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【小説】ブルーシートの死角 〜東京都北橋区・指定避難所のリアルをシミュレーション〜【第3幕:帰還・変革】第8章:反逆のレイアウト

※(重要)読者の皆様へ
 本作は、架空の首都直下型地震を舞台にしたフィクションですが、過去の災害で実際に報告されている避難所での過酷な現実(ジェンダーに起因する問題、被災者同士のトラブルや性犯罪、劣悪な衛生環境など)に基づいた描写が含まれます。ご自身の過去の被災体験と重なりフラッシュバックなどを起こす可能性がある方は、ご自身の心身の状況に合わせてご無理のない範囲でお読みください。
 なお、この小説の内容は、実在人物・団体には全く関係ありません。

(最初から読む)

「窓原君! 正気か! 区の許可もなく勝手なことをしたら、懲戒免職になりかねんぞ!」
 血相を変えた危機管理課長が怒鳴ったが、窓原は振り返りもしなかった。

「免職で結構。ですが、このままここで死人とか性犯罪者が出たら、区の責任は免職どころでは済みませんよ」
 その冷たく、しかし確信に満ちた声に、課長は言葉を詰まらせた。

 窓原は、台湾人のボランティア・リンに向き直った。
「リンさん。テントはありませんが、今ある物資で台湾のやり方に近づけるにはどうすればいいですか?」
「まずは『視線の遮断』と『完全な区画分けゾーニング』です」
 リンは即答した。
「体育館の床に線を引くだけでは意味がありません。物理的に覗き込めない高さの壁を作って、入り口を制限した『女性と乳児専用の空間』を作ること。それと、トイレまでの動線を明るく照らすことです」

 それを聞いていた避難者の中から、五十代くらいに見える恰幅の良い男性がスッと手を挙げた。
「……俺は、◯◯◯(避難所近くのホームセンター)の店長だ。売り場は棚が倒れてメチャクチャだが、裏の倉庫は無事だったはずだ。高く積める大型の段ボールと、ガムテープと、キャンプ用のLEDランタンと、それに組み立て式の簡易トイレがある。全部持ってきて使え。代金は後で区に請求してやる」
「店長……!」
「あんたの言う通りだ、役人さん。波風立てないようにして、弱いもんが凍え死ぬのを黙って見てるなんて、真っ平ごめんだ」

 その店長の言葉を皮切りに、
「俺も荷物運びに行く!」
「私もやります☺️」
・・・と、二十代から四十代くらいの若い世代を中心に次々と手が挙がった。
 誰もが薄々、この「みんな平等に我慢」という異常な空気に息苦しさを感じていたのだ。
 窓原が最初の石を投げたことで、同調圧力の呪縛が解け始めた瞬間だった。

 窓原らは即座に行動を開始した。
 ホームセンターから台車で資材を運び込み、体育館とは別棟になっている「武道場」の鍵をこじ開けた。
 そこは底冷えするものの、広さは十分にある。

「ここの窓には全てブルーシートを張って、外から一切見えないようにします。そして、入り口には高い段ボールで目隠しのクランク(迷路状の通路)を作りましょう」
 リンの的確な指示のもと、男たちがガムテープで巨大な段ボールの壁を構築していく。
 武道場の中には、LEDランタンの温かく明るい光が灯された。
暗闇の恐怖から解放された空間だ。

「よし、これで着替えも授乳も、関係のない人の目を気にせずに出来ます。武道場の入り口には、女性の方々が交代で見張りを立てて、男性は立ち入り禁止というルールを徹底しましょう」
 窓原の言葉に、先ほどまで恐怖に震えていた多くの女性の顔に、安堵の涙と確かな生気が戻っていくのが見えた。
 北橋区の指定避難所で、最も過酷で、最も熱い「反逆の夜」が幕を開けた。

「それから、ペット連れの方!」
 窓原は、寒空の下で仔猫を抱えていた若い母親らを呼び寄せた。

「体育館の入り口横にある、放送室の機材スペースを開放します。そこなら他の避難者と導線が完全に分かれるので、動物アレルギーの方とトラブルになることもありません。段ボールを床と壁に二重に敷き詰めれば、外の寒さは防げます。ワンちゃん猫ちゃんも、中から出してあげてください」

 ある母親は、信じられないものを見るように窓原を見つめ、やがて床に崩れ落ちるようにして泣き出した。
「あ、ありがとうございます……っ、本当に……!」
 キャリーバッグの扉が開けられ、小さな仔猫がミャアと鳴いて母親の手にすり寄った。
 その姿に、窓原は再び愛猫ミーナの顔を重ね、目頭が熱くなるのを感じた。

 しかし、この大規模なレイアウト変更を、面白く思わない人間も当然いた。
「おい窓原! 何の真似だ!」
 町内会長の源三が、数人の高齢者を連れて血相を変えて乗り込んできた。
「女と動物連れだけ、広い部屋でランタン付きだと? 体育館の床で寝てる連中が黙っちゃいないぞ! エコヒイキだ、今すぐ撤収しろ!」

 窓原は、立ちはだかる源三の前に、静かに、しかしいわおのように立ちはだかった。

「源三さん。エコヒイキではありません。これは『区別』であり『配慮』です」
「屁理屈を言うな!」
「いいえ、事実です! 女性が暗がりで襲われる恐怖に、赤ん坊の泣き声で舌打ちされる恐怖と、それに家族同様に大切な動物が凍死する恐怖。あなたたち成人男性が抱えていない、それらの『理不尽な恐怖』を取り除くための最低限の環境作りです」

 窓原の低くよく通る声が、体育館の空気を震わせた。
「『平等』という言葉で、立場の弱い人間を危険な暗がりに縛り付けるのを、もう終わりにしましょう。もし、この安全な空間をズルいと非難する者がいるなら、私が全員の前に立って説明します。何度でも、納得するまでです」

 その毅然とした態度に源三は言葉を失い、後ろにいた高齢者男性らもその迫力に圧倒されたように後ずさりした。

 マニュアルを捨てたことで、窓原は初めて「本当の意味で住民の命を守る責任者」の顔になっていた。
 外の冷たい風の音とは裏腹に、手作りの段ボール壁に囲まれた新しい空間には、確かに人の血の通った温かい灯りがあった。

(第9章へ続く)