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【日本の常識は世界の非常識?】私たちが無意識に受け入れている「おかしな当たり前」(全3回)第1回:日常・コミュニケーション編「すみません」より「ありがとう」を。私たちが無意識に縛られている日本の「当たり前」を疑う

「日本の常識は世界の非常識」
——そんな言葉を耳にしたことはないでしょうか?

グローバル化が叫ばれて久しいですが、改めて日本社会と諸外国の概念を比べてみると、「これは日本独自の素晴らしい文化だ」と誇れるものがある一方で、「これは明らかに日本の方がおかしい。世界基準に合わせるべきだ」と警鐘を鳴らしたくなる事例が山ほどあります。

今回は、私たちの日常生活に潜む「無意識の思い込み」について、これから3回にわたっていくつか問題提起をしてみます。

■ なぜ親は子どもに「すみません」の背中を見せるのか

電車内などの公共の場で、こんな光景をたまに目にします。
母親と小さな子ども連れの時、偶然居合わせた見知らぬ人が子どもに親切にしてくれた。
そんな時、親は相手に対して「すみません」と恐縮や謝罪のようにも見える態度をとりながら、自分の子どもには「ほら、ありがとうは?」と強要する場面です。

自分の発している言葉や態度(すみません)とは違うことを、子どもには無理やり(ありがとう)言わせようとしている。なんだか不自然だと思いませんか?

こんな時、親自身が余裕をもって、通りすがりの人に恐縮するのではなく、子どものすぐそばで笑顔で「ありがとう(ございます)」と伝えればいいのです。
親が先に「ありがとう」を口にすれば、子どもも自然にそれを真似して言いやすくなりますし、親も「ありがとうって言おうね」と優しく導けることでしょう。

日本では会話の潤滑油として「すみません」を多用しますが、過度なへりくだりや謝罪の態度は、時に素直な感謝の気持ちを歪めてしまうのかもしれません。

■ 血液型占いは「生きるための手段」ではない

日本特有の謎の常識といえば、「血液型と性格の結びつけ」です。
世界では科学的根拠が一切ないと一蹴されるこの概念ですが、日本ではいまだに日常会話として定着しています。

私はタロット占いもやっている身なので、こんなことを言うのは心苦しいのですが……はっきり言って「血液型占い」は、朝のテレビの12星座占いや九星占いと同様、その場しのぎの適当なことを言っても「半分は当たる」ようにできているのです。
(心理学では誰にでも当てはまることを自分にぴったりだと錯覚する「バーナム効果」と呼びます)
ですから、これに根拠は一切ありません。

そもそも、占いの本質は「当てモノ」ではありません。 当てることよりももっと重要なことはいくらでもあります。
占いは、あなたが、私が、よりよく生きるための「手段」であって、人を血液型というたった4つの枠に閉じ込めるためのものではないのです。

■ 「選挙カーの連呼」が映し出す、私たちの未成熟さ

最後に、日常生活の風景からもう一つ。
選挙の時期になると街中を走り回る「選挙カーでの候補者名の連呼」。
海外では政策論争が中心であり、あのような大音量での連呼は騒音とみなされ、規制されている国が多数です。

しかし、なぜ日本では無くならないのか?
それは「街中で名前を連呼するような迷惑行為を行わないと、誰も投票に行かないし、候補者の名前すら覚えてもらえない」からです。
つまり、選挙カーの連呼が効果を持ってしまう現状こそが、この国の民主主義が未成熟であることの何よりの証拠なのです。

政策をじっくり聞いて判断するのではなく、名前の連呼に影響されてしまう有権者側にも問題があります。
我々国民一人一人が賢くなり、主権者としての意識を高めて初めて、「選挙カーでの連呼」という迷惑行為は消滅するのでしょう。
日本社会は、その点でまだまだ成長の余地が随分あると私は見ています。

(次回「働き方・ビジネスの常識編」へ続く)