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【日本の常識は世界の非常識?】私たちが無意識に受け入れている「おかしな当たり前」第3回(最終回):社会制度・人権・報道編(夫婦同姓、有罪率、記者クラブ)

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最終回となる第3回は、これまでの日常生活、働き方を離れ、私たちの社会の「根幹」に潜む「無意識の思い込み」について、いくつかの具体的な事例と補足事実を基に問題提起をしてみたいと思います。

第1章:夫婦同姓の強制と国際社会の勧告

最終回となる今回、まず私たちが向き合うべきは、家族の形を縛る古い制度です。日本では、結婚する際、夫婦のどちらかが必ず相手の姓に変更しなければならないという「夫婦同姓」の強制が、法律で定められています。これは、世界的に見れば極めて異例なシステムです。

  • 夫婦同姓

    • 日本:夫婦が同じ姓を名乗ることを法律で強制している。

    • 世界:夫婦別姓、あるいは選択的夫婦別姓が主流であり、個人の姓名を尊重するのが当然。

この「夫婦同姓」が日本の「当たり前」とされる背景には、明治憲法下における「家制度」を重視した概念が今の時代においてもまるで亡霊のように色濃く残っている現状があります。しかし、個人の尊厳と両性の本質的平等を基本原則とする現憲法下において、少なくとも夫婦同姓を法律で「強制」するのは、その現憲法の趣旨に合わず、今の世においては間違っていると言わざるを得ません。

さらに(これは決して国際比較ではなく私独自の意見ではありますが)、苗字そのものを「戸籍や住民票から廃止」することさえも視野に入れ、個人を特定する新たなシステムを検討すべきではないかと私自身は考えています。

【補足】 日本は「国連の女性差別撤撤廃委員会」から過去何度も、夫婦同姓を強制する法律を改正するよう勧告されているという事実があります。いかに日本が世界基準から外れているかが、この勧告からも伝わります。

第2章:99.9%の有罪率と「人質司法」の批判

次に私たちが目を向けるべきは、国家権力と個人の自由が最も鋭く対立する「司法」の場です。
日本の刑事裁判における有罪率は「99.9%」と言われています。

  • 有罪率

    • 日本:起訴された事件のほぼすべてが有罪となる。

    • 世界:日本の99.9%という有罪率は、世界から見れば驚異的で極めて異例。
      司法制度が機能していない、あるいは不当な圧力がかかっていると、国際的にはそう見なされる可能性が極めて大きい。

この99.9%という数字は、実は単に裁判所が検察の言いなりになっているからだけではありません。
日本の検察が「確実に有罪にできる証拠が揃った事件しか起訴しない(精密司法)」という独特の運用をしている背景があります。
国際社会と比較した場合、この日本の現状には明確な「良い点」と「悪い点」の両面が指摘されています。

【日本の現状の良い点】

検察が厳格なフィルターをかけることで、証拠が不十分なまま起訴されることを防ぎ、結果的に無実の人が長期間の公開裁判に巻き込まれる精神的・経済的負担を減らしているという側面があります。
また、限られた司法資源を確実に有罪となる事件に集中させることで、高い有罪率を保ち、世界トップクラスの治安の良さを維持する一因になっているとも言えます。

【日本の現状の悪い点】

一方で、絶対に負けられない検察は、有罪の決定打となる「自白」への依存度を極端に高めます。
これが、容疑者が罪を認めない限り保釈を認めず、長期間にわたって身柄を拘束し続ける温床となっています。
カルロス・ゴーン事件の際などにも、海外メディアから日本の司法制度が「Hostage Justice(人質司法)」と名指しで激しく批判されたのはこのためです。
また、ひとたび起訴されてしまえば「推定無罪(有罪が確定するまでは無罪として扱う)」の国際原則が事実上形骸化し、法廷が「検察の答え合わせの場」と化すため、もしも検察が誤認逮捕をしてしまった場合の「冤罪(えんざい)」被害が極めて深刻になるという致命的なリスクを抱えています。

このように、私たちの治安を守っているとされるシステムそのものが、一歩間違えれば重大な人権侵害を引き起こす「諸刃の剣」であることを、私たちは知っておく必要があります。

第3章:記者クラブとメディア・権力の「距離感」

この記事の最後に私たちが向き合うべきは、社会の監視役である「メディア」です。
日本では、特定のメディア機関だけが排他的アクセス権を持ち、政府や大企業の情報を独占する「記者クラブ」システムが、依然として維持されています。

  • 記者クラブ

    • 日本:特定のメディア機関だけが政府や企業の排他的アクセス権を持つ。

    • 世界:オープンで、多様なメディアが自由に情報アクセスでき、政府や権力を監視するのが当然。

このシステムがもたらす最大の弊害は、メディアと権力の不健全な親密さです。
日本の、とあるマスコミ記者が「政治家と会食に行くこともある」という現状を話したところ、とあるドイツの10代半ばの生徒から「全くあり得ないし信じられない」という驚きの声が上がったと聞いたことがあります。

この逸話からも明らかなように、日本で「当たり前」とされる『マスコミの多くと権力との親密な関係』は、国際社会の常識の中では完全に「非常識」であり、本来あってはならないことです。
この「距離感の無さ」こそが、国境なき記者団による「報道の自由度ランキング」で、日本が毎年G7最下位圏内(世界70位前後)に沈んでいる根本的な原因と言えます。

結論:無意識の「枠」を外し、世界基準の人権と民主主義へ

全3回にわたり、「私たちが無意識に受け入れているおかしな当たり前」について、日常、ビジネス、そして社会制度の観点から見てきました。
最終回(今回)で取り上げた家族制度や司法、メディアのあり方は、私たちの権利や自由、ひいては民主主義の根幹に直結する極めて重要な問題です。

「昔からの伝統だから」「波風を立てたくないから」「お上(権力)がやっていることだから」と思考停止に陥り、私たちが無批判に受け入れてきたルールの数々。
しかし、一歩外の世界に出て「グローバルスタンダード(世界の常識)」という鏡に映してみると、それらが時代遅れの「非常識」であったり、時には重大な人権侵害のリスクを孕んでいたりする現実に気づかされます。

もちろん、日本の優れた治安や独自の文化など、守るべき美点はたくさんあります。
しかし、多様性を認めない硬直化した制度や、透明性を欠いた権力との癒着構造までも「日本の文化」として擁護し続けてはいけません。

私たちが当たり前だと信じ込んでいる「常識」を疑うこと。そして、世界基準の人権感覚やフェアな視点を取り入れ、おかしいことには「おかしい」と声を上げていくこと。
この無意識の思い込みを脱ぎ捨てる作業こそが、より風通しが良く、真に成熟した社会へと日本をアップデートしていくための第一歩となって行くことでしょう。

[完]