広く国民や地域全体の支持分布を反映して選ばれた比例代表の国会議員の方が、民主主義の観点からはより純粋な「国民の代表」であると言い切ることさえできるのです。

「身を切る改革」というポピュリズムに騙されてはいけません。
 議席を減らすことは、私たちの「声」を減らすこと。のみならず、この国の主権者として存在しているあなた、そして私、この国の多くの仲間。
 それらみんなの一人々々の存在価値を下げ、強い立場の者たちに魂を差し出す事に直結するのです。
 その数十年先に待っているのは、この国がこの国でありながらあたかも北朝鮮や中国であるかのような国民不在の独裁的な未来です。
 私たちは今、目先の「お得感」で民主主義の根幹を売り渡してしまうのか、それとも目先のコストをかけてでも多様な声を反映させるこの自由と民主主義を守り育てそして長期的に見ればこの方が大変効率的となる未来という結果を目指すのか、その岐路に立っているのです。